青春初心者

 さっきまでちっとも気にならなかった風が、窓からやさしく吹き込んでふたりの間を流れていく。ふたりはこのまま。元のふたりに戻るのだろう。


「いくつになっても『青春』って、あると思うんです。だから、もし、つき合ってる人がいないなら、わたしを彼女にして。お願いします」

 彼女は反対側を向いてしまったオレの背中に、強く抱きついてきた。危うく前のめりになった。


「わかったと思うけど、オレは君より年上なんだ。さっきのキスくらいじゃ全然物足りなくなるよ。君をもし、好きになったら」

「あの、えと、今日の復習からお願いします。『青春初心者』なもので」


 オレは本気で吹き出してしまった。その後、むせてしまったくらい。この子、本当に大丈夫なのか?


 オレだって、五つも下の、しかも幼なじみとつき合うにはかなりの度胸が必要だ。

 彼女はちっともわかってないけど、何しろご近所さんはみんな、顔見知りだし、この歳になったらもう、結婚前提だ。別れたりしたら、噂話で外を歩けなくなる。


「できたら、ゆっくり、復習お願いします。ゆっくり、ゆっくり、久志くんのことずっと好きだった気持ちを確かめたいの」


 彼女の言葉を無視して、『青春』なんて理想郷をとっくに追放されたオレは、彼女をきつく抱いて唇をふさいでしまった。


 相手が『青春』でも、五つも上なんだ。まして結婚前提なら、止まる必要も無い。27歳、なめるなよ。


 されるままだった彼女の呼吸が苦しそうになり、唇をゆっくり離した。春はオレを「信じられない」という目で呆然と見ている。まだ息も整わずに。


「五つも上の男とつき合うっていうのはこういうことだよ。まだ手ぬるい方だ。さっきまでの『青春貯金』ごっこは、カッコつけすぎ。春の理想に近づけただけ。実際はこんなものだよ」


 彼女はまだオレを見ている。

 知ってたはずの『お兄ちゃん』が、知らない男に見えているだろうか?オオカミが世の中にはふつうにいることに、気がついただろうか?


「……わたしはまだそういうことに慣れないけど、そういうこと、してこなかったからなんだけど、久志くんとつき合うためにそれが当たり前になるんだって言うなら、少しずつ慣れるから、少しずつ慣らしてくれる?」


 困ったものだ。


 彼女は本当にこの冴えないオレに、彼女の貯金しておいた『青春』を全額使うつもりらしい。

 どうやら春はまだまだこれから、青春真っ只中みたいだ。一緒にいたら、失ってしまった『青春』のおこぼれに与れるかもしれない。


「なんでそんなにオレにこだわるの?」

「久志くんが気がついてなかっただけで、久志くんはこっちにいる時、すごいもてたんだよー」


 彼女のむくれた顔もチャーミングだった。小さい頃から、頭の小さい、瞳の大きな女のコだった。


「もてたなんて知らなかったな」

「頭が良くて、生徒会とかやってたらそれだけでもてるんじゃないかな?……東京でももてたでしょ?」

「黙秘」

「あーもー。これじゃほんとに中学生に逆戻り!嫉妬で死んでしまいそう! ……つまり、嫉妬する自分に気がついて、恋をしてるって知ったの……」


 思いの外、彼女はずいぶん前に『女』になったんだな。オレの方がその頃、ずっと子どもだったかもしれない。


 彼女の頭を抱き寄せて耳元で囁いた。

「じゃあ、青春時代のようにこの先もずっと、今度はで嫉妬して」


 ――そして願わくは、彼女の貯金が尽きませんように。

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春はまだ青いか 月波結 @musubi-me

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