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 小テーブルの上にどんと鎮座ましますのは、芋焼酎の “魔王” 。愛里が彼方かなたへの差し入れだとか言って置いていった酒だ。

 有名だし名前ぐらいは知っているが、飲んだことはない。

 ……敢えてこの名前の酒を選んだんだろうけど、一体どうしろと言うのだろう。

 彼方かなたにはまだ酒の名前は教えていない。彼方かなたはラベルが読めないから、伝えない限り気づかない。

 で。この焼酎は魔王っていうんだよって教えて、それでどうなる? どうもならないだろ。

 うっかり彼方かなたが勘違いして魔王プレミア焼酎を木っ端微塵にしでもしたら目もあてられない。

 愛里には悪いけど、この魔王はスルーの方向でいこう。

「今日はいつもと違う酒だな」

 彼方かなたが期待に満ちた目で茶色い魔王を見上げる。

「……うん、愛里にもらった芋焼酎」

 封を開けながら短く答える。

「いもじょーちゅー。ああ、愛里と飲んだヤツな」

 確かにこの間の実家でも愛里は白霧島いもじょーちゅーを飲んでいた。妹は焼酎好きである。

「そう、同じ種類。違う蔵元の違う酒だけどね」

 名前は、魔王。

「ほう。どんな酒か楽しみだな、こりゃ!」

 こうして、勇者様による魔王退治が本人の預かり知らぬところで始まった。

 まぁ俺はどっちかというと日本酒が好きだけど、でも別に焼酎が嫌いというわけではない。微力ながら魔王退治にお伴させていただこう。

 彼方かなたに氷を勇者の槍で砕いてもらってロックを作る。

 口許へ運べば、芋焼酎とは思えない香りが漂い、飲めばこれまた芋焼酎とは思えないまろやかな味わいが広がった。

 横で彼方かなたも、くぅぅと感嘆の唸りを上げる。

「……旨い。やっぱりこの間のとも違うなァ」

 今日のはあたりめである。彼方かなたはイカの足を咥え、さらに唸った。

「こりゃたまらん……旨い……とまらん」

 どうやら勇者様は魔王とイカにコロリとやられてしまったようだ。無念。

「しかし、あれだな」

 彼方かなたが、おっさんみたいにぷはぁと息を吐いて言う。

「愛里は、いいやつだなァ」

「…………は?」

 幻聴かなと思った。

「え、や。だから、愛里はいいやつだなぁって」

「そうか? 全然そんなことないよ」

 だってあいつ、図々しいし、わがままだし。

「そんなこと言って、かわいい妹じゃねーか」

「かわいくない。なにが図々しいって、兄たちは妹をかわいがるものだと思ってんのが腹立つ」

 早くも空いた彼方かなたのキャップに氷と魔王を注ぎ直す。

「それになんか愛里あいつって要領がいいというか、苦労知らずというか。人生イージーモードにでも設定されてるんじゃないかと思う」

 うちの父親が死んだとき愛里は小六だった。悲しがってこそいたものの、一番あっけらかんとしてたのが愛里で、微塵も生活の心配なんかしてなかった。そして実際なんの懸念もなく、中学三年間、下手くそなテニスにいそしんでいた。

 高校は商業へ行ったからそのまま就職するのかと思いきや、兄貴やっくんの勧めでちゃっかり大学進学。そしてサークルで見つけた先輩ショータくんを取っつかまえ、卒業と同時に就職と結婚である。

 やつの前に困難とか不遇とかとかはないのか。

「結構なことじゃねぇか」

 彼方かなたが笑いながら「それともひがみか?」などと言ってくる。

「違うけど。こう、見てると、どうにも煽りを食ってんじゃないかって気になるんだよな」

 いやまぁ確かにただのやっかみかもしれないけど。

 そう思いながら自分のグラスにもロックを作り直す。

 氷を保冷するバケツアイスペールなんて洒落たものはなく、ボウルの中で氷が溶け始めている。でもいちいち冷蔵庫まで氷を取りに行くのは面倒だし。次からは水割りにしよう。

「ああでも。うちは和也やっくんが逆にハードモードだからバランスは取れてるのかもしれない」

「へぇ、和也が?」

 彼方かなたが鋭い視線をスルメイカに走らせ、旨そうに太った足を素早く拾い上げた。いつものことながら選定眼がすごい。おいしいところを攫われる。

「うん、あんなふざけた性格なのにね。苦労人っていうか、むしろ敢えて厳しい方を選んでくタイプっていうか」

 超進学校の優等生だったし、本人も周りも東京の大学へ行くものと信じて疑わなかった和也やっくんだが、いざ高三の時に父親が死んで、あっさり就職へ進路変更してしまったのである。

 いやでも、あっさりだったわけがない。進学校に求人など来ないだろうし。進路指導の先生に多大な迷惑をかけたにちがいない。あの頃は毎晩のように母と和也やっくんが口論してたし。

 言っちゃなんだけど、進学校から高卒で就職なんて不利なばっかでおいしいことなんてひとつもない。

 彼方かなたがスルメイカを咥えている隙にチータラを開けた。彼方かなたが新しいつまみを羨ましげに見上げてくるが、その太いスルメはおいそれと食べ切れないだろう。

「大学のお金ならなんとでもしようがあっただろうに、敢えての就職だからね。和也やっくんがなに考えてたんだか分かんない」

 果てしてあの人は天才なのか、馬鹿なのか。未だに謎である。

 まぁでも。おかげで確実に母の負担は減ったし、確かにその後の鈴木家の生活は助かった。俺も通勤のための車キューブの頭金は出してもらっちゃったし、愛里の大学の学費を出したのも兄貴。

「絶対大変だったと思うけど。しっかり沙織さんと結婚して、家建て替えたローン払って、ついでに子供二人養って、それであんだけ楽しそうに生きてんだから、まぁすごいとは思うけど」

 頭よすぎるとあのぐらいハードモードじゃないと人生楽しくないんだろうね、たぶん……と鈴木家では思うことにしている。

「それにしたって、同じ兄妹なのにこうも違うのかって思うよねぇ」

 イカの足の先をむりやり口に詰めこみ、モクモクと咀嚼しながら彼方かなたが頷く。そんなに焦らなくてもチータラは無くならないのに。

「まぁ、あるよな。俺の兄弟も、まぁそれぞれで、どっちかっつーと似てないからな、性格」

「へー。そういうもんなのかなぁ。え、何番生まれ?」

「ん、5番目だ。上に四人、下に三人。兄、兄、姉、兄、俺、妹、弟、弟、な」

 そうか、彼方かなたも真ん中なのか。なんかちょっと意外な気もする。

 やっとスルメを呑み下した彼方がうきうきとチータラを拾い上げる。

「で? 愛里がイージーモード、和也がハードモードなら、どうなんだ?」

「ん、俺?」

 器用に鱈シートをはがして咥えた彼方かなたを見つめつつ、さてどう答えようかと迷い、そしてこう言うことにした。

「たぶん俺は、裏コマンド入力モードなんだと思う」

 異世界の小さい勇者は小首をかしげた。

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