疑いを討つ

 少し、体が軽く感じる。いつも朝目覚める時のような、あの夢微睡みが混在する、思い体は、寝起きであるはずなのに存在しない。一夜はそれを不審に思いながら、薄らと目を開けた。

 夕焼けと、花畑と、人間の子供が一人入るくらいの、白い殻の卵。その全てが破壊されつくし、粘ついた養分液だけが垂れ流されているようだった。幾つかはまだ中身の原型があるらしい。固形物も遠目で存在を確認する。人の形の固形物を。

「おい、目え覚めてんなら返事しろ」

 ボヤけた輪郭で、いつも見る、ゲンの悪態が過ぎった。蚕絲の金糸と春の空の目。いつもと違うのは、少々機嫌が悪そうだということと、好き好んで着ているはずのフード付きのジャンパーを着ておらず、中のシャツ一枚を顕にしていること。腕に彫られた文様の刺青が目立つ。

「色々説明してもらわなきゃならん。いくらお前でも、やらかし過ぎだ、阿呆」

 記憶と神経が虚ろな中で、そう言われても、一夜は上手く反応できない。上半身を起こして辺りを見回すが、見覚えのある人影が、ゲン、リュウ、細好の三つある。そして、見知らぬ、全く覚えのない者が二人、あった。黒髪セミロングに、医療用眼帯と海のような瞳の、所々赤いシミがあるシャツの、少年。困り顔の細好を膝に乗せて、我が子のように頭を撫でて胡座をかく、大柄の、少年の瞳と同色の青い髪を靡かせた、女性。女性は白い着物のようなものを着ていて、見える皮膚の所々に、青い鱗が生え、夕焼けの赤い光を反射させている。少年はその少し遠いところで、腕を縛られ寝そべっていた。その様子も、何処と無く楽しそうで、少し不気味である。

「……俺が説明欲しいんだが。この状況はなんだ。何があったんだ。細好が書き換えた世界だろ。細好ならわかるはずだ」

 そう一夜が口にすると、更に深く深く、ゲンは眉間にシワを刻んだ。その皺を正そうとしているのか、ゲンは指で目頭を押さえる。そして、難しい表情で細好の方を見た。

「細好、どういうことだ。話にならねえぞ」

 ドキリと、細好が動揺する。その様子を一番近くで感じていた女性が、唸る。

「嘘をつくならもっとマトモな嘘をつけ、エギー」

 憎悪を顕にして、それを打つける。だがそれは一夜にはかすりもしなかったようで、やはり、一夜ははてなを浮かべたまま、表情を崩さない。それどころか、その言葉に新たに言葉をぶつけようとまでする。

「エギーって誰だよ。お前、昔に会った誰かと間違えてるんじゃないか? お前、異界の生き物だろ? 人間の寿命はお前とは違うんだ。その可能性は十分にあると思うぞ」

 至極冷静に、一夜は言う。いつもの一夜である。それは、見知る三人には簡単に理解出来た。彼は正気だ。まだ十三歳にもならない子供ながらに、大人と同じような意見をする、そういう、異質なことを平気でやってのける子供。相手がどんな存在であれ、構わずズカズカと土足で個人情報を踏み荒らす、少年。それに怒りを表すのは、大人の特権だ。

「そんなはずは無い。お前の臭いはエギーと同じだ。少なくとも、その髪その目はアイツの血を継いだ人形である証拠だ。ならばエギーが入っていてもおかしくはない。つまりお前はエギーである可能性が高い」

 聞いている本人からすれば、論理性が欠落した論。もう、論とすら言えないだろうが、女性は声高らかに言う。

「お前があの、鬼のエギーであるならば、私はお前を世界座標の果てまで追ってでも殺す。絶対に殺す」

 ピリピリと空気が張る。女性に頭を撫でられ続ける細好が、もう何もかも諦めたような表情で、こちらを見ていた。

「と、言われても、俺は事実、エギーとかいう奴じゃないし、それっぽい先祖も知らな……」

 急に、口が止まる。ふと、思い起こす、逸話やら、伝説の数々。その中の一つを思い出して、そちらへと意識を集中させてしまっていた。脳内検索。思考検索。引っかかるワードが、一つだけ。エピソードは自分の知る記憶の内、一握り。

「どうした、一夜」

 ゲンの声で、目が覚めた。女性は未だ、自分の答えを睨んで待っている。

「黙秘権だ。これは不確定なネタだ」

 その言語が、揶揄なのか、事実の反映なのかが、自分にはわからないと判断した。バスでの真樹には、文献資料のそのままを伝えたに過ぎない。自分がまだ咀嚼しきっていないものを伝えただけだ。そのはずだ。と、一夜は黙って自分の頭にそう言い聞かせる。

