継ぐ者も無く

 走り去って、光を受ける光廣の視界に広がったのは、再びの祭りであった。本殿に入って、そう経ってはいなかったはずだが、その太陽の位置は明らかに動いている。夏の日差しが、照り付ける時間。近くで、かき氷を食べる子供の姿も見えた。その視界の端、いつの間にか立てられていたテントが目に付く。そこには、この暑い中でキッチリと喪服を着た数人の者が、金髪の人形を囲む様子があった。よく見てみれば、その人形は、生きた少年である。


「ん? 格由家の所の坊じゃないか?」


 喪服のうち、一人がそんな声を上げた。呆然と立ち尽くしていると、その一人は光廣に近づいて、顔を覗く。目があったのは、染めた赤が抜けていない、黒髪の青年だった。


「お前、あれだろう。金糸屋に仕えてるんじゃないのか。主人はどうした」


 その青年は、目元の隈が印象的で、その不健康そうな顔と軽そうな体躯は、力の弱い光廣でも殴り倒せそうである。怪訝そうに、不機嫌そうに言う彼に、光廣は言った。


「貴方達こそ何をしてるんですか。アマテラスともあろう人が、こんな場所に」


 アマテラスと呼ばれた青年は、ハッと鼻で笑いながら、ポケットから煙草を一本取り出す。この今にも死にそうな顔をして、こちらを睨みつけている青年こそ、この場にいる管理課の交渉部を率いている、管理課交渉部陰陽長——その座名をアマテラスと呼ばれる、三善みよしりんであった。


「何って、ほら、さ、今年の鎮魂祭の異常を調査しにだよ」

「でも、貴方は調査部じゃなくて、交渉部でしょう」

「あぁ、うん。それは俺もそう思うよ。でもさ、お前も知ってるだろ? 俺の目」


 鈴の目、黒く光を吸収するような、その目は光廣を見る。煙草に火を点けようとしたその瞬間、彼はふと、後ろを振り向いて言った。


「千里眼くらいじゃん、入らずにこの本殿の中見れるの。管理課の中では俺が一番見えちゃうし、それで連れて来られたんだよ」


 常にそわそわと落ち着きがなく、管理課という国家公務員であることを除いたら、ただの不審者とも取れる彼は、金髪の幼子を指さした。


「ところでアレは何だ」

「え、知りません。僕の知っている子じゃないです」

「見た目からして魔女だが、豊宮家の管轄か? コイツはタイプみたいで、今はまだ素性がわからないんだ」


 首を傾げる二人に、自分が話題に上がっていることに気づいたのか、その子供は僅かに唇を動かす。


「あの、当主様は、その、その中に吸い込まれていきました」


 たどたどしい音声で、言葉を辿る。


「その当主様ってのは、豊宮和一か。それとも別の宮家の当主か」


 迫るように一人、鈴は少年に目を合わせた。黒く深い瞳が、ハニーブロンドが反射させる光すら吸収するようだった。


「カズト様です。黒い服の人と一緒に、鶏を追いかけて、入っていきました」


 じっと見つめ返す彼を見て、鈴は鼻で笑う。


「うん、嘘じゃない。嘘ではないが傍から見るとギャグだな。一緒に行ったのは淳史さんだろう。あの人、意外と突っ走るから」

「どうするんですか」


 光廣が問うた。鈴は少し怪訝そうな表情で、周囲を見渡し、再度光廣を見た。


「さあね。淳史さんは俺が指示出したり探しに行ったりできる人じゃないし、今回の問題は、一般人に危害が及ばない限りは宮家だけで解決すべきことだろ。隠密部が隠しながら、調査部と討伐部が動いてはいるけど、中にまでは入る許可が下りてない」


 そのはずだよなあ、と、周囲にいた数人と目を合わせる。全員がこくこくと頷いていた。


「俺達に出来るのは、ここで一般人が神隠しや異界に巻き込まれるようなことがないように見てること。もしも本殿の外に厄介なのが出てきた時は、そりゃあ、仕方がないから動くけどさ、出来るだけ戦いたくはねえよ。戦ってしまった時、どうなるかは、見なくても分かる」


