夕に海へと
一夜たちの通う亥の島中学校には、多くの『宮家』と呼ばれる家系の子女達が通っている。彼、彼女らは、宮家であるが故に、どんなに裕福であっても、この、黒稲荷神社が守護する亥島地区で生きるなら、公立中学校である、亥の島中学校に通う他ない。これは宮家が、破壊や創造などの能力を使い始めた始祖の血脈にあること、霊能者の頂点に立つ者達であること、『神』から受ける寵愛が多大過ぎることに帰依する。それと同時に、宮家から血筋的に離れていってしまったり、宮家以外から自然発生した霊能者の家系の子らも、亥の島中学校には通っている。彼らは仕え人の一族と呼ばれ、宮家に従い、宮家を守る。特に、宮家の命令に従う事を重視されるも者を、従者と呼び、宮家である主人を命をかけて守る事が重視される者を、守護者と呼ぶ。
既に、一夜は亥の島中学校に入学して一ヶ月程度になる。その中で、学年や他学年で、何となく見知った顔を見かけたり、「覚えているか」と絡まれていた。一夜はその多くの人物を全く覚えてはいなかったし、一方的に相手が見たことがあるだけであったりが多かった。だが、先日の、同じ家系にある、大宮家の双子の姉妹のように、突然、神社まで押しかけてくることは無かった。それは、他の宮家が、一夜にはどんなことであっても勝ることは出来ないと、そんなことに意味はないと知っているからだ。だからこそ、真夜が何も疑わないように自分を罵倒し、双子の妹の海夜と、守護者の葛木が付いて行ったのかがわからない。
「いーちーやーくーん」
わからないと言えば、もう一つ、ある。
「なーにーしーてーるーのー」
運動会の練習だとか何とかで、体育着を着る。そして校庭に出て走ったりする。運動会の組み分けはクラス縦割りで、今日は二つのクラスが一緒になって、本番と似た環境での練習。クラスメイトたちは白熱している。一夜自身が出る競技は、騎馬戦だとか借り物競争だとかで、今は出番がない。
「起きてるー?」
そう、出番がないのだ。しかも、いつも隣にいるヒヨも足の速さと体力の多さを買われて今、長距離走の勝負に出ている。フセも女子競技のルール説明とやらでいない。ゆったりと、思考に浸れる。そう思った。
「一夜君どうしたの?」
「いっちっやっくーん」
何故だ。何故なんだ。
「何でお前らが相手クラスなんだよ……何で真樹とクズが同じクラスだったんだよ……」
陽気な二人の声は、脳から意識を引きずり出して吊るし上げる。カズがニヤニヤと一夜を見た。真樹は純粋無垢を装って微笑んで便乗する。成程、余程暇らしい。
「暇なのはわかる。わかるぞ。凄くわかる」
同情しよう。そのふりを見せよう。とっとと帰ってくれ。自分のクラスで自分で親睦を深めてもらいたい。俺とあまり、今は、深くかかわるな。
一夜はそう思って、遠くを見ながら言葉を寄せる。しかし、カズは未だ気味の悪い笑みを浮かべるだけであるし、真樹はそのままで首を傾げているだけだ。
「暇なのが理解出来るってことは、お前も今暇だろ? なら、俺の話を聞けよ」
カズの話の切り出しは突拍子もなく、それでいて筋は通っているから厄介だ。そのことを今思い出した一夜は、自分が如何に愚かかを思い出した。
「……あぁ」
苦々しい。そんな感情をまるっきり表に出して、眉間に皺を寄せて、目を伏せて返事をする。それを見てまたカズが笑った。
「なら良い。話はまあ前に樒から聞いているから分かってると思うが、俺は、お前と協力がしたい」
――――言ってんだこいつ。
第一印象はそれしか浮かばない。だが、記憶を辿る。真樹を救出したとき、いや、する前に、樒が何か言っていたのは覚えている。真樹を救出するのが、確か、対価だとか、何とか言っていた。
「どの口が言う」
そうだ、そうだった。そもそもその対価も、一夜から協力するためではなく、カズ達が協力したいからかいたお節介を撤回するためのものだ。
