春のお風(二)

 その夜ふけのことです。

 今夜もあたりをらしてまわろうと、空の真んなかには風が集まってきました。

 村のなかといえば明かりひとつなく、いつもよりしんとしています。


「ははあ。やつら、とうとう春をあきらめたな」

「違いない。ここらはもう、ずっとおれたちの冬だな」

 風が意地いじわるい言葉をわしていると、西の山のかげから、のっそりと、すがたをあらわしたものがいました。

 それはなんと、ひとつ目の大男でした。背丈せたけはちょうど、西の山ぐらいありました。

 風は、はじめぎょっとしましたが、みょうな化けものにけてはならぬと威張いばって言いました。

 「やい、そこのひとつ目。ここはおれたちが吹いている村だが、お前は何者だ」

 ひとつ目の男が答えます。

 「わたしは西の山のだいだら法師ぼっちだ」

 「そのだいだら法師がなんのようだ」

 「それだがな。お前さんがたのいたずらに、わたしも村人たちも迷惑めいわくをしているのだ。すぐにやめて、ここへと春を呼びなさい」

 大きな体がやさしい声で言いましたので、風はからっからと笑いました。

 「そんなことかまうもんか。おれたちは吹きっぱなしで、たいそう気分がいいのよ」

 だいだら法師ぼっちこしをかがめて、風をじろじろとながめます。

 「ふうん。さっきからずいぶん強気に言うが、お前さんがたは、そんなにすごい風なのか」

 「そりゃすごいさ。なにせお日さまを遠ざけちまうくらいだからなあ」

 「そうか、そうか。だが、いくらなんでも、わたしのこの、ひとつ目まではこおらせられまい」

 これを聞いた風たちは、うずを巻いて、

 「そんなこと簡単かんたんさ」

 ビュッとひと吹き、おおきくひらいた目に飛びこみました。

 しかしそのとき、だいだら法師がちょうどまばたきをしたので、その松の葉のような、とがったまつ毛にあおぎ返されてしまいました。

 風たちはおこって文句もんくをつけます。

 「やい。瞬きするなんてどういうことだ」

 「ああ。すまない、すまない。それなら、わたしのはなの穴はどうだ」

 「今度こそ、見ていろ」

 風たちはドウドウと、ふたつの穴めがけて流れこみます。だいだら法師の鼻の毛は、残らず凍りついて氷柱つららになってしまいました。

 「どうだ、おそれいったか」

 「ア、ハ、ハ、ハックション」

 ふんぞり返っていた風は、だいだら法師のくしゃみひとつで、粉々になった氷柱ごと外に押しだされてしまいました。

 「やい、やい、いい加減かげんにしろ。くしゃみをするとはどういうことだ」

 「すまない。すまない。それなら、わたしの口のなかはどうだ」

 だいだら法師はあんぐり口をあけました。そのなかがあまりに暗くて、じめじめしているように見えたので、風たちはちょっと不気味に思いましたが、引き下がるわけにはいきません。

 「よし。かまくらにしてやるぞ」

 ドウドウドウ。ドウドウドウと声をあげて、はしから口へと飛びこんでいきます。

 「ああ、これはちょうどいい。歯がさっぱりするな」

 だいだら法師はぎゅっと口をすぼめたかと思うと、残りの風もみんな吸いこんでしまいました。

 そしてふところから、ひとたば藁紐わらひもを取りだしました。これは村人たちが、におさめた紐でした。


 だいだら法師は、すぼめた口から少しずつ風を吹きだしながら、その一団をがんじがらめにしばってしまいました。風は抜けだそうともがきましたが、細い藁の紐一本、ちぎることができません。

 「ははは。これは村人たちが、願をかけてったものだ。ちぎれはせんぞ」

 太い指につかまえられて、この大男がちょっとひねれば、どんなことになるかわかりません。間近まぢかで見るひとつ目はおにのぎょろ目のようで、風たちはふるえあがって、よくよくゆるしをこいました。

 「お助けください。おれたち、気もちを入れかえて、精一杯せいいっぱいつとめますから」

 「もう金輪際こんりんざい、悪さはしません。このとおりちかいますから」

 だいだら法師ぼっちが答えます。

 「そうか。ではわたしが、お前さんがたの新しいすがたを見とどけてやろう。その身をもって、この村に春を返すのだ」

 風たちはもう、すっかり承知しょうちしました。


 東のほうでは夜明けがあって、白い光が西の山の辺めがけてすべっていきます。

 真新まあたらしい光にらされた、だいだら法師の面差おもざしは、いつしか見たこともないほど美しい山の神のものへとかわっていました。

 そのくちびるの先に、風を乗せた手の平を近づけると、細く長い息が吹かれました。風は藁紐わらひもごと吹きちらされて、強くつよく、村じゅうをかけめぐりました。


 ちぎれた紐は金の粉となって舞い、風はいま、朝日のなかで白銀をまとっています。その強さ、あたたかさは、長いあいだ村にしみていた灰いろを、どんどんはがしていきました。

 土がゆるみ、清水がうごき、こごえていた梅はもろもろと、ほころびます。


 お日さまがだいぶのぼって、外がしずかになったころ、家のなかから村人たちが少しすこしと顔を出しました。

 そして、閉じこめていた牛や馬やの背中に、光り残る風を見るや、よろこびに声をあげずにはいられなくなりました。

 「冬が終わったあ」

 「春のお風が吹いたぞう」

 村じゅうが、昨晩さくばんよりいっそうのお祭りさわぎです。

 「おやまさま、ありがとう、ありがとう」

 西の辺にたたずんでいた山の神のすがたは、いつの間にかに見えなくなっていました。


(おしまい)

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春のお風 きし あきら @hypast

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