 ずるりと、毒でも口の端から放つように、鈴は言った。光廣の後ろめたさと、言い出せない言葉を知るように、何度も彼は重みを落としていく。


「ここは黄泉平坂だ。伊邪那美だけじゃなく、それよりももっとヤバイのだって眠ってるんだ、その片鱗に何度俺達管理課は蹂躙されたと思ってる。しかも今回は何だ、月読や天照までちゃっかり便乗してるじゃねえか。お前も逃げとけよ。お前の主人は人間じゃない。あっち側に属した存在だろ、勝手に帰って来るさ」


 相手が何もしゃべらなくても、自分ですぐに理解できてしまうからだろうが、適切に、正論を延々並べる三善鈴の姿が、光廣にはある一種の苛立ちを湧き立たせる。解しているのだろう、この男は。しかし、共感はしていない。あぁ、一夜や、あの当主達、主人達に似ている、と思った。力持つが故の、最上部からの目線。この男はもっと無自覚にそれをする。

 光廣は声色を尖らせ、言った。


「そうだったとしても、僕には大宮真夜の行く末を見続ける義務がある。貴方達はそんな僕達に協力する義務がある」


 淡々と、丁寧に。光廣は普段見せない、覚悟を持った言葉を謳う。


、一度だけで良いです、手伝ってください。今、皆はあの本殿の中、異界の何処にいて、何をしているんですか。大宮一夜は何を呼ぼうとしていて、今、何が迫ってるんですか」


 スッと息を吸った。べとべととした何かが礫のように吐き出されるようだった。


「多分、あの状況を放置しちゃいけないんです。あの中で、あちら側からこちらに踏み込んでくる神々が、沢山いるから。でも、人間である陰陽師では止められない。だから、早く、皆を正気に戻さなきゃ」


 喉の奥から度々出て来こようとする言語を飲み込んで、光廣は出来るだけ通じるようにと言葉を紡いだ。考えても考えても、身に沁み込んだものが出ようとするのを抑えながらでは、簡単に伝わるような、洗練された語彙は現れない。お願いだから、くみ取ってくれと、鈴を相手に目を合わせる。空虚で全てを吸い込むような彼の目であれば、きっと、全てわかってくれていると、信じていた。


「――――ふぅん」


 しばらくの沈黙の後に、固まった時間を動かす様に、彼は溜息を漏らした。口寂しいのか、手持ち無沙汰なのか、わさわさ空で手を握ったり開いたりしている。


「まあ良いさ。俺は君影の末端だしな、それくらいは頭も許すだろ。お前らに恨まれる方が何倍も悪い方に転がる可能性が高い」


 鈴がそう言った裏、その部下達がひそひそと話をしていた。その会話は、およそ、さて、アマテラスが倒れた時にどうしようかだとか、発狂したらすぐに隠そうという話ばかりである。その間に挟まって、ただ黙ってじっとしている少年が、妙に静かだと思えた。


「うっせーぞお前ら! ちょっと黙ってろ! 俺だって使いたかねーの! 千里眼なんざ!」


 ヤニ切れか、それともまた別の苛立ちか、鈴はそう言い、光廣を見据える。そして、邪魔だと手でぶっきらぼうにどけると、本殿の前に立った。スッと深呼吸をすると、意を決して、空間に手を伸ばす。

