【番外編】マッシュルーム・スナップ2

「ほらァ、イノシゲさん! 一回外に出てみれば、全然気分も違うっしょ。酒ばっかり飲んでないで、見てくださいよ、この、一面に広がる……」


 太田おおたは、錆びよけのテント屋根を貼ったカバ車の中で大仰にはしゃぎ、外の景色を仰ぎ見て……ややトーンを落とし、言う。


「その……砂を」


「バカにしてんのかァッ、てめえ!」


 イノシゲと呼ばれた髭面の男は、ただでさえ安酒で赤い顔を怒りで更に赤く染めて、太田に怒鳴った。


 見渡す限り、殺風景にもほどがある埼玉の鉄砂漠てつさばくをカバ車で歩き始めて、かれこれ三日になる。スナカバの凶暴性を知っている砂地のウツボたちは、気配を察知しても襲いかかってくることはないが、それにしても、三日間代わり映えのしない錆の砂漠を歩き通しでは、短気な髭面でなくても嫌気が差して無理はない。


「こんな、この世の終わりみてえなとこ、どうして好き好んで旅行しなきゃいけねえんだ!? ああそうだ言うな、オレがバカだった。もう帰るぞ。ヘイ、ハル、デイジー!」


「イノシゲさん、あれ見てくださいよ、あれッ!」


 もういい加減にしろ、と横を向く髭面の目に映る、太田の視線があまりにも真剣だったので、髭面も思わず太田の指差す方向へ向き直った。


 見れば確かに、燃えくすぶる何か巨大な鉄の塊のようなものが、薄く黒煙を空にたなびかせている。それだけなら、鉄砂漠でさしたる珍しい景色でもないのかもしれないが、驚くべきはその鉄塊のようなものから、巨大な、真っ赤なキノコが咲き誇っていることであった。


「な、なんだ、ありゃ!?」


「キノコじゃないッすか?」


「見りゃわかるわッ、クソバカ! おい、もっと寄せろ!」


(まがりなりにも女子に、クソバカはないっしょ)などと思い太田は膨れたが、この旅の中で珍しく髭面が興味を示したのは喜ばしいことでもあったので、素直にデイジーの手綱を取り、その黒煙を上げる鉄塊へと走り寄った。


「うわぁ……これ、なんです? 飛行機……?」


「こりゃ、エスカルゴ空機だぜ」身を乗り出して、感嘆の表情を見せる髭面。「的場製鉄まとばせいてつの、白金しろがねまいまいで作った爆撃機だ。群馬県警も、何機か持ってたはずだ」


「で、そのエスカルゴに、なんで、キノコが……」


赤星あかぼしだよッ、クソボケ! あの、人喰いの大悪党が、この、爆撃機を弓で撃ッ貫いて、落としちまったに違いねえっ」


「クソボケ、ってねえ! イノシゲさん、さっきから――」


 抗議を唱えかける太田の声を遮るように、何かが砂を高速で踏みつける音が、二人の耳に飛び込んできた。


「おぉーいッ! ここは調査区域だ、立ち入り禁止だぞ! 何者だ、貴様ら!」


 威圧的な声に二人が周囲を見回すと、二足歩行のイグアナに跨った精悍な若者達が、一様に長いコートをはためかせ、素早くカバ車の周りを包囲するところだった。


「わ。わわ。なになに、なんすか!? 自分ら、ただの旅行者ッすよ!」


「観光とでも言いたいのか? こんな死の砂漠を。降りろ。身元を改める」


「うへええ。イノシゲさん、この人達、誰ッすか……?」


「忌浜自警団だ。なんだって、こんな砂漠の奥まで……」


 二人は強引にカバ車から引きずり出され、荷物を改められる。自警団の一人が、髭面の財布の中から身分証を見つけ、そこでようやく得心したようだった。


「群馬の関所役人だそうです。武器も、小銃だけで……嘘はついてないようです」


「お前、それくらい、見て判らんといかんぞ」若者の上官らしい自警団の一人が、部下達を見回し、嘲笑まじりに言った。

「カバに乗って旅するような田舎者は、群馬人だと相場が決まってる。悪事をたくらむ知恵はない。通してやって、問題ない」


 ははは、とイグアナの上で笑う自警団の連中が、その鉄根で、デイジーの頬をびしびしと叩いてからかう。「ぶるる」と悲痛に鼻を鳴らすデイジーを見て、みるみる髭面の顔が赤くなる。胸元のブランデーをぐびりと呷ると、大口を開けて怒鳴りつけた。


