閑話休題:鈴木家のバラッド

 うちの実家は住宅の建て込んだ旧市街地にある。周りの道は狭くて一方通行も多い。たぶん昔は城下町だったのだろう。

 久しぶりの帰宅である。重い袋二つを片手に持ち直し、よっこらしょっと玄関を開ける。

「ただいまー」

 ちなみにこの家は兄が数年前に建て替えたものだから、生まれ育った我が家ではない。馴染みもないのに「ただいま」なんて言いながら入るのはうすら寒いのだが、ほかに言いようもないからしょうがない。

「ちょっと、遅いよー。もう皆待ってたんだからね」

 玄関へ出てきたのは妹の愛里で、早々に文句をたれてくる。持っていた酒の袋を奪うように取っていく。

「買い物に手間取ったせいだっての」

 それぞれがリクエストしてきた酒を探して、杏林堂ドラッグストアの酒売り場をうろうろしてしまった。なんだって全員酒の好みが違うんだ、うちは。

「ご苦労さまです。そっち、持つ?」

「あ、久しぶり。うん、よろしく」

 後からのこのこ出てきた男は義弟、つまり愛里の旦那の翔太ショータ君だ。もう一つの袋を受け取って持って行ってくれた。

 靴を脱ぐのに手間取っていたら、居間から愛里の明るい声が聞こえてきた。

「お待たせー。やっとお酒来たよー」

 ……おい。皆が待ってたのは次男おれじゃなくて酒か。

 そんなわけで、今日は両親の結婚記念日(に一番近い週末)。たまには皆揃って夕飯です。



 居間へ入るなり、どーっと甥っ子(4つ)が走って襲撃してきた。

「まーくんだー」

「うわ。あぶな。おい、こら、やめろ」

 絡まって転ぶかと思った。しかもスーパーヒーローの物真似しながらポコポコと殴ってくる。なにこれ、どうしたらいい?

「お、和真お帰り」

「んなことより助けて」

 兄に助けを求めると、しょうがないなぁと面倒そうに立ち上がった。でもこれ、あなたの息子さんですよね。

「ほら、総。叔父さんのこと『まーくん』とか呼んだらダメだろ。おじちゃんと呼びなさい、おじちゃんと」

「……」

 引きはがしてくれたけど、そういうことではない。

「あ、まーくん、お帰り」

 変わらずのんきな顔で座って出迎えてくれた母は、姪っ子を膝に乗っけている。

「……ん、ただいま。っていうか、すごい大きくなってる?」

 姪っ子はそろそろ生まれて半年だっただろうか。ずいぶんとぷくぷく丸く大きく育っていた。ちょっと見ない間に三倍ぐらいになってそう。子供って怖い。

「――ちょっと、まーくん! あたしの“赤”がないんだけど! え、“白”? なんで“白”? せめて“黒”にしてよー」

 なんかキッチンから愛里の騒ぐ声がする。どうやら買ってきた酒に不満があるらしい。でも知らない。赤霧島プレミアものとか、ほいほい買ってこれるわけがない。

 ちょうど戻ってきた翔太君と目が合ったので「わがままなやつでごめん」と謝ると、ぽやんとした顔で「でも白も美味いよね」とか返してきた。愛里にはもったいない婿だ。でも蜂蜜酒ハニーワインとか頼んできた男の言う台詞ではない。翔太君こいつの酒を探すのに一番苦労した。せめてカルーアぐらいにしてほしかった。

 義姉がキッチンから顔を出した。

義弟君まーくん、お帰りなさい。揃ったなら料理出すから運ぶの手伝って」

 キッチンからは揚げ物のいい匂いがする。なんだろう、唐揚げかな。



 だいたい料理を並べたところで、愛里がちょいちょいと服の裾を引っ張ってきた。

「んだよ?」

「ねぇねぇ。まさか今日、一人で来たの?」

「…………」

 愛里の言うとおり。実は今日は折角だからと彼方かなたも連れてきている。が、どのタイミングで登場してもらえばいいのか、思いあぐねていたのだった。

 だって15センチのかっぱとか。みんな驚くだろうし。パニクって厚生労働省とか?に通報されても困る。彼方かなたが連れて行かれてしまったら……まぁよく考えると特に困るわけではないが、かすかに彼方かなたに申し訳ないような気がする。

 けれど時すでに遅し。愛里の意味深な物言いに「なになに? 一人? どういうこと?」と全員こっちを窺っていた。

「あー。実は今日はツレがいて。紹介したい人がいるんだけ……」

 ……ど、と言うつもりだった。でもすごい勢いで母の目がキラーンと光ったように見えて、思わず語尾を飲み込んだ。

 というか、気づけば母だけではなかった。義姉も期待に目を輝かせ、兄もにやにや面白そうに見てくるし、なぜだか翔太君は一人そわそわしていた。

「……え?」

 母が満面の笑みで言った。

「彼女?」

「え、あ、ばっ。違います!」

「でも今のは絶対彼女を紹介する流れだと俺も思った」

「私も」

 兄夫婦にまで頷かれた。横で愛里が声をたてずに腹を抱えて爆笑している。

 もう会わせるのが早い。彼方かなたに待機してもらっていたバッグを引き寄せ、ごそごそとジッパーの引き手を引っ張る。

「……まぁ、こいつなんだけど」

「ばばーん!」

 開けた途端、彼方かなたが派手な擬音を口走りながら飛び出してきた。……確かに、紹介するまではバレないように、カバンの中では静かにしててと頼んだけど。それは出てくるときに皆を驚かせろという意味ではなかったんだけど。

