彼方さんの旅立ち

 だいたいに仕事というやつは順調だななんて思った拍子になにごとか起こるものである。


 今日も予定消化が順調で特に問題もなく、いい調子だななんてうっかり思ってしまった途端、胸ポケットの携帯がピーピー鳴った。

 もちろん工場内は個人の携帯は持ち込み禁止。これは仕事用に持たされている整備要員呼び出し携帯。つまり、どっかでなにかの機械に不具合が起きたとか、そういうやつだ。

 面倒だなぁと思いながら見ると、発信者は主任だった。これはそうとう厄介な案件か。

 しかし応答すると、主任はのんびりとどこにいるのか聞いてきた。

「……予定通りSaxー5号の点検終わって、飯に行こうかと歩いてるとこですけど」

『あ、じゃあちょうどいい。話あるから食堂集合で』

「はぁ」

 なんだか嫌な予感がするんですけど。



 今日は定食がいまいちだったので鶏白湯ラーメンとミニ杏仁豆腐にして、主任の待つテーブルへ向かう。

「すいません、お待たせしました」

「おう、お先」

 主任は旨そうに焼き鯖を食べている。あごひげのかっちょいいナイスミドルだ。でもなぜか頭が本田圭祐みたいな金髪。あごひげは黒いのに。わざとなのだろうか。微妙だからどっちか止めたらいいと思うが、さすがに面と向かっては言えない。

「で、話ってなんですか?」

 麺をすすりながら話すのもあれかもしれないが、食べながらと言ったのは主任の方だしいいだろう。

「ああ。鈴木な、来週から2週間ぐらい出張行ってくれ」

「え、急すね」

 出張。稀なことではあるものの、かといって今までに経験がないわけではない。

 基本的に保守点検要員エンジニアは各工場で配置される。しかし他部署に比べると専門的というか補充がないというか、だいたい最低限の人員でなんとかしている。だから時々どうしようもなくなって、他から融通することもある。

 まぁ、行ったところで向こうの機械知識があるかどうかは微妙で、大して役に立たないんだけど。

「で、行くのってどこですか? 本社とか、豊岡とか?」

 だいたいうちの工場はこの地方にある。出張と言っても、出勤先がちょっと変わるだけだ。

「うん、インドネシア」

「…………ぇぇー」

 まさかの海外。行きたくない。

 海外工場は想定外だった。

「いやだって、来週? 来週海外行けってか」

「うん。ほら、向こうにもFLボール入れたじゃん。でも運用がうまくいってないらしくて、こっちからその辺が分かる内山が急遽指導に行くことになってさ。ついでにメンテできる人間もつけることになって」

「……内山……、ってあの内山さんっすか?」

「たぶんその内山」

 めっちゃ厳しい人である。内山さんと2週間インドネシア。無理。

「…………やー、すいません。うち今カメいるんで、2週間も家空けられないんでー」

 ダメ元で抵抗してみることにした。それにしても、我ながら理由がしょぼい。

 でも主任は困り顔になった。

「ボール見れる人間で出せるのお前ぐらいなんだから、観念しろよー」

「えー、でもカメがー」

「まぁなー、急だし、海外だし。無理強いはできんけど、業務命令なんで」

 うわぁ、無理強いする気満々だ。

「じゃあ、うちのカメどうするんですかー」

「あー。ポケットにでもいれてけよ」

「んな無茶な。だいたい言葉できないし」

「そんなもの、気合いでなんとかなる。てか、通訳ぐらい向こうにいるわ」

 最終的には行かざるをえないのだろうが、せめてもの抗議に押し問答を続ける。

「ってわけで、詳細はあとでメールすっから」

 主任が焼き鯖を食べ終えたところで引導を渡された。渋々承諾しながら最後のぶうたれる。

「うっす。いやでもほんと、うちのカメはどうしろってんですかー」

 にこやかに笑って答えない主任。しかしなぜか後ろから声がかかった。

「なんならうちでカメ預かろっか?」

 はぁ?と思って振り返れば、仲のいい先輩が人のいい顔で突っ立っていた。

「お、カメ大丈夫そだなー」

 主任がそそくさと席を立っていく。なんでいつも妙なタイミングで妙な声掛けて来るんだろう、先輩このひと

「え、なんすか?」

「いや、俺カメ好きで実家じゃ飼ってたんだけど、今は嫁がオーケーしてくれなくてさぁ。でも2週間預かるぐらいなら大丈夫だから。むしろ歓迎」

 嬉しそうに言っている。

 はぁと大きくため息がもれた。なんかさらに面倒なことになりそうだ。

「そーですか。そんじゃあ相談してみるんで」

「え? お前、カメと話すの?」

「え。先輩はカメ好きなのに話さないんですか?」

「えっ。や、まぁ。そりゃ話しかけたりはするけど。あんま返事とかないし……」

 でもちゃんと面倒は見られるから、と動揺した先輩がカメ好きアピールしてくるのが本当にいらなかった。

 しかし。カメだと言って彼方かなた渡したら、先輩びっくりするだろうなぁ。それはちょっと見てみたい気もしないでもない。



「と言うわけで、2週間ぐらい海外出張になっちゃったんだけど、お前どうする?」

 家に帰っていつもの酒盛りをしながら彼方かなたにことのあらましを説明する。

「ほう、外国か。むしろそっちに興味があるが。やっぱり着いてったりはダメか?」

「うん。どう頑張っても検疫ぬけられる気がしないから、悪いけどムリ」

 冗談でなく捕まる。

「先輩のとこはともかく。うちで好きに留守番してくれててもいいし、なんなら実家か愛里のとこでもいいけど」

 彼方かなたはうーんと考え込んで、それから「そうだな」と大きく頷いた。

「いい機会だ。しばらく俺もこの世界を知る旅に出ようかと思う」

「え……旅?」

「おう。テレビでもいろいろ見たが、実際にも見てみたいからな」

「……ふうん、そう」

「旅つっても、どうなるか分からんし、お前が戻ってくるころには俺もいったん戻ってこようとは思うが」

 また世話になるのが迷惑でなければ、などと彼方かなたがくっつける。

「いや、そんなのは、全然いいけど……」

 そうか、彼方かなたも旅に出るのか。小さいとはいえ強い勇者やつだから大概大丈夫だろうが。それでも、もし水路にでも落ちて流されようものなら、帰ってくることは難しくなるだろうし。今生の別れともなりかねない。

「気をつけて、きっと帰ってこいよ」

 そう言うと、彼方かなたは力強い笑みで頷いた。



 それから、出張にでる日、彼方かなたも颯爽と旅立っていった。謎の甲羅にたくさんの非常食を詰めていたし、再会を約したからきっと大丈夫だろう。そう思いながら生け垣の向こうへ素早く消えていく彼方かなたを見送った。

 少ししんみりする気持ちを振り払い、スーツケースを引っ張って空港へ向かった。


 もっとも、2週間後出張から帰宅したら、彼方かなたもばっちりきっちり帰宅してたんで、あの湿っぽい別れには全然全く微塵も意味はなかった。

 ……まぁ、なんでもいいか。

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