錆喰いビスコ
瘤久保慎司/電撃文庫・電撃の新文芸
錆喰いビスコ
【番外編】マッシュルーム・スナップ1
辞令
『県境管理部 関所課 南関所現地職員
右の者 賞金首・赤星ビスコを逃し 関所を通過させた廉により
四十日間の停職処分に処する
以上
群馬県庁』
「かあああーーーっっ!」
髭面の役人が、手に持った紙切れをびりびりと破り捨てる。
キノコを丁寧に取り払って、なんとか建て直した急拵えの関所小屋に砂風が吹き込み、紙くずをばらばらとそこらへ散らかした。頭を抱えて項垂れる髭面を見下ろしながら、なんだか申し訳なさそうに、若い役人が声をかける。
「しょうがないすよ、イノシゲさん。クビにならなかっただけ、マシじゃないッすか」
「オレがどれだけ、凶悪犯をここで食い止めたか!! 県庁のクソ野郎ども、自分たちの責任は棚に上げて……こ、このオレを、て、停職、だとォーーッッ」
髭面はそのままにしておくと赤くなって破裂しそうだったので、
「ほら。自分も、一緒ッす……太田
髭面は、太田の、そのいつもの化粧っ気のない、男子高校生みたいな顔を見上げて、はあああ、と深いため息を、怒りや悔恨といっしょに深く吐き出した。
「こんな時代に、旅行もクソもあるか。新潟じゃ、
「そりゃー? 行ってみなきゃー? わかんないすよ?」
太田は窓口に腰掛けて、ぎしぎしと身体を揺らしながら、いつもの退屈そうな態度とうって変わって、悪戯っぽく声をはずませた。
何か思いついたようにそわそわと動き回っては、私物の一眼レフや三脚を持ち出してきたりと、髭面とは真逆に、まるで停職処分が嬉しくてしょうがないような有様である。
「いいじゃないすか。東北旅行、一ヶ月間。少なくとも、こんな白い壁だけ見て過ごすより、マシなやり方だと思いません?」
「停職食らったとたん、ばかにはしゃぐじゃねえか、この野郎」
「ヘーイ、ハル、デイジー!」
太田が声を張り上げると、カバ小屋の中から、二人乗りのカバ車を引いたスナカバが二頭、駆け出してくる。スナカバ達は行儀よく関所小屋の前に停まって、「ばるる」と一声鳴くと、鼻息でそこらの砂を吹き飛ばした。
「お、おい、カバ車で行くのか! そりゃ、公共物だろが!」
「いいんすよ。引き継ぎの役人が来る前なら、なんとでも言えますから。赤星にキノコにされちゃいましたー、エーン! ッつって、誰か疑います?」
「へっ、勝手にしろ! どこにでも行っちまえ!」
「行っちまえーじゃないくて。イノシゲさんも来るんすよ」
「はああ!?」
「奥さんに逃げられちゃってるくせに、予定もなにもないでしょうよ。ねえ、行きましょうって、イノシゲさん! 気晴らしですよ。壁のそばで暮らす一生にできた、貴重な貴重な、休み時間じゃないッすか」
返答を避けて酒を呷る髭面に、太田は頬を膨らませて憤然と近寄り、その黒ヒゲをひっつかんで、強引に自分に視線を向けさせた。
「ぎゃーっ! 何しやが……!」
「壁見て、酒飲んで、壁見て……そのうち、死んでましたみたいな、そんな人生!」
髭をぐりぐりとねじくりながら、太田は上目で、半ば懇願するように、言葉を紡ぐ。
「……そんな人生、つまんないすよ、イノシゲさん。一緒に行きましょう。イノシゲさんが、話してくれたみたいな……世の中のいろんなところ、自分、一度でいいから、見てみたいんす……撮って、みたいんです」
太田が言葉を終える頃には、ヒゲを引っ張る指は弱まり、ただ頼りなく肩に添えられている。
髭面はそこで腕を組み、たっぷり一分近く唸ったあと、胸元のブランデーの瓶を一息に空けて、口元を拭いながら関所小屋をふらふら出てゆく。
「おッ。オチました? ちょろ!」
「まだだ。仕事を一個、片付けてからだ」
「仕事……って、もう何も残ってないでしょう。現場はそのままにしとけって、辞令に……」
「カバのトイレの、場所を変える」
髭面は、なんだか妙に凛々しい顔で、空に高く咲き誇るエリンギを見上げた。
二人の停職の原因、大悪党キノコ守り・赤星ビスコの、掟破りの関所越えは、凄まじいものであった。この南関所が繰り出したおびただしい数のスナカバ兵の群れを退け、実に高さ30mを超える関所の壁を、このエリンギの、高く咲き誇る勢いで飛び越えてのけたのである。
高々と咲き誇ったその禍々しいキノコの塔は、その忌々しい偉業と、たくましい生命力を誇示するかのように、その体を日光に白く光らせている。
「赤星が、言ってただろ。キノコは錆を寄せるんじゃなくて、錆を喰うんだとかなんとか。カバの糞をそこに撒けば、キノコが育つってよ」
「……ええっ!? 人喰い茸の、赤星の言うことですよ! 言う通りにするんですかぁっ!?」
「だからだよォ」髭面が振り返りながら、吐き捨てるように言う。
「引き継ぎの役人どもにも、同じ目見せてやらあ。近くでキノコが育っていく、不気味さったら……がはは、考えただけでも、愉快だぜ」
「……そーゆーとこ、人間ちっちぇえんだよなァ」
太田は白目がちな目を細めながら、髭面の後ろ姿を、ぼけーっ、と眺めて……
その後ろ姿と、天高く咲くエリンギのコントラストに、右脳を電撃的に閃かせた。太田は、足をかけていたカバ車から転がるように降り、下から舐めるように、一眼レフで狙って……
ぱしゃり!
キノコに立ち向かう一人の男の、その雄大な姿を、一枚の写真に収めた。ごろりと仰向けになり、カメラが吐き出す一枚の写真をうっとり眺める、太田の頭上から。
「バカ野郎ーーッ、太田ァ、お前もやるんだよォッ」
「え……ええーーっ、と、トイレの移設……そ、そこまでしなくてもォ」
「サボったら県庁にチクるからな。おらっ、さっさと来い!」
太田はげっそりと立ち上がりながら、それでもその一枚を大事そうに懐に仕舞い……一度、カバのハルとデイジーを撫でてやってから、足早に髭面を追うのだった。
◆二人の旅路は、時に本編ともニアミスする…!?――明日は本編の続き、更新!◆
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