 暫くして、次第に、脂汗をかいて、足元をふらつかせる。手指が震え、ふと、伸ばしていた手を引いた。ドンと地面に大の字で伏して、空に向けて浅い呼吸をする。


「おい、おい、聞いてないぞ。これは聞いてない」


 一人、呟く鈴を光廣は覗き込んだ。


「何が見えましたか」


 より一層顔が青白く、体温の引いていく鈴の目は、ある意味理不尽な怒りを伴って、光廣を見ていた。


「お前、お前さ、お前お前お前」


 震えて、文字列を並べる。


「アイツ、アイツが片鱗を取り出しやがった。最悪だ。誰も最深部に行かせるな。黄泉の国の最奥に何がいると思ってる。蜻蛉が、刀が、煩いから、目を覚まそうとしてる。クソ虫。時すら超えてやがる。あぁ、あの無能が、無能、無能め。何も知らないくせに。あぁ、全ては最後、根源に繋がっている」


 毒と反吐を続けざまに、三善鈴は頬を掻き毟って、光廣を罵った。それは正気ではない。反復横跳びで、感情をその辺にまき散らしている。


「調査部を呼ぶ。討伐部もだ。これは手に負えない。誰か一人でも根源に、最奥にたどり着く前に、全員捕まえろ。本殿から出せ。儀式を中止させろ。誰か一人が、アレに、天津甕星に辿り着く前に、神社の外に引っ張り出すんだ! 良いか! 早く!!」


 空気が震える。何かが動き出したのを見た。何にも悟られることなく、それらは本殿の中に入っていく。


「君はこっちに。ありがとう、うちの上司に仕事をさせてくれて」


 隣で暴れ始める鈴を宥める一人の管理課職員が、それと合わせて光廣の肩に手をかけた。すぐにそれを払い除けて、光廣は言った。


「……いや、僕は行かなきゃ。主人を止めに行ってきます。皆が揃って最奥の根源に至ろうとしているなら、僕もそこを目指せば、ギリギリで止められると思うんです」

「それじゃ、君も彷徨うことになる。無謀だ」

「それは大丈夫です」


 ハッキリとした声で、光廣は、少しだけ微笑んだ。


「僕達は黄泉平坂の構造を知ってます。だから、最奥に行く手前、全部の道が一度集まる場所があるのも知ってるんです。根源に至る前に、誰もが皆、そこに集まる。そこへの近道も、知ってるんです。教えてもらってるから」


 本殿の暗闇に、身を包ませながら、光廣は再び笑う。


「管理課は僕ではなく、外の一般人と、そこにいる子を保護してください。大宮本家の屋敷なら、休めると思いますし、今あそこにいる佐々木さんなら、管理課でも受け入れてくれると思いますから」


 ずるりと飲み込まれ、また、光廣は本殿へ足を踏み入れた。外からは、それが、静かな暗黒にしか見えない。つい先ほど、少年や、数名の管理課職員——陰陽師が入り込んだというのに、その姿は全く見えなかった。それが、この場所が明らかなる異界であることを示している。


「螺旋階段の横から、誰かが、誰かが伸ばしてるんだ。手を、手を。真っ黒で、赤い、破壊が、来てる。横道を流れて、それが、ゆっくり、災禍を流して」


 唾液を流し、ぶつぶつと呟く自分の上司に、その陰陽師は、溜息を吐いた。か弱そうな少年達はこうも勇敢に異界に臨むのに、何故、この人は、と。


「アマテラス、ほら、疲れたでしょ。一回引きますよ」

「俺は、俺は。嫌だ、行きたくない。怖い」

「……医療部と少属も要請しておきますね」


 ダラダラと何かを口ずさみ続ける三善鈴を、職員二人で持ち上げ、光廣に言われた場所へと連れて行く。最後の一人が、あの金の少年の手を引いた。


「――――魔女が来る。魔王の娘が、原罪が来る」


 ぼそりと、耳元で鈴がそう言った。え? と、聞き返した頃には、既に鈴は唾液と涙で塗れた顔のまま、気を失っていた。最後の戯言だろうと、肩を持っていた二人は、顔を突き合わせ、足を前に出す。




