日常編Ⅲ

家猫の行動範囲は半径500mぐらいらしい。

「えーと。まぁ、お疲れさまでした」

 お互い海外出張と旅を終え、約2週間ぶりの晩酌である。

「おう、お疲れ!」

 彼方かなたが嬉しそうに日本酒を飲みほす。

「んー、旨い。久しぶりの酒はきくなァ」

「……久しぶり? あれ? なんか出る前に瓢箪?みたいなやつに、たくさん酒いれてなかったっけ?」

 旅の途中の酒とか言って。見た目以上に入るあの不思議な瓢箪に。どくどくと。

「ああ。まぁそうなんだけどな。なんか、一晩で飲んじまって、な」

 まじか。

 少し呆れつつ彼方ウワバミの杯に酒を満たす。彼方かなたが、それで?と聞いてきた。

「どうだったんだ、外国ってのは」

「うん、まぁ向こうの人はみんな優しかったし、ご飯も美味しかったし。良かったけど」

 一緒に行った内山さんがね。あの厳しいことで有名な内山さんがね。


「あ、ちょっ、内山さん、そっちは到着ロビーみたいっすよ。出発は上!」「や、Eカウンターなんでこっちじゃないですかね」「えっ、そっちは国内線! 出国はこっちですよ!」「……搭乗口……反対側だ……走って!」「逆走! そっち逆走! だめです内山さん、そっち入ったら捕まりますって!」「ちょ、どこ行くんすか、迎えは下で合流ですよ!」「あれ? 内山さんが……いない!」「あ、ちょっと、そっちじゃないです! ちゃんと着いてってくださいよ!」以下延々続く。


「……疲れたわー」

 内山さん、超方向音痴だった。出張中は機械見るどころかずっと内山さん見張ってた。

 仕事はできる人なのになぁ。

「ふうん、大変だったみたいだな」

「まぁねぇ」

 いつもの酒とカツオのたたきが、無事(内山さんを連れて)帰ってこられたという実感になって湧き上がる。旨い。

「で。お前の方はどうだった? 世界見られた?」

「おう、まぁなぁ」

 たたきの中だけ器用に食べながら彼方かなたが頷く。というか、その食べ方じゃ刺身と変わらない。香ばしい焼き目を残すな。

「なかなか収穫のあるいい旅になったぜ」

「へぇ。そりゃ良かった」

 それぞれの杯に酒を注ぎ直し、話の続きを促す。

「まずはな、まっすぐ東に行ったんだ。そしたらデカい犬がいてよ」

「デカい犬?」

 すぐ近所の家でラブラドールを庭に放している家がある。そこだろうか。

「大人しくて賢そうなやつだったが、いかんせん俺の食糧ビーフジャーキーを物欲しそうに見てきてなぁ。それがあんまり切なそうな瞳だったんで」

 彼方かなたが肩をすくめる。

「結局分けてやった。えらく懐かれたぞ」

 人間用のジャーキーは犬にあげちゃダメなんだけど。まぁ、一回でどうこうということもないだろうが。

「で。そのままもっと東に向かって。森に入ったんだ」

「へぇ、森?」

 この辺は平野部だし、近くには山も森もない。どこまで行ったんだ。

「おう。しっかり手入れの行き届いた森だったな。しばらく探索したが、さほど大きな獣もいなかったし。魔獣なんか一頭もいなかった」

 それはそもそもいない。

「まぁでも逆に、採って食えそうなものもなくてな。あれには難儀したな。ときどき子供が大量に来て菓子食ってたんで、それを拝借できたが」

 ……子供のお菓子を盗って食べるとか、勇者としてどうなんだろうか。

「って、それは森じゃなくて公園だろ」

 ちょっと行ったところに比較的大きな公園がある。桜の木がたくさん植わっていて、花のころは賑わうところだ。

 そうとも言うな、と彼方かなたがうそぶく。確かに彼方かなたサイズから見れば森も公園も大差ないだろうけど。全然違う。

「そっから今度は南に向かってな。そうしたら海が一面に広がっててよ」

 海。確かにずっと南へ行けば太平洋である。うちから海岸までなら車で15分かそこらだろうか。

「久しぶりに思いっきり泳げて楽しかったな。でもまぁ水深が浅くって、潜水は微妙だったが。というか、よく見たら田んぼだったな、ありゃ」

 全然海まで行ってなかった。

「ああ、うん。この辺ってまだ田んぼも畑も多いからね」

 時期的にはまだ田起こししただけのところも多いけど、気の早いところはもう水を引いている。さぞ泳ぎがいがあっただろう。

「そうみたいだな。水路でシジミが採れたが……。小さくて固かった」

 旨かったら持って帰ろうと思ったんだが、などと言う。水路のシジミとか困る。やめてくれてよかった。

「そんで、そっから西に行ったらよ、すっげぇ高い塔があるじゃねぇか」

 今度は塔? なんだろう、鉄塔とかか?

「そりゃあもう天にも聳える高さで、てっぺんとか見えないからな。もしや魔王城じゃねぇかと思って」

 えっちらおっちら登った、と。

「そしたらよ、まぁ普通の人間が住んでるだけで、参ったぜ。ま、いろいろ収穫もあったからいいが」

 ……ああ、あのマンションか。場違いに建ってる15階ぐらいのやつ。

 高層ビルと言うほどではないけれど、なんせ田舎だから周りは高くてもせいぜいが5階建て。やたら目立つ。

 しかし収穫ってなんだろう。余所様のところで何をしてきた。

 大丈夫だろうか。

「……いっそ魔王よりタチ悪いんじゃないか」

 こぼしたら彼方かなたが耳敏く反応してしまった。

「お前、魔王知ってるのか!?」

「知らない知らない。そういう意味じゃないから」

 面倒くさい。

 彼方かなたがふーんとつまらなそうになったので、酒をついでやる。

「だいたいそんな分かりやすいとこに魔王がいるんだったら、苦労してないだろ」

 登るまえに気づきそうなものだ。

「ま、そうなんだが。でも、目の前にデカイ塔があったら登るだろ、そりゃ」

 ただ登りたくて登っただけか。

「で。次は北に向かったら、くるまとか言うあれがビュンビュン走ってるとこがあってな」

 うちの北に一本古い街道が通っている。そんなに大きな通りではないが交通量は多い。そこへ行ったのだろう。

「車の前に飛び出したりしなかっただろうな?」

 いくら勇者だって、轢かれたらひとたまりもないだろう。

「さすがにそんなことはしねぇがよ」

 彼方かなたも危険は承知しているようだった。良かった。

「あの上に乗ったらさぞ面白いだろうと思ったんでな、止まったのを見計らって登ろうとしたんだが」

 彼方かなたが額にシワを寄せる。

「すぐに動き出して、しかもなんかすごい回転?して、思いっきり吹っ飛ばされちまった。乗れなかった」

 タイヤか!? タイヤにしがみついたのか!? めちゃくちゃ危ないことしてる!

「……よく無事だったなー」

「ん、まァな。あんぐらいで伸びるほどヤワくはねぇ」

 いや、むしろ吹っ飛ばされた先も道路だろうし、轢かれる危険性が高かったと思うが。

「ま、そんな感じで四方を見てな、そろそろお前も帰るころだろうと思って帰ってきたぜ」

「…………ふうん」

 得意気な顔で饒舌に語る彼方かなたを見ながら思う。


 勇者の旅、めっちゃ近場だったなー。

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