「俺達、お前らの命を救ったろ。それなら信頼あるだろ」
「ねぇよ。馬鹿か。細好の異界を思いっきり難易度上げまくったうえに、頭おかしい奴を畳代とか言ってただ働きさせてたやつに信頼なんかあるか」
暫しの沈黙。不思議そうな顔をする真樹を前に、カズと一夜は目を合わせる。
「何がしたいんだか知らねえけどな。俺の能力を使うだとかそんなの、信頼もクソもねえお前にさせてやるかってんだよ。破壊がしたきゃな、分家にでも振れ。俺は分家が何やろうと知らねえからな」
「当主のくせに無責任だな。いつか引き摺り下ろされるぞ?」
「どうだろうな。出来ることならやっていただきたいもんだ」
無責任さはどちらにあるのだろうと、問いかけてみたいものだが、それを一夜は我慢して、カズの後ろから来る、昨日見た三人に気が付いて止めた。その気配に、カズと真樹も気が付いて、そちらに顔を向けた。体育着を着ているのは一夜達の三人とも同じである。ただ、体形的に、金糸屋の三人は大人びているのだ。昨日はまとめていなかった長く美しい髪を、今日は二人ともポニーテイルにしている。髪が揺れて、どちらかわからない少女が言った。
「今お暇?」
口が動けばすぐわかる。これは姉の方の真夜だ。
「そうだな。どうでも良いことを話していたから、暇だった」
カズが、なにそれ、と、言っていたが、それも無視して話を続く。
「なら良いわ。お話ししましょう」
「まだ諦めてねえのかよ」
「いいえ。そういうことじゃないわ」
ふうん、と、一夜は鼻を鳴らす。体育の時でもマスクを頑なに外さない葛木が、真樹の背をつうっと撫でて座らせた。反射的なものだ。それを利用した。海夜は自然にカズの隣に座り、一瞬驚くカズへにっこりと微笑む。当たり前のように、真夜も一夜の隣に座る。その時、一夜の肩に真夜の肩が当たった。
「真夜ちゃんね、あの後、母さんと父さんにめいっぱい叱られちゃったの」
「仕方ないじゃない。最近、気が立って仕方がないのよ」
「っていう、言い訳をしたら父さんに更に怒られちゃって」
何も知らないカズと、知る一夜を双子は挟む。その隣で真樹で遊ぶ葛木がいた。
「で、謝りに来たと」
一夜が結論付けた。その通りのようで、真夜が押し黙る。少し話しただけでもわかるが、真夜は実にプライドが高い。言葉に出しにくいことは多いだろう。
「言っておくけど、俺はお前に何て言われようとも昨日のことを忘れる気はない」
びくりと、真夜の肩が震える。一夜の声が低くなる。獣の唸り声のそれと同じ低周波を放つ。
「俺は理由を知らない。理由はいらないからだ。結果がある。俺が機嫌を損ねたという結果。お前が不躾にも程があるという結果。それだけで十分だ。気にすることが無い。だから俺は謝られても、お前を許さないし、人間として下にしか見ない。今の状態じゃな」
一呼吸で全てを言うには長すぎる。冷静を装うための視線の先に、ヒヨの走る姿を見て、もう一度吸う。
「だが次の結果を出すなら別だ。塗り替えろ。謝罪はいらない。誠心誠意、俺達本家に媚びるがいい。お前らのどっちか、当主になるんだろ。金糸屋の」
その話題でか、それとも意識せずに一夜が表情を出していたか、二人は固まる。そこまでで、カズがこらえきれなかったようで、一声上げた。
「んん? 何、お二人はあの金糸屋の跡継ぎのお嬢さんたちなの?」
そうだ。と、一夜が短く返す。すると、ほどけたように、裏返すように、真夜が、続いて、そうよ、と言う。
「大宮家金糸屋の真夜と海夜よ。父は篤夜。母は樒家出身の燈子」
「いや、知ってるけど。うちの樒の親戚にあたるし」
うちの樒とは、おそらくは、一夜の想像する、担任の樒であっているんだろう。あんなのと血が繋がっていると考えると、一夜は少し口角が上がった。随分と、似ていないものだと。それとも、二人の母親はあの樒と似ている部分があるのだろうか。あの悪魔のような男と、似ているのだろうか。
