愛車は日産キューブ

 なんだか彼方かなたは車に乗ると、フロントガラスに両手をぺったり張りつけて前方景色を満喫したがる。

 別段構わないのだけど、万が一にも事故れない。次は頭蓋骨が割れてしまう。

「いい家族だったなァ」

 彼方かなたがしみじみ言った。実家からの帰り道である。……昨晩は勧められるままにそうとう飲んでいたから、「いい酒だったなァ」の間違えじゃなかろうかと思ったけど、どうやら心底から言ってくれているらしい。「まぁねぇ」と適当に相づちを打っておく。

「それに、仲もすっげー良さそうだったじゃねーか」

「んー、そうかもね」

 余所がどうかはよく知らないが、まぁ仲の良い方だろうとは思う。特に嫁と姑、プラス小姑の仲がいい。となれば、男性陣はひたすら恭順しているのが賢い生き方だ。

「だったら、なんでお前は一人で暮らしてるんだ?」

「え?」

「別に遠く離れて住んでるでもなし。家がせまいでもなし。なんで一緒に暮らさないんだ?」

 なんでと聞かれても。実家あそこには兄夫婦一家が暮らしてるし。いや、正確に言うなら、兄夫婦が住むからと家を出たのではなくて、俺も愛里も家を出てしまって母が一人になったから、兄たちが一緒に暮らしはじめたわけだけど。

 そんなようなことを説明してみても、彼方かなたには納得がいかないらしい。大きく首をかしげた。

「だからってお前、なにも一人で暮らすこたァないだろ」

「そうか? 一人暮らししてるやつなんて珍しくないけど。そっちは違うのか?」

「そうだな。普通は血縁とか一族で暮らしてるな。一人暮らしのやつもいないじゃないが、まぁ大抵ワケありだ」

 ということは、俺は彼方かなたに最初 “ワケあり” だと思われてたんだろうか。

「でも。そういうお前だって一人で家を飛び出したんだろ?」

「う、まぁなぁ」

 彼方かなたはこちらへ向き直り、ぺたんとダッシュボードに胡坐をかいた。

「魔王を倒す旅に出るためだが。ま、正直なところ、俺はあんまり共同生活には向いてなかったな」

 聞くからに風来坊気質のようだし、さもありなん。

「でも、お前も別に仲が悪かったから出たってわけじゃ、ないんだろ?」

「だな。よく仕事をさぼって怒られはしたが。基本みんな気のいい奴らだからなァ」

「俺は別に勇者じゃぁないけど、おんなじだよ」

 いくら仲が良くたって一緒に住むとなれば気詰まりなこともあるものだ。

「ふうん、なるほどな。お前も俺と同類って事だな」

 え。同類にされるのは。ちょっとなぁ。

 でもまぁ、紙一重といえなくもないかという感じで料簡しておこう。

「……みんな元気にしてっかなァ」

 故郷を思い出したのだろう。彼方かなたがフロントガラス越しに空を見上げた。

 確か故郷には彼方こいつの幼なじみがいたはずだ。帰ってきたら結婚してもらえると思い込んでいる幼なじみが。

 そののことを思い出しているのかもしれない。

「そういやぁ。俺も兄貴がいるんだが」

 兄貴だった。

「へー。……兄貴って、お前似てる?」

 彼方かなたの兄。まぁ聞くまでもなくかっぱだろうけど。

「んー、いや、あんま似てないな。俺のほーがシュッとイケメンだ」

 そうか、彼方かなたはイケメンなのか。よく分からないが。

「そー。それにうちの兄貴はまぁ凡庸な男だ。その分堅実な性格だかんなー。ん、あいつがいれば一族は安泰だろーが」

 勇者と比べられちゃ、大抵のやつは凡庸だろう。お兄さん、気苦労多そう。

「ふうん。二人兄弟?」

「あー。いんや。うちは八人だ」

 八人……多い。多産なんだろうか。

 彼方かなたのような小さいかっぱがうようよといる光景を想像していたから、その異変に気づくのが遅れてしまった。思い返してみれば、少し前から彼方かなたの受け答えはおかしかったのだが。

 突然、彼方かなたがぱたりと倒れたのだ。

「えっ、ちょっ。どした?」

 伸びきったまま、カタカタと小刻みに震えている。

「おい、大丈夫かッ!?」

 あいにく走行中で手が出せない。しかし呼びかけても彼方かなたからの返事はなかった。どうしたんだ、一体……?

 赤信号で停まったタイミングでむりっくりに腕を伸ばし、彼方かなたを引っ掴む。

 彼方かなたは、かっさかさに干からびていた。

「……? ――!」

 うっかりフロントガラスの曇り取りデフロスター入ってた! 彼方かなた、除湿された風の吹き出し口の上にずっといたのか! 気づけ!

 乾燥するのは苦手だと聞いてはいたけど。こんなになっちゃって大丈夫だろうか。万が一の時、病院とかどうすればいいんだろう。……獣医か?

 ハラハラしながら家路を急いだ。



 家へ戻って、取るものも取り敢えず彼方かなたを水を張った洗い桶へ放りこむ。

 彼方かなたはしばらく増えるワカメのようにぷるぷるとしていたが、ほどなく元通りになって洗い桶の中を気持ちよさそうに泳ぎだした。

 ……つくづく不可思議な生き物だなぁ。



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