 目の前へ15センチの怪生物に飛び出されて目を丸くした母は、しかし諸手を挙げて見上げてくる彼方かなたを見つめ、なぜかホッと盛大な安堵の息をついた。

「ああ、良かったぁ。フィギュア取り出して、嫁とか言い出すのかと思ったー」

 あなたは息子をなんだと思っているのか。

「ええっと、それで、……こちらは?」

「おう。俺は彼方かなただ。ちょっと前にこっちの世界に飛ばされてきてから、和真にはずいぶん世話になっててな。今日は家族が揃うっつーから、俺も挨拶しときたくて。団欒に邪魔して悪いな」

 意外なほど礼儀正しく彼方かなたが深々と頭を下げる。「まぁっ」と母も頭を下げ返す。

「ご丁寧に。こちらこそ息子がお世話になってます。そんな気兼ねせずに、寛いでねぇ」

 なんかさらっと受け入れられた。

 しかし兄がそっと彼方かなたを指差し、恐る恐る聞く。

「……彼女?」

 いつまでそのネタを引っ張るつもりなのか。

「違うわ!」

「だな。どっちかっつーと、いっつもメシとか洗濯とかしてもらってるからな、和真のほうが彼女だな」

 彼方お前も乗るな。話がややこしくなる。

彼方かなたさんはねぇ、異世界から来た勇者なんだよ、すごくない?」

 愛里が旦那の腕を叩くが、翔太君は怪訝そうに首を傾げた。

「勇者? 俺にはカッパに見えるけど」

 そういうもの?とか聞かれても困る。まぁかっぱが勇者でいけない道理もないわけで。というか、ツッコミどころはそこでいいのだろうか。

 総ちゃん(4つ)が、彼方かなたへおっかなびっくり手を伸ばそうとしていた。あわやというところで兄が抑え込む。

「掴んじゃダメだ。えっと、それで。彼方かなたさんは、なんでこの世界へ?」

「んー、話すと長いんだが。まぁだからな、魔王を倒して世界を救うために来た」

 ドヤ顔で“勇者”を強調する彼方かなた。魔王がいなくて帰れなくなってるくせに。

 しかしすっかり騙された鈴木家の面々は、ほおと感嘆の声をもらした。

「いやだから。魔王とかいないだろ」

「えー、そんなの、分かんないでしょ」

「そうだ。勇者がいる以上、魔王だっているのかもしれない」

 この兄妹は。冗談なのか本気なのか、適当なことを言い出さないでほしい。ほら、彼方かなたが期待に満ちた顔になってる。

「……ってことは。魔王も15センチ?」

 翔太君がぼそりとつぶやく。その発想はなかった。一瞬小さい魔王の絵面が脳裏をよぎる。……うちの六畳間で15センチの魔王と15センチの勇者の戦闘とか発生したら嫌だな。

「いや、やっぱり魔王は勇者より大きいのがセオリーだ。20センチぐらいはあるだろう」

 と真顔で兄。だから、うちの六畳間で20センチの魔王と15センチの勇者が戦うとか、嫌だ。

「ちょっと和真まーくん、あんた家の天井裏、覗いた方がいいんじゃない?」

 うちの天井裏に20センチの魔王は住み着いてたりしません。絶対。なに想像してるんだ。

 彼方かなたには、この人たちの冗談を真に受けないよう釘を刺しておかないといけなかった。身内ながらまったくタチの悪い人たちだ。ああでも、翔太君はちょっと天然なところがあるから、こいつだけは本気マジで言ってそう。

「まぁともかく、話は食べながらにしましょうか。もう全部運べた?」

「あ、あと漬物だけ切ってくるから。食べてて」

 母の一言に義姉がそそくさと席を立つ。

「ありがと、沙織さおりちゃん。彼方かなたさん、お酒は飲める? 今日はなに買ってきた?」

「あー。ドラフトギネス母のビールジムビームやっくんのウヰスキーJINROマッコリさおりんのどぶろく白霧島あいりのせいちうハニーリザーヴショータくんのハニーワイン、あと月桂冠の山田錦おれのだけど」

 しめて8000円ほど。手痛い出費。

「まーくんってあんま焼酎飲まなかったよね? ね、彼方かなたさん、今日は焼酎飲もうよ」

「ほう、しょーちゅー? 美味そうだな」

「どうせウィスキーも家じゃ飲んでないだろ。ハイボールも飲むか?」

 次々と見せられる異世界の酒に彼方かなたが目を輝かせている。たくさん買ってきたつもりだったけど、足りるかな。翔太君以外めちゃくちゃ飲むからなぁ。



 彼方かなたの使えそうなグラスを借りるためにキッチンを覗く。いつもみたいにペットボトルのキャップか、あるいは軽いガラスのお猪口ぐらいなら彼方かなたはきっと平気だろう。食器棚から江戸切子のお猪口を出した。彼方かなたにはお洒落すぎるが、まぁいいだろう。

 後ろでは義姉の沙織さんが漬物をよそっていた。

「あ。義姉ねえさん」

 声をかけたら驚かせてしまったらしい。びくりと肩をふるわせて振り返った。

「は、はい。えっと、なぁに?」

「……いや、あの。今日はありがと」

 一番大変な思いをするだろうに、全員で集まって夕飯をといってくれたのはこの義姉だ。曰く、それが一番母が喜ぶだろうと。嫁の鑑だ。まったく和也やっくんにはもったいない。

「なんか手伝う?」

「あ、ううん。もうこれだけだから。でも、」

 なんだか義姉の様子がおかしい。落ち着かない様子で、心なしか顔色も悪い気がする。

「でも? どうかした?」

 義姉は困惑顔で口ごもる。ちらりと居間の方へ視線をやり、さらにずいぶんためらってから、やっと口を開いた。

「その。……異世界人あれ、本当に? ……大丈夫、なのかな?」


 鈴木家うちにも普通の人、いた!



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