「樒佑都は豊宮の本家にいたわね、そういえば。従者として」
ふと、葛木に髪や言葉遊びでで遊ばれていた真樹が首を傾げる。
「葛木さんは従者なの?」
一瞬、葛木は真樹にそろえて首を傾げて笑う。
「俺は守護者っすよ。真樹君。肉壁っす。肉壁。丁度、一夜君で言う羚君とかゲンさんみたいな」
あぁいや、羚君はちょっと違うのかもしれないけれど、と、訂正しつつも、一夜もうんうんと頷いているのを見て、真樹は正解を知る。
ふと、六人の座る場所が暗くなる。雨雲でもかかったかと、四つの人型の影を見て思いながら、一夜達は首を上げた。白衣に暑そうなセーターで糸目の男、赤ジャージの目つきのきつい女、柔らかそうな頭髪のベストの男、そして、えらく見知った笑顔の、悪魔のような男。
「やあ、長距離走、終わりましたよ。自分の競技練習、しに行かなくて良いんですか?」
樒がギラリとその本性と歯を見せて笑う。校庭を眺める女は、真夜と海夜の肩を叩き、立ち上がらせた。それと同時に葛木も付き添うように立つ。
「また話の続き、したいから。後姿見つけたら声かけるわよ」
暗殺の予告か何かだろうかと、一瞬思いつつも、教師であろう女に連れていかれて、校舎の何処かへと消える。駆け足で、その四人が消えたことを確認すると、樒が言った。
「あぁ、三枝先生のところの子だったんですね、あの子たち」
「三枝?」
一夜が問うと、樒はまたアハっと声を上げて笑った。
「えぇ、羚君の担任でもありますよ。三枝みのり先生。あだ名は『教官』だそうで」
思い出し笑いでもしているのか、白衣の男が噴出した。
「何、アイツそんなあだ名ついてるの」
癖のある響きの声が、一夜の耳に刺さる。聞いていて耳に不快感のある声だった。平気な人は平気なのだろう。真樹とカズは普段通りの表情で、男三人を見ていた。
「ま、必然的な名付けだと思うけどね」
ベストを着こんだ男はそう呟いて、校庭を見る。鼻歌鳴らしながら、ニコニコと笑った。その視線の先を追うと、背の低い、少年がこちらに走って来るのが見えた。えらく急いでいるようで、息を切らして、それはそれは美しいフォームを作って足を動かしている。
「弟切先生!!」
座る一夜の前にまで来て止まったと思えば、そう叫んで、ベストの男、弟切の顔を見上げた。その顔は息を切らしているのが絵になるような、少女のような顔であった。
「何だい」
冷静に、実に冷静に、弟切は尋ねる。まるで何を聞かれるのかわかっているようで、走ってきた彼が息を整える時間を与えるために、あえてゆっくりと口を動かしているようであった。
「真夜ちゃんと海夜ちゃんたちはどこに行ったんです!!!」
「さあ。みのりちゃんに連れていかれちゃったから知らないなあ。でもまあ、葛木君いるから色々と大丈夫じゃない?」
「それは……そうですけど……」
「学校生活、楽しみたいなら、割と大方、彼女たちを葛木君に預ければいいよ。君には奇跡的に、そんな立場にいながら、その権利がある」
静かに、含み笑いをしながら言う。少年が喉を動かす。唾をのんだらしい。少し咽た様子で、うつむく。すると、一夜と目が合って、軽く会釈した。
「僕の主人がごめんね。本当に失礼してしまった」
一気にそれで呼吸を整えると、では、と、一言言って、校舎へと、心臓を慣らすために歩いて行った。その後ろ姿に疑問符を浮かべながら、一夜はもう一つの気配に目を向ける。一つだけの青い瞳に眼帯、黒いセミロングの癖毛は束ねられて、体操着のような、白いTシャツと紺の短ズボン、少しもかいていない汗。にこやかに、人かどうかも分からぬ少年、羚がこちらに落ち着き払って歩いてくる。
「どう? 僕、早かったでしょう」
羚がそう言うが、一夜はただ無表情のままに口だけを動かす。
「いや、見てなかった」
そう。と、少し残念そうに、羚は肩を落とす。その顔を見ていたカズが笑っていた。
