『青春貯金』ごっこ
彼女の言っていることは、わけがわからない。
『青春貯金』という考えは、まあ、個人の自由として認めるとしよう。アリだ。しかし、貯金を下ろして今更、何に使うつもりなんだ。まさか、慈善事業に寄付とかじゃないよな。
春は挑戦的な瞳でこっちを見ている。オレが彼女の話そうとしていることに理解を示すのか、試しているようだ。しかし、理解と言っても、オレは『青春貯金』はしたことがないわけだし。
「わたし、貯金してたの。青春と一緒に。ずっと楽しむことを我慢したの。みんなが楽しんでても我慢。お兄ちゃんと同じとこに行けるように我慢してきたのよ」
……。迫力に気圧されてしまう。ちょっと待て、聞きようによってはストーカーじゃないのか?
「だから、久志くん。改めてつき合ってください。ずっと言えなかった。年の差もあるし、ね……」
着ていたパーカーの袖を軽くつまむように引っ張られる。おいおい、少しはハタチ超えて大人になったんじゃないのか?
「あのさ、つき合うかどうかは別にして、お前、大人のつき合い方、できんの?その、青春時代のそれとは違うんだよ。男はやさしいだけじゃないしさ、女のコだって多少は打算的になるし、結婚願望とかあるだろう?」
春は短い髪の毛を細くつまんで、その毛先を見つめていた。一体、どんな学生生活を送ってきたのか。
「そうだねぇ。勤め帰りに手を繋いでお散歩して、川べりでクローバー摘んだりはしないってことくらいはわかってる」
唖然。もちろん、しねーよ。
「夏の暑い日に、帰り道、夕焼け見ながらアイス食べたりもできないし」
おいおい、マジか。
「夏休みは会えない日も多くて、夜空眺めてたら流れ星流れて、一生懸命、お祈りしちゃったり……。あ、これはしました。お兄ちゃんがお盆に帰ってきて、会えますようにって。そして、できればわたしに声をかけてくれますようにって」
手が、お祈りの形に組まれてるし。
まったく一体、どういう風にオレのことを美化したらそうなるのか、全然、わからん。
「春。手を出して」
「あ、はい」
オレは春の手を握る。彼女の指が細くて長いのは、たぶん長いことピアノをやってたせいだ。細いくせに、節々がしっかりしている。
春はというと、これまた、中学生のように顔を真っ赤にしてうつむいている。かわいそうに、小さく震えて……。
「はい、オレと春は初めて手を繋ぎました。小学生のときとは違う感じで。ふたりはつき合うことになったから。そうだなぁ、春が中学生でオレ、高校生でおけ?」
こくん、と、うなづく。実際は五つ離れてるわけだから、中学一年生と高校三年生で、けっこういかがわしいことになるけど、『青春貯金』を試しに崩してみよう。
当然この頃は、オレは青春真っ只中で。
受験もあったけど、高校時代も仲がいいクラスだったから、勉強だけじゃなくてまさに忘れられない高校時代を送っていた。
彼女もいたけど、受験が少しずつ近くなってお互い時間も割けなくなり、別れてしまった。吹奏楽部でフルートを吹いていた子だ。
「でも! その翌年は久志くん、上京しちゃうよ」
「そうだよなぁ。春はまだまだ中坊だから、東京に遊びにおいでって言いたくても言えない。遠距離恋愛だな。残念。春が高校生になって、オレは大学の三回生だ。就職を考えるときだな」
「うん……。年の差って、縮まらないのね」
春が見るからにしょんぼりとして、抱えた膝に顔を埋める。せっかくしてきた化粧が崩れるのも気にしない。
「でも高校生になればひとりで都内に来られるようになる。ふたりはようやく、努力すれば盆暮れ正月以外にも、会えるようになるな。近所の人目も気にしないで済む」
がばっと顔を上げた春の目が輝いた。少し、架空と言えども理想的なシチュエーションになってきたらしい。
「わたし、新幹線で行くよ!」
「オレも駅に迎えに行くよ。そうしたら、手を繋いで東京観光できる。ふたりで、そうだな、お前の行きたいところに行くよ」
オレは無言で春に手を差し出して、
「遊園地なら、観覧車には乗らなきゃな」
と言った。春はオレの手を取って立ち上がった。観覧車は部屋にないので、ベッドにふたりで腰掛けた。
現実にはその頃は一つ年上の女のコとつき合っていた。それは高校時代とは違った恋愛で、ガンガン突っ走ったり、ドロドロしたり……結婚を考え始めて、終わった。
春が思うように、簡単な恋ではなかった。
そっと、肩に手を回す。彼女にもそうしたように。
大学も三回生だろ。高校生になりたての女のコとつき合ってたら、オレも何言われるかわかんないよなーとか妄想する。
春の顔が真っ赤を通り越して、目も潤んできた。春も『貯金』の間、妄想したのかな。
「久志くん……空いてる方の手、繋いでもいいですか?」
「うん、いいよ」
ヤバい、なんか、かわいい。高校生かと思うと、なおさらヤバい。実際、春は童顔だ。
「ねぇ、会話が弾まないね」
「そうだな、離れてた時間が長いから、言葉にならないのかもよ」
「そっかぁ……、みんなも高校生のとき、こんな風にドキドキしちゃうこと、あったんだね、きっと」
本当にすべてを『貯金』してたとしたら、なんだかそれは哀れだ。
だって今こうしているのは、ほんの余興に過ぎなくて、これが高校時代ならまた違った感想を持ったに違いない。
例えば、「わたしは年上の彼氏がいて、みんなよりちょっとだけ、進んでる」とか。
それで不憫に思って、しかもそんなことはちっとも考えないで妄想に浸っている春がかわいく見えて、何も考えずにそっと抱きしめてみた。
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