弐章:死海編
嬲る友
それらしい振舞いと言葉選びは、成程、社交的ではある。元々のルックスの良さと、あまり誇張しすぎない個性、珍しい立場。全ての要素を良い方向に持って行けている。誰も彼を疑わないし、批判しない。どうしても批判したいだけの人間を除けば、彼を、黒いセミロングのクセ髪の彼を、否定する人間はいない。青い瞳は人間味が無いが、それも、人々を惹き付ける。女性らしさも兼ね備えた表情や仕草が、中学生とは思わせない。いや、それよりも、どちらかと言えば、その、高めの身長が中学三年生と思わせないのだろうか。顔とは相反する男らしい体付きは、不安定だが魅力的なバランスを取っている。そんな有利に進める要素の塊だからだろうか。誰も彼も、その眼帯の裏を気にする者すらいない。それが、気が付いているものには不安で仕方がない。
「こういうところだからやっぱり、僕のこと警戒する人が殆どだって思ってたけど、意外としないものだね。ちょっと拍子抜けっていうかさ、ここ二週間で驚いたよ」
羚が、鞄を置いた畳の上で、胡坐をかいて言った。障子に映り込む数名の参拝者の影を見つつ、胴体をゆらゆらと揺らして、語る。
「ただねえ、一番びっくりしたのはね、大宮って苗字の人多いんだなってことかな。うちのクラスは二人もいたし、他のクラスにも何人かいるみたいだし」
ピクリと、一夜の眉が動く。
「あ、この話題ダメ?」
「いや、別に」
一夜の少々冷たい返答に、羚はうっすら笑う。何がしたい、何のための言葉か。取捨選択はいつも、常に、迫られているものだ。
「大宮家って一夜君が本家で、他はなんなの?」
「分家だな。名前を冠して、黒い髪に赤い瞳、破壊っていう能力を持っているが、神獣の加護を持ってない。でも、いつでも本家に成り得るっていう感じだ。見た目と能力を持ってる奴は結構いるしな」
和紙に一筆一筆、何か、書いていく。一夜は羚の言葉を返しながらも、そんな調子で、目を合わせようとしない。
「……何をやってるの」
羚が、その筆の先を聞く。一夜は虚ろになにも暫く言わずに、ふと、動きがひと段落してから、呼吸を整えるように溜息をついて言った。
「御朱印の札作ってんだよ。俺がいない時に御朱印貰いたいって人多いから」
「ふうん」
平日は学校だからと、少しの子供らしさと、この神社、黒稲荷神社の神主であるということを察せられる言葉を繋ぐ。判子と朱を棚から降ろして持ってくると、一夜はもう一度溜息を吐く。
「で、本当に聞きたいことは何だ。そのお前のクラスの大宮家のことか? 言っておくけど、俺は分家の大宮の事とかあんまし知らねえからな」
「え、そうなの」
羚は拍子抜けしたような、間の抜けた声を上げる。
「あぁ、あんまり仲良くないからな。主に親父のせいで」
そうなんだ、と、一息に、羚は相槌打つ。機嫌が悪くなったらしい一夜の小さな眉間に微笑む。ゆるりと流れる時間に、一度は身を任せて、羚は立ち上がった。明るい赤の日の光が入る障子に手をかけた。
「ねえ、今日はテトリンは遅い日?」
羚が問う。一夜は少々記憶の引き出しを引きながら首を傾げた。
「いや、今はスーパーにいる頃だろ。真樹も一緒に買い物するって連絡入れて行ったんだし……」
実に、嫌な予感がする。何を言いだす。豊宮に関わっていた人間はろくなことをしないと、一夜は知っていた。
「……何やる気だ?」
先手を打とう。そう考えて、一言言い出すが、それはもう遅いことだった。羚はニヤニヤしながら、障子を開ける。外の光と風が直接漏れる。漏れるというよりも、被る。三つの人の影。参拝者だと思っていたそれ、特に二人の少女は、見覚えのある瞳の光をしていた。黒い長い髪が僅かに夏を含む春の風に流される。赤い大きなリボンで、二人の少女はその黒い髪を飾る。服は自分たちが着ていたのと同じ、亥の島中学校の制服。少女二人は女子制服であるが、一人、その二人の一歩後ろに立つ少年は男子制服である。鏡写しの少女二人、黒髪赤目の少女二人は、逆光を浴びて、後ろに少年一人を立たせて微笑んだ。
「ご機嫌よう。当主様」
少女の一人が言う。にっかりと笑って、一夜よりも大人びた顔形で口を動かしていく。
「何故今まで呼ばなかったの? 入学祝いの一つくらい投げつけてやろうと思っていたのに――――ねえ、海夜?」
「えぇ、そうね、真夜ちゃん」