「他人の失敗を笑うなっていっつも言ってるだろアホガキ」
「お前が言うな……って痛い!」
カズの無防備であった額に、樒は口元を笑わせたままデコピンを食らわせる。咄嗟にカズが自分で額を隠したせいで、一瞬ではその状態がどんなものだったかはわからなかったが、多少、皮膚が赤く腫れてはいた。
「もうすぐチャイム鳴りますから。次、帰りの会ですよ」
フッと、樒にしては珍しい、溜息を吐く。
「君影せんせー、これ体罰ですよねー、担任的に許せませんよねー」
黙って笑いをこらえていた白衣の男、君影が、カズにそう聞かれて、樒と似た笑みで言った。
「さあ。私、樒君の味方だからどうとも言えないな」
チッと、大きなカズの舌打ちが聞こえた。隣にいれば、何となくその音は大きく聞こえてしまう。君影の声と共に不快感を増しながら、一夜は耳を塞ぐこともなく、立って、ズボンのごみを掃った。それに、少し遠くから、ヒヨと、フセと、授業終わりのチャイムの気配を聞いて、その場を立ち去る。ほんのりと、自分の肩から、血の臭いを感じた。
事務的な帰りの会が終われば、窓は美しい夕焼けであった。外をボーっと眺めるが、聞き耳は立てて、樒が何を言うか察知し続ける。かいた汗が少し臭う。帰ったらすぐに風呂に入ろうと、心に誓って、小さく溜息を吐いた。樒はもうすぐ運動会ですからとか、体調に気を付けてとか、そういう話をして、今、終わりにしようとしている。それを欠伸をかいて聞く者もいれば、最早眠そうにして、意識を落とそうとしている者もいる。にへらと笑っている樒の顔が少々、うざったくって、視界をリセットする意味で、瞬きを繰り返した。
その新たな視線の先にあったのは、もう放課後となったらしい隣のクラスの者たちで、その中に、真樹とカズの姿を見据える。へらへらとしているカズに対して目を合わせて、裏ピースをしながら、口パクした。
『消えろ』
微かに、扉の向こうから、冗談きついだのと聞こえた気がするが、それに対してにっこりと一夜は笑う。あぁ、気持ちが悪いと、そんな言葉も聞こえる。
気が付けば、幾つかの目線が自分に向いていて、その中に、今まで自分に声をかけて来たもの以外がいる事がわかった。ただ単に、一夜の奇行に気が付いて、面白そうだと思って見たのか、只々、一夜が悪目立ちしたから見ていたのか。それとも、一夜のことを知っていての事か。わからないが、ただ、まずいことをしたということだけは理解できた。樒はおそらく、面白がってなにも言わないのだろう。目線の数が次々増える。ヒヨとフセはカズの方を見て睨んで唸っている。
「……とまあ、皆さん。気を付けて帰ってくださいね。隣も下校してるみたいですし、こっちも終わらせちゃいましょうか」
待ちきれない人もいるようですし、と、ふざけて樒は物を言う。少し、クスクスと笑いが起きたが、次の瞬間で、その笑いが全て欠き消えたのに気が付く。
日の入りの光が痛かったのに、消えている。視界が青く、一夜は自重が変にふんわりと軽くなっていることに気が付く。吐き気がする。これは、拒絶反応である。知っている。この感覚。外を観察する。暗くて何も見えない。何もない。自分の周りを観察する。夕焼けの中の教室、学校そのもの。だが、それは深海に沈没したように、青く暗くなっている。樒と、ヒヨやフセを含めた一部の生徒が、心底驚いた顔で、その場に浮いているのだ。そう、今、この状況は、水中と同じである。上手く、体が動かない。しかし、プールの中のような動きにくさではなく、歩いたり走ることは、意思があれば出来そうである。そこまで考えて、自分たちが何処にいるのか、どんな世界にいるのかの検討がついた。
「こんな時に異界巡りかよ……」
一夜の呟きが、泡になって浮いて、割れて消えた。
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