「あまりふざけているともう一度踏みつけるぞ」

 突然の脅し文句に、一夜は戸惑った。否、戸惑ったのは、女性の発言に対してではなく、女性の言葉に反応して、一夜の前に出たゲンの殺気へである。

「こっちも、あんまりふざけんならテメーの頭落とす気はある。筋の通らねえ殺すだ生かすだを言うな」

 そんな時になって、ゲンのジャンパーが、自分の体にかけられていたことに気が付いた。自分を救おうとしているらしいゲンの話に耳を傾けるよりも、自分の近くにあるものの方が、何となく重要に思える。女性の方に目を向けて、その膝に抱えられている細好とアイコンタクトを試みるが、疲れ切った表情で、反応を示さない。細好に手を添えようとしているリュウの動きがぎこちない。小さく、一夜は溜息を吐いた。

「ねえ、そろそろ限界なんじゃないの」

 膠着を一瞬で解く、少年の声。優し気で、女声にも聞こえる、男声。発したのは、溜息直後の一夜ではない。女声の後ろに縛られて寝そべる、眼帯の少年である。

「一夜君と源次さんはどうにかして状況をリセットできたけど、細好君はこの世界の書き換えを行っている時点で、リセット出来ない。リセットしたらそれだけで、ここは振り出しに戻るからね」

 流暢に、丁寧に、少年は首を鳴らしつつ、微笑んで言う。不思議と、一夜にとっては惹き付けられる声であった。だが、それを遮るように、ゲンが飛び切りの低音で唸る。

「うるさい。何がリセットだ。お前に発言権は今は無いぞ」

 獣のようなそれにさえ、少年は含み笑いで受け答える。

「この檻にそんな権利を言うことは止めるべきだ。ここは細好君にとっての自由の世界だ。そうなるように一夜君が術式を消し飛ばしてるんだから。今、現状、この世界の核は細好君。そういう決定権は細好君にある」

「よく理解してるな、お前」

 興味を持つように、少しばかり明るい声で、一夜が喉を転がす。それに半分くらい驚いて、ゲンが一夜を手で制止した。

「一夜、下がれ。こいつとくっちゃべんな。こいつは一度、お前と俺をナイフで殺した」

 脳内処理。状況整理を行う。そんなことをされた覚えが、そんな、殺されるという恐怖を感じた覚えが、一夜にはまるでないのだ。きょとんと、一夜がしていると、女性の膝の上でだるそうな細好が、病んだ声で口を動かす。

「……お前とゲンが彼女……龍王に殺されかけてたところに突然降って現れて、龍王の首をナイフで欠き切って、そのナイフでゲンの首を切りつけたと思ったら、今度はお前の胸を突いたんだ。そしたらお前たち二人とも、傷が全部消えた。顔色も、うちの屋敷に来たときよりも良くなってた。何より、前回からの持ち込みの傷すら消えて無くなっていたんだ」

 細好が言いきると、リュウが細好の頭を撫でた。女性、龍王は、撫でる手を代わられても、唸ることは無く、ただ、撫でられる側と撫でる側とを交互に見つめて、目を細める。

「成程。それは確かにリセットってわけだ」

 不思議と一夜はその状況に対して、冷静であった。頭が妙に冴えているのだ。おそらく、傷がないからだろう。結果しか見れない今の状態では、他人の主観混じりの事実は、あまりにも心に響かない。

「龍の血は高エネルギー体の一種だ。それを意識体に少しだけ入れてあげれば、意識体の傷の回復には全然応用が利く」

 少年はそう言って、突然、縄を緩ませて、立ち上がる。彼を縛り上げていた縄には、鋭利なもので切られた痕が、少し遠目に見てもわかる。

「でも死にかけ程度じゃ注入したエネルギーに体が耐え切れなくなって逆にダメになる。だから、注入と同時に、速やかに殺してあげないといけない。心臓を損傷させても良いけど、それじゃ一般的にはやりすぎになる」

 首を欠き切る時点で十分やりすぎだ、と、小さくゲンが言う。だが、それ以上の突撃をせず、一夜の様子を見守っている。その状態が妙に不可思議で、うずうずとした、違和感をリュウは感じていた。

「本人のエネルギーを壊すという意味で一番早いのは血液を外に出してしまうこと。ゲンさんにはこれで十分だったし、出血の調整が手軽だった。でも一夜君は血液を外に出す程度じゃ寧ろ足りない。だから、心臓を止めて、その中にあるエネルギーに損傷を加えた」