鏡写しの少女たちは、一夜にそう放って、ニコニコとずっと笑っている。人形のようで、それが不気味で仕方がなかった。真樹がいれば騒ぎは大きくなっていただろう。心臓を掴むような一種の恐怖が、一夜の中にもあった。自分がいつも鏡で見ている赤い瞳。それと同じ瞳を持って微笑む彼女らが、不気味で仕方がない。
「羚、お前とんでもない奴ら連れて来たな」
皮肉にもならない直撃言語で打つ。
「ただのクラスメイトさ」
羚が酷くいたずらの笑みを、本当に楽しそうに浮かべた。何かの意志を持っての事なのか、そうとしか思えない。
「――――大宮家、金糸屋の跡取り娘の、姉の真夜と、妹の海夜で、ございますよ」
後ろに立っていた少年が紙マスクを通して、くぐもった声で言う。パサッとした黒髪に、煉瓦色の瞳を抱え、特徴的な丸眼鏡をかけた少年は、ニコニコと笑いながら、双子に近づく。
「俺はこの二人の守護者、葛木龍ノ介って言います。ま、堅苦しいのは苦手何で。ご主人たちも臨戦態勢解きましょうねぇ」
フッと瞬時に、真夜は表情を崩して、何もかもを見下したような表情を作り直す。
「態度まで貴方に指図されたくないんだけど」
愛らしい声は、棘のある薔薇のような言葉を孕んだ。知的な雰囲気が、彼女が跡取り娘であるという風格を現す。ただ、少々、性格に難があるといった感じで、妹の方の海夜もまた、笑顔を崩して、少し不安そうに見ていた。
「……守護者は従者じゃないんだ。主人が生きられるなら、指図だってするだろ」
一夜がそう言って、台所に向かおうとした。
「何無視してるのよ」
一夜と同じように、真夜も眉間に皺を寄せて、言葉を放つ。だが、行動を止められた本人はそれを気にもせずに、すり足で台所へそのまま向かった。
「何アイツ」
一言、つまらなさそうに真夜は言った。だが、すぐに一夜は畳の上に戻って膝を三人の前に置いた。
「玄関から入れ。お前らの立場と俺の認識的に話が長くなりそうだ。こんな時間だ、夕食を食ってくならそこの……葛木、金糸屋に連絡入れておいてくれ。今茶を沸かす。羚、とっととその障子を閉めろ」
手に持っていた盛り塩を障子の前に置いて、立ち上がって、一夜は睨んだ。
「その不躾な馬鹿どもに土足で入られちゃたまらんからな」
伏目で、羚は了解の意を示して、障子を閉めていく。完全に閉めきる瞬間に、ひょいと首だけを外に出して、驚く三人を見渡して、言った。
「実に面白くなってきたね」
にっこりと微笑んで、ぴしゃりと、大宮家の障子に隙間は無くなった。外からは憤慨する少女の雄たけびと、嫌味のような笑い声が聞こえた。
修羅場というのだろう。ちゃぶ台を囲んで、少女が二人と、少年が三人、渋い茶を飲みながら、甘めの菓子を貪りながら、怒鳴りあうのだから。いや、正確には、少女が一人で怒鳴って、もう一人の少女がそれに狼狽えて、一人の少年がそれを宥めつつ、少年が一人で怒鳴り散らす声に冷静に言葉を返し、その情景をある一人の少年が微笑みながら観察している。
「本当にアンタって! アンタって!」
「俺が何だよ」
「最低よね! まるで何事も蚊帳の外みたいに! こっちのこと何も知らないなんて! 血縁者なのに!」
真夜の発言は支離滅裂という四字熟語のなんでもなかった。一夜は何を言われても、相槌打つだけで、それが更に、真夜の思考の減退させて、吐き出させるだけにしているらしい。だがそれがどうしたと、一夜は何度も茶を飲んでいる。
「俺だって別に知らないわけじゃない。大宮家の双子、それだけ価値はあるからな」
価値、という言葉で、真夜はさらに激しく舌を回した。
「価値って何よ!」
ふと、その声が泣きそうになっている声だと気が付いたが、一夜は実に冷静に、動じずに、彼女の言葉を聞いていた。
「アンタが男だからってそれだけで価値になるの!? 儀式にも失敗した! 弟も守りきれなかった! それでもアンタが当主! 男として生まれたから! 双子で生まれたから!」
「話はそれだけか」
ガシャンと、板がひっくり返る。茶も、何も、全て、ひっくり返る。一夜の小さい一言と、一夜の素早い蹴りで、宙に全てがひっくり返って浮いた。ちゃぶ台の重みと重力で、音を立てて襖が割れる。加速もなく、一夜は驚いて動かない真夜の懐に入り込んだ。自分より高い背だ。簡単に首を掴める。和装であり、洋装の真夜より瞬時に動くことは不可能に見えるが、一夜は、真夜の首に少し体躯に似合わぬ大き目の両手を添えた。添えて、グッと力を込める。ぎゅっと、肉と骨を掴む。皮膚は陶磁器の表面のように、艶やかであった。子供だからそれに欲情しないというわけではない、ただ、一夜の中に、怒りしか残っていなかったから、ただ、それだけである。ただそれだけで、一夜は周りが反応するどんな速さよりも早く、動けたのだ。
