ただ、死ぬのみ

成神泰三

第1話

 ああ、また一年がすぎた。1945年の1年は激動の1年だったが、2019年の1年は私にとってみれば、1日にも満たない。私にとって時間など、大した価値はない。世の中にはこびる時は金なり、などという言葉は、私からすれば何を世迷いごとを、と言った具合だ。あんな酸素のように無限に湧き出すものに価値を求めるのは、非常にナンセンスだ。人間というのは、弱さから共通認識を探し出し、それに価値を置くことに躍起になり、結果今のような息苦しい社会を生み出してしまった。1960年頃、そんな未来などいざ知らず、急速に発展する日本社会では皆、誰もがより良い社会を目指して働いていたというのに、便利と苦労が比例する世の中になってしまったのだ。


 しかし、ある意味これでいいのかもしれない。地球の誕生から考えれば、人類の歴史などほんの一瞬。その中でも様々なドラマが繰り広げられてきたが、共通して栄えしものは滅びるようになっている。そしてその時がこの日本にも来たのだ。まるでその現実を逸らすかのように、様々な捌け口が用意されているが、その事実に逆らう事などできない。なに、我々が滅んでも代わりの人間など、少なくとも世界に八十億人はいるのだ。人類は今後も相変わらずしぶとく生き続けるさ、少なくとも、この私は。


 もう何もかも試した。毒殺、絞殺、急性アルコール中毒、ヒロポン。考えれるだけの自殺方法を実践しては失敗し、最近は痛覚すらバカになってしまった。体に必要な防衛本能である痛覚を感じない。それはつまり、私が生きていると証明出来るものが、また一つなくなってしまったのだ。このまま聴力や視力も徐々になくなってしまったら、本当の意味で地獄の始まりだ。そんな恐怖を考えながら、日々を過ごすのが一番の地獄かもしれない。


 そんな私の日常は、もっぱら山の中のあばら家で完結する。都市部にいっても、身分を証明する物があまりにも古いため、いつも警察と睨めっこをするハメになる。元々飲まず食わずでも生きていける故、余程何かない限り、都市部に行くことは無い。それに、この年になると、私を知っている人間はすべて死んでいるため、余計山を降りる理由がないのだ。まあ、葬式に出ても、知人だと信じてもらえそうにないだろうが。


 さて、自殺も出来ずあばら家で何をするというのかと言えば、思考を無くす訓練をしている。肉体は死ぬことは出来ずとも、精神は死ねる。そう思い立ち、何も考えずにずっと壁に出来た隙間から見える外の風景を眺めるばかりだ。意外とこの訓練は上手くいっている。時々、本当に思考も何もなくなる瞬間があり、その間隔が段々と狭くなっている。この調子で行けば、私は死を迎えることが出来るかもしれない。あの世のことは、百年生きていても全くわからないが、早いとこあの世に行きたい。


 そんな日々を過ごしていた私だったが、ここ最近、珍しく変化が起きている。こんな山奥に、1人の少女が訪ねるようになったのだ。よく制服でくるから、女学生くらいだろう。初めて私を見た時は、明らかに人ならざるものを見るような目で見ていた為、幽霊か自殺者とでも勘違いしたのだろう。あ、自殺者というのはあっているな。


 名前は咲子、彼女はその整った容姿とは裏腹に、恵まれない学校生活を送っているようだ。同級生からはいじめられ、転校したくても親からは「いじめくらいで、恥ずかしい」と罵られ、絶望の淵の中、希望を求めてこの山奥に迷い込み、自殺を図ろうとしていたらしい。時間さえ過ぎれば勝手に死ねる体だというのに、わざわざ自ら死のうとするとは、なんとも贅沢な話だ。なんなら変わりたいくらいだ。