 少年の進撃は止まらない。一夜がそれに頷き、ゲンは不機嫌そうに、歯をガチガチと鳴らす。辛うじて意識を保っているような、細好を一瞬、一夜は確認したが、その目線を再度少年に向けなおすと、少年はにっこりと微笑む。

「まあ、それでも足りなかったから、目覚めるのに時間がかかっちゃったけどね。というわけで、気分はどうだい。一夜君」

「あぁ、悪くはない」

 一夜が呟くと、少年はそう、と、短く簡潔に、答えを示す。その反撃のように、一夜は口を開いた。

「悪くはないけど、突然それをやられたら困る。龍の血が高エネルギー体だとか、そんな話、聞いたことが無いし。それにエネルギーを入れてやれば回復するほど、この体は単純じゃない。本当はどうやって蘇生した?」

 ハハッと、少年は笑う。

「そうだった、ここはあの世界じゃあないんだった。そうだね、君たちは彼らを高次元の生き物程度にしか考えてないんだもん。知ってるはずがないわけだ。でも、一つだけ、エネルギーの注入だけは答えられる。輸血だと思ってくれればいい。龍の血を輸血した。そんなものだと思ってよ。血液型は安心してくれ。龍の血は人工血液みたいなもんさ」

 小難しいことを、簡単に、さも一般常識のように、少年は披露し続ける。黙って聞いていたゲンが、犬歯を剥き出しにしているのを確認して、一夜は、また、今度は大きく息を吐く。

「わかった。わかった。了解した。ゲンも落ち着け。とりあえず、こいつの説明で腑には落ちた。何をされたのか俺はさっぱり覚えてないけど、俺達の体の傷に関してはとりあえずは解決だ」

 猟犬を宥めるように、一夜は唸るゲンのシャツを引っ張る。少年は威嚇をされても、嬉しそうに微笑むだけだ。まるで、それ以外の感情が抜け落ちているかのようでもある。それが、少しばかり、やはり、不気味であった。

「で、だ、その龍王だっけか。そこの女は龍ってことで良いんだよな」

 龍王の目を見る。相変わらず、細好に対する目とは違って、一夜を見る目は、怒りと憎しみに満ちていた。

「そう、俺に名乗ったんだ」

 細好が、弱々しく呟く。その声は先程聞いた声よりも、更に、覇気を失っていた。

「そんで、隠れてた卵とか卵の欠片とかを次々に出してきて、何度かお前を蹴ろうとして、それを俺が止めて、今に至る」

 ゲンよりも更に不機嫌そうな、静かな抵抗。そんなことをされても、龍王は細好を一向にその身から離そうとしない。まるで、赤ん坊を抱くように、子離れ前の親のように、ひたすらに愛を向けているとわかる。

「感謝しろって言ってんのか?」

 一夜が皮肉を言っても、あぁ、と、細好はやはり短くしか返せないようで、脱力して、龍王に体重を預けていた。リュウもそんな様子の細好を心配してか、二人に寄り添う。

「やっぱり、そろそろ儀式を終わらせるべきじゃないかな。このままじゃ衰弱が進むだけだよ」

 少年はいつの間にか一夜に近づいて、言う。その唇が一瞬、顔に触れそうになるほど近くに、少年はいた。

「何で突然衰弱しだした」

 一夜が呟くと、少年は冷静に答えた。

「突然じゃない。興奮状態から平常に戻ったから、症状が顕著になっただけ。貧血のようなものだよ。治すなら異界の外に出るしかない。外に出るには儀式をさっさと終わらすしかない」

「何を知ってる口を利く」

 リュウがゲンと同じような口で、言葉を叩きつけた。

「それは話せないな。少なくとも、ここを出るまではダメだ。それが今のところの契約だから」

「契約?」

 一夜が聞くが、少々、困った顔で、少年は言った。

「君にも話すなって言われてるんだ。まあ、雇われだから。真名も言えない。それで、まあ、一つだけ言えるのは、今回、ヒカケさん……あぁ、龍王の事ね。龍王を術式に組み込んで君らを儀式に引きずり込んだのは、僕のクライアントだ」

