そして現実の話

「!!」

 春の体が一瞬、反発するのを感じた。でも、ゆっくり、体の力を抜いてオレにその重みを任せてくる。

「煙草の匂いがする……。歌の歌詞みたいだね」

「そうだな、春が高校生のときにはオレはもう、煙草吸ってたから」


 彼女と一緒に乗った観覧車を思い出す。本物の観覧車は、風に揺れて、夜景なんかより夜の闇に浮いてることがずっと怖い。

 そんな中で、オレは彼女の細い肩を抱いて、真剣に彼女を想っていたわけだけど。大学行っても、我ながら純粋だったな。


「会う度に、こうやって抱きしめてくれたと思います?」

「会う度に抱きしめたと思うよ。だってオレたち、お前が中学生になってからずっと、つき合ってるんだろう?」


 抱きしめられた姿勢のまま、春は顔を上げて小さくうなづいた。そして、小さい頭をオレの肩に埋める。


「春は会う度にどんどん大人びてくる。オレはきっとドキドキする。お互い、遠距離だから会えない時間に嫉妬もする。だから、会えたときがうれしいんだ」

「……わかる」


 彼女と三年間もズルズルつき合ってから別れて、オレは帰郷した。彼女との結婚も含めて、都内で就職するか迷ったけれど。

 結局、結婚を決めるにはオレは若すぎたし、長男だったし、こっちに戻ってゆっくりするのもいいかなと思ったから。


「春、オレなんかでいいの?」

 キョトンとして、一瞬、沈黙する。

「久志くんのことしか、ずっと考えてなかったのに?」

「だからこそ、他のもっといい男に気がつかなかったのかもよ」

「それは思ってもみなかった」


 彼女はちょっと笑った。だからオレは不意を突いた。


 一瞬、唇が触れるだけの短いキス。彼女の細い髪の毛に指をそっと入れて、顔をこっちに向かせた。

 春の瞳はこぼれそうに大きく見開かれ、それから、今度は彼女の方から唇をつけてきた。女の子の、やわらかい唇。


 オレたちは向かい合って、何度か口づけをした。それは、互いに共有できなかった時間の穴埋めだ。いわゆる『ガツガツした』恋の時代。


 オレの方が春の妄想に吸い込まれていくような気分……。それは言い訳のような気もして、ガッツリ自分の軽はずみな行動に後悔する。


 彼女はオレの右肩に額をのせて、ため息をついた。

「なんか、ファーストキスからずいぶん進んじゃった」

「そんなものだよ。一度してしまえば、会う度にしたくなるから」

「そうかもしれない」

 えへへ、と恥ずかしそうに肩にもたれて笑った。


「さて、春はこうして高校三年間、できる時は上京してくる。オレも会えない時間が切なくなる。会えないって言うのは辛いものだ」

 こくん、と彼女もうなづく。

「と、思ったけど、オレは春が大学に入る時には卒業して、こっちで就職してるよ」

「え、なんかずるい。実際、そうだったけど」


「高校三年生の春は、帰ってきたオレとで過ごすんだ。オレは慣れない仕事で凹むこともあるし、春は受験だろう?この一年は大変なんだ。周りの目もあるから、自由に会えないしね」


 ここで彼女は黙ってしまった。

 うつむいて、膝の上で両手を軽く握っている。何を考えているのか、まったく予想もつかない。


「久志くん、帰ってきたとき、なんで会ってくれなかったの?」

「春も会いに来なかったじゃないか」

「そうだけど……」


 彼女は唇を噛んで、考えごとをしていた。

 せっかくオレと重なっていた、自分の高校三年生という一年間を悔やんでるのかもしれない。


 結局、どんなに妄想で青春時代の埋め合わせをしようとしたって、現実は変わらない。時間は冷たい目でオレたちを見ている。


 春の知らないところで、オレには長くつき合った女のコがふたりはいたし、年の差も今ならともかく、中高生のときには大き過ぎた。


 最初から難しい話だった。


「でもね、今日、わたしはここに来たの。やっと勇気を持って、先走る気持ちをコントロールしながらここにたどり着いた。『青春貯金』は、上手く使えたかわからないけど……。でも、そんな感じだったかもっていうのは、なんとなく、わかった……」


「それで、つまり。わたしは久志くんが住んでいた街に憧れて上京して、また離れ離れじゃ、上手くいかないね」

 彼女の瞳に、涙が浮かんでいた。

「あの、ごめんなさい。今の全部なかったことにしてください」


 え?


 全部、なかったの?


 ……ごめん、少し、その気になってしまったかも。オレは気まずくて、顎に手をやりながら反対側を向いてしまった。すっかり、上手くいかない恋を妄想して、感傷的になっていた。


 女はいつだって切り替えが早い。オレの方が、すねた中坊みたいだ。



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