「器が違うんだ」
低く、獣の唸り声のような声で。
「お前の母は、宮家があった歴史上最高の素質を備え、神獣に愛されて、神獣を狂わせた女か?」
強く、獣のような本能で。
「お前の父は、この世で最高と謳われる呪術師か?」
謳う。
「違うだろう。お前の母親はただの守護者。父親は『ただの大宮家』だ。どこにお前が当主になる正統性がある。無いな。全くもってない。あるとすれば」
一夜は理性で、白目をむく少女から手を離した。自らの首の後ろで、針に刺されるような痛みを感じたからだ。項を斬られる予測を取って、最後に一夜は唸った。
「優秀な守護者を持ってるってことだけだ」
一夜は手を上げる。葛木は手にクナイを持って、それを一夜の露出した白い項に当てていた。血が垂れる。皮膚は切れていた。多少の痛みは感じられる。神経の鋭さが、そこで発揮される。怯えた海夜の顔を一度だけ見て、ほくそ笑む。
「でも俺の守護者の方が優秀だ」
そう、刃物を当てられている一夜が言ったのには、きっちりと意味がある。
一夜の後ろを取り、項にクナイを突き付ける葛木と、その葛木の横に立って、彼の顎、その柔らかい部分に、刺せば脳味噌まで十分に辿り着きそうな長さのナイフを、羚が突き付けている。羚の認識のスピードとそこからの反応速度は人間を超越した速さである。まず、一夜が真夜に襲い掛かるのを予測し、それを止めようと葛木が動くのを確認し、彼が殺害に至る前に、クナイが動き切る前に、彼の顎にナイフを突きつけた。
「嬉しい。一夜君、僕のこと守護者って認めたんだね」
子供じみた声で、羚が言った。しかし、一夜は何も言わずに、葛木のクナイを手で跳ね除けて、葛木を見た。
「自分の主人が死なないように努めるなら、もう二度と俺の家に来るな」
理性で撫でた獣が見え隠れする。羚が引いたのを皮膚の感触で実感し、葛木は怯える海夜に駆け寄る。
「俺、気楽に生きたい所存なんですけど」
グッと、海夜が葛木の腕を掴む。振り払って、手を引いて立たせる。足が震えてうまく動かないらしい。肩で支える準備をしながら、気絶に近い真夜を背負う。
「無理そうですかねえ。こんなんじゃ」
「あぁ、無理だな。お前がそうしたきゃ、その二人の教育を徹底しろ」
齢十二の少年が言う言葉ではないだろう。そんな文章を出すだけ、彼は彼女らとは違うのだと突き付けられる。正にナイフを突きつけられているとの同じだ。圧倒的な威圧と異常さ。それを抱えて動く彼の頭の中。
「……学校で会うかも知れませんが、気にせずに接してくれますか?」
まだ問うのかと、一夜は目を合わさぬ葛木に近づいた。
「流石にパンピーの前でこんなことしねえよ。する奴は馬鹿だ」
重きにおくのが何かを聞き出したかったのだろうと、すぐに察した。葛木の眼鏡がライトと僅かな夕日の光を返す。一夜の返答に納得したのかはわからない。だが、葛木の口元は緩んでいた。
「真夜のご主人に言っておきます」
泣き出しそうな海夜を後ろに、彼は言った。その顔は微笑んでいたが、一夜の後ろからの殺気を相殺させるように、また彼も、殺気を出して対抗している。
三人が玄関に出れば、そこにいたのは学ランを着こんだゲンであり、全ての騒ぎを聞いていたようで、ニヤニヤと三人を見ていた。全てを把握している者の優越に浸りながら、ゲンは三人を見送る一夜に言った。
「おいブラコン。手配はしておいたぞ」
「ご苦労」
境内の外から、車のエンジンが聞こえる。おそらく、真夜と海夜の家の者たちの迎えだろう。一人で二人の少女を歩いて持って帰るのは、流石に少年一人では無理だ。少々の悲鳴も聞こえる。二人の母たる人が共にいたのか、それとも、それ以上の慈愛をかけていた従者がいたか。それはもう知らぬことだが、一夜は、自分で返したちゃぶ台を元に戻すべく、屋敷の居間に戻った。
――――あぁ、きっと御朱印は全てパアだ。
少しの後悔を思い浸りながら、嬉しそうにしている羚を押しのけて、廊下を静かに歩いた。
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