 眉が自然に動く。感情が露わになってしまう。それを止めようにも、感情的側面のある一夜には、それが今は出来ない。

「怒ってる?」

 少年が問う。一夜は目をそらした。

「一夜殿が怒ってるかどうかは知らないが、俺は今、貴様を八つ裂きにしたいくらい腹立たしいな」

 現状、殺気しか漂っていない空間に、更なる火が灯る。リュウが、龍王と共に、少年を睨む。それに対してすらも、笑みで返すのが、彼の手段らしい。

「八つ裂き上等! 首を跳ね飛ばされるより、ずっと派手で良いね!」

「ふざけているのか」

「ふざけてるよ。そうしないと、君ら、いつも重要なところ忘れるでしょ。興味を引かなきゃこっちの話聞いてくれないもん」

 割と本心だけどね、と、付け足しながら、少年は歩み、顔色の青い細好に向けて謳う。その過程で、リュウと龍王が少年に臨戦態勢で挑んだが、それを、細好はやめろとの一言で止めた。

「君のこれからやることは簡単。卵を孵化させること。孵化させるのは絶対に一つの卵だけ」

 少年の指の先は、半壊した卵たちへ向かっていた。

「好きなのを選ぶと良い。殻を壊して出してあげるんだ。それが唯一のやり方」

 どこにそんな、孵せる卵があるのかが理解できない。それは、客観的に見て、生きた卵がないということ。中身が飛び出た腐敗臭。

「……元々あったものは全て壊されてるな……」

 リュウが呟く。成程、やり方自体は、本来の儀式と同じだったようで、ただ、元々あった、本来細好が孵すはずであった卵は、全て破壊の限りを尽くされているようである。戸惑うリュウの様子を見て、少年はクスリと笑った。ふざけているようで、だが、一夜には何となく、彼が、不安を感じているように見えた。根拠があるわけではない。ただ何となくなのだ。何となく、不安が頭の中に押し込められているように見える。何となく、何となく、いつもの様子を知らないのに、いつもとは、彼が、少年の様子が、違うように思えてしまう。自分と彼の間に何があるのかがわからない。一方的に、少年は一夜たちのことを知っていた。正しくは、一夜を中心に知っているようだった。だが一夜は彼を知らない。彼の名も姿も、知らないのだ。知らないのに、何となく親近感がわいて、どうしても、周囲が彼を責めるのを止めたく思ってしまった。それが異常であることを理解して、口をつぐむ。一夜はこの感覚をつい最近、感じたことがあるのを思い出した。

 目を瞑って、あの、柳沢邸の折に出会った、鬼を思い出し、瞼の裏で咀嚼した。再度見た、異界という現実では、細好が、這いつくばって、ありもしない生きた卵を探し続けている。

「一夜君、手伝わないのかい」

 少年が問うた。一夜は答える。

「俺には壊すことしか出来ないから」

 自分でも驚くくらい、寂しそうな声だ。潤んだ声だ。

「珍しいね。泣くとは思わなかった」

「泣いてるか、俺」

「うん。結構だらだら出てるよ、外分泌液」

 涙とも鼻水ともいわずに、少年は淡々と言う。いつの間にか、リュウとゲンが細好を手伝っているようだった。その中に、気が付けば、更に、龍王がいる。壊れた卵を更に細かく砕いて、砕いて、砕いて、砕いていく。そうして、出来るだけ、見晴らしを良くしようとしているらしい。無駄だと、やはり何だかんだ、わかっている自分がいる。一夜は、眉間の皺を直すのに、手を目と目の間に置く。

「あぁ、本当だ。泣いてる」

 濡れた手を見る。少しべたついた滴が、手に落ちていた。

「泣いている理由は?」

 少年が問うと、また一夜は正解ともつかない正解を謳う。

「わからない。時々こういうことがある。俺にもわからないことが、俺の意志として動いてる」

 ふうん、と、興味なさそうに、さも、普通の事だというように、少年は笑う。阿鼻叫喚で、衰弱していく中で、腐敗臭の中に埋もれる細好を見て、更に笑った。

「壊すことしか出来ないのが悔しいんじゃないんだね」

「この力は割と使い勝手良いから。壊すだけでも結構な」

「そうなんだ。じゃあ、彼は何が出来るの?」

 もう一度、少年は指を一本平行に、細好に指す。

「細好? あぁ、創造だ。想像を具現化させる。作り出す……」

 ハッと、思いついたように、一夜は口を開けたままで、動けなくなりつつある細好を瞳に写した。少年が隣で笑っているのが、見なくても分かる。

「作り出すしかないなら作れば良いじゃないか。人類の進化とはそうやって続くのだから」

 少年が言った。一夜は走る。答えを届けに、一夜は、砕かれていく死んだ、腐敗の卵の海に、向かって行った。

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