 再び黄泉平坂に入った光廣は、暗闇の中を駆け抜けていた。足元に何かが絡みつく感覚が、自分の何かを目覚めさせようとしているようにも思える。どうも、カズとアカデミーに言って、死にかけた時から、身が軽い。自分で自分を修復したあの日の感覚は、忘れられないものになっていた。幼少より叩きこまれた脳内地図を頼りに、ゴールに走る。


 ————菊理媛は、多分、捕まえた葛木君を悪いようにはしない。ただからかってるだけだ。探し物ってことは、玉依姫を追って、根源の近くに誘おうとしてる。


 光廣にはその確信があった。べたべたとする足の裏には、蜘蛛の糸が撒かれている。その糸は、菊理媛の髪。彼女の領土を示す証。黄泉平坂の奥、根源の手前、千引の岩の周辺で命と死の縁を待つ彼女を辿る術。玉依姫、真夜が何処に向かっているのかは、何となくではあったが、想像がついていた。彼女は常に死の臭いに引き付けられるところがある。それは、神寄せの巫女としての性質か、一人の少女の死を写して真夜として生きているからか、どういった理由かは曖昧だったが、彼女が最深部に向かっていることだけは理解出来ていた。菊理媛がその真夜を探していた葛木を、飽くまでも人間でしかない葛木を誘うなら、真夜の傍か、海夜の何か欠片のようなものの近くだろうと思える。光廣は、菊理媛をそういった存在だと知っていた。そして、菊理媛が光廣を逃がしたのも、彼の役目を菊理媛が知っているからだ。


 ————葛木君にも、手伝ってもらおう。きっと、彼も正気を保ってるはず。


 葛木龍ノ介は人間である。神の欠片も持たない、完成された、仕え人。僅かでも神の撒いた種が植え付けられている者は、この空間で正常でいられない。

 だからこそ、不安要素があった。三善鈴の号令で、陰陽師の数人がこの黄泉平坂の中に入っている。もしも、もしも。


 ————もし、陰陽師に宮家出身がいたら。式神と融合しているような、既に人でないものがいたら。


 それは、きっと、本性を表して、人の形を保っていない。大宮真夜が玉依姫として今、光廣の目の前で佇んでいるように。


 開けた着物が、その女神の美しさを引き立たせる。雰囲気の半分は、真夜だった。立ち止まった光廣は、その長身の女を見上げる。膝を付き、敬うように、息を浅く吸った。


「……みっちゃん?」


 穏やかに彼女は言った。真夜の人格もきっちりと機能している。光廣は立ち上がって、玉依姫に駆け寄った。


「真夜様! 良かった! 無事で! もう黄泉の国に行ってしまったのかと思った!」


 光廣がそう言って迫ると、玉依姫は彼を撫でて微笑む。それは母性の象徴。母神たる彼女そのもの。真夜ではなく、玉依姫としての瞳。人間性に欠けたそれを見て、光廣はすぐ道を譲った。


「私はもう奥へ行く気は無いわ。貴方はここで、奥に行こうとする人達を待つんでしょう」

「はい」

「でも貴方がそんなことしなくても、門番がちゃんといるわ」

「知ってます」

「一夜ちゃんも、もう奥で儀式をしてる」

「僕はそれを止める気は無いです。彼は逆に、ここでなら大宮一夜として分別が付いてるでしょうから。他の人達が、無暗に奥へ行って、眠りを妨げないように見張るだけです」

「そう。なら、良かった」


 クスリと笑う。光廣は道の真ん中で正座して、根源を背に向ける。玉依姫の背を眺めていた。彼女が次に何処へ向かうか、これも見当はついていた。


鸕鶿草葺不合尊ウガヤフキアエズノミコトは、おそらく、蜻蛉の鈴の音を頼りに向かえば、出会えると思います」


 最後に一言そう添えると、玉依姫は振り返った。


「ありがとう」


 遠くに聞こえる鈴の音が、少しずつこちらに向かってきていることを察しながら、光廣は微笑んだ。白い糸達は、いつの間にか密度をより濃く、黄泉平坂の地面を覆っていた。

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