「おうおうッ。忌浜の痩せトカゲどもが、好き放題言ってくれるじゃねえか。そんな、愛嬌のカケラもねえような、しみったれたモンに乗ってる奴らが、カバをどうこう言うんじゃねえッ」


「ちょ、ちょっと、イノシゲさんッ!」


「田舎者扱いは慣れてる、勝手に言ってやがれ。だがな、群馬のカバを馬鹿にしやがったら許さねえぞ。こんなに強くて賢い動物は、他にゃあ居ねえんだ!」


「落ち着けよ、オッサン。やれやれ……酔って気がでかくなってやがるな。まあいい、連行する。おとなしく……」


「ヘイ! ハル、デイジーッ!」


 髭面の声を切っ掛けに、カバ車に繋がれていた二頭のカバが、その巨体を躍らせて、凄まじい勢いで眼前のイグアナ兵へ体当たりをぶちかました。油断しきっていた自警のイグアナ騎兵きへいは、まるでゴム製のおもちゃのように勢い良くはるか遠くにぶっ飛んで、それぞれ砂地の上を跳ねた後、可哀想に騎手ともども目を回して昏倒してしまう。


「うわァッ、な、何だ、こいつはッ!?」


 スナカバを、鈍重なおとなしい生きものと見て侮っていたイグアナ騎兵たちは、そのとんでもない馬力に流石に面食らったようで、一様に鉄棍てつこんを構えて髭面へ向き直った。


「き、きさまッ! 手向かうか!」


「やるかッ、この――」


「やめないかッッ、馬鹿者ッ!!」


 一触即発のその場に、「ぎゃりぎゃり」とタイヤの音が鳴り響き、純白の大型二輪が、すさまじいスピードで両者の間に割って入った。


 風に美しい黒髪をなびかせて、一人の長身の女がそこから降り……その手に持った鉄根を、がうん! と閃かせて、自警団に一喝した。


「県の内外問わず、人民の平和を守るのが、我らの責務であろうが! いたずらに尊厳を傷つけるなど、言語道断。性根を、叩き直されたいかッ!」


「だ、団長っっ!」


 美しくも厳しい怒声に、自警団員たちはイグアナを降りて、その女に敬礼した。


 呆気に取られる髭面と太田を振り向いて、その団長と呼ばれた女は、頭を下げる。


「部下の非礼を詫びる。つまらぬことで、引き止めてすまなかった」


「い、いやァ。いいんだよ……こっちだって、つい、その……悪かったな」


「団長? さん? うわァ。かっこいい人ッすねえ! ねえ、ここでみんな何してるんです?」


 女団長は太田の視線の先を振り返り、軽く頷く。


「忌浜の街に、キノコ守りが出てな。被害状況の確認中だ……ここも、すぐにキノコを焼き払って、引き上げる予定だ。危険だからもう行ったほうがいい。忌浜いみはまへ行くのなら、護衛を数人付けよう」


「やっぱりだ。赤星だよ! あの時みてえに、赤星がやったんだ、こいつを!」


「あの時、みたいに……?」


 女団長の睫毛の奥で、美しい瞳がきらめいた。


「失礼だが、御仁。赤星の所業を、見たことがあるのか? いつ、どこで?」


「見たも何も、特等席で見たよ。こう、でかいキノコをバーンってよ……仲間もいたよ、なんだか、背中の曲がった爺さんと、とんでもなく強い、バカでっかい蟹に乗って……」


「蟹、に、乗っていた、だと……!」


 髭面の話を聞いて、女団長の目の色が変わった。それを太田は心配そうに見つめながら、なんとなく低姿勢でお伺いを立てる。


「あのお。もう、行っていいすかね? 砂がほら、さっきから痛くて……」


「いや。少し、聞きたい話ができた。……貴方はこちらへ来てくれ、少し、意見を聞きたい」


 女団長の美しい声に招かれて、髭面は不思議がりながらカバ車を降り、心細そうに太田を振り返る。


「……オレ、なんか、まずいこと言ったかなあ?」


「まあ、普段から、まずいことしか言ってないッすけどお」


 太田は髭面に答えながら、そこで電撃的に、眼前に広がる光景にその右脳を閃かせた。太田はすばやく、首に下げた一眼レフを構えて


 ぱしゃり! と、シャッターを切った。


 吐き出された写真には、髭面を伴ってエスカルゴを指差す女団長が、美しくその黒髪をなびかせており、それを透かして、精悍なイグアナ騎兵達と焼け落ちたエスカルゴが写っている。


 そしてそのエスカルゴからは、砂漠の中で鮮やかに咲き誇る赤色のキノコの群れが、いまなお生命を主張するように伸び上がっていた。

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