「お兄さん、本当に不死の体なの? 浮浪者特有の妄想じゃなくて?」


「お前本当に失礼な奴だな。前にお前の前で首つって見せただろうが。お前が持ってきたさんぽーるとかいう液体も飲んでみせたし、余ったヒロポンも全部打って見せたろ? まあ、別に信じてもらわなくても構わないけどな」


「仮に不死者だとして、なんで死ねないようになったか心当たりはないの?」


「ない。二十代で老けなくなったあたり、その辺に何か原因があるような気がするが、もう八十年も前の話だ。そんなに覚えていることがない」


「西暦で言えば、一九三八年から一九四七年の間だもんね。あ、丁度戦争していた時じゃん。その時のこと、大まかには覚えているでしょ?」


「……硫黄島で赤痢に苦しんだこと以外は覚えていない」


「嫌な思い出だね……花の二十代で覚えていることがそれだけなんて、なんか悲惨」


「ああ、赤痢だけに糞だ」


「汚い……」


「それよりも、お前だって花の十代だろ。私とこうして話しているよりも、もっと他に時間を使ったほうがいいと思うぞ」


「私友達いないし、家にいても親に怒鳴られるだけだもん。お兄さんと同じで、この世界に居場所がないもん」


「居場所がないか……」


 まだ十代なのに居場所がないとは、可哀想な話だ。私が十代のころは、そりゃ二二六事件とか、いろいろありはしたが、それを踏まえても、なかなか充実した十代を過ごしたものだ。いや、よくは覚えていないんだが。覚えてはいないが、少なくとも周りの同年代の若者は、自殺など頭の片隅にも考えていなかった。それに比べて現代の若者の自殺者の多さよ。国は口では対策をねっているようなことを言っているが、実際にやっているのは裏金集めだけじゃないのか? と疑問に思ってしまう。伊藤博文が見たら泣くぞ?


「でもね、こうしてお兄さんと話していると、なんだか凄く落ち着くの。まともに人と話したのが久しぶりだからかな? 凄く、居心地がいい」


「これから死のうと躍起になっている奴といて居心地がいいなんて、そりゃ病気だ」


「病気でもいいよ。むしろそのほうが気も楽だし」


「ヤケになるな。お前は俺のように不死者じゃない。探し続ければ、きっとお前の居場所は見つかるさ」


「自殺志願者に言われても、なんだか説得力ないなぁ」


「はったおすぞ」


 呆れた私は、頬杖をついて、思考を無くす訓練を開始する。あと少しなのだ。あと少しで私は死ぬことが出来るはずなのだ。しかし、咲子が来てから、この訓練に集中することができない。


「ねえねえ、その思考を無くす訓練とかいうの辞めなよ。無理に決まっているよ」


「話しかけんな。意識が戻っちまうだろうが」


「だって暇なんだもん〜。それにさ、そうやって思考を無くすことに集中している時点で、もう考えているわけじゃん? 考えずに生きていくなんて無理に決まってるよ」


「他に手立てがないんだよ。それに、実際意識がなくなった瞬間も訪れている。決して無駄なんかじゃない」


「うう、でもさでもさ〜」


「黙れ」


 咲子も決してバカじゃない。一度睨みつければ、口を噤んで下を向き、しばらくは静かになる。さっさとどこかにおい払えばいい話なのだが、それは私としても、何か負い目を感じる。もしかしたら、私もずっと話し相手を探していたのかもしれない。


「ねえ、お兄さん………」


「………………」


「お兄さんが死んじゃったら、私つまんないよ………」


「………………」


「無視しないでよ………」


「………………」


「……もう怒った!」


 頬を膨らませた咲子が、何やら良からぬことを考えて、私の真正面に立ち、顔を合わせる。大方私の目の前で大声でも上げて、邪魔でもしようといったところだろう。なんだか久方ぶりに胸の奥からむかむかしてきた。この感情は、なんというのだったかな?


「お兄さんどれだけ言っても死にたがるんでしょ? それってさ、お兄さんは体も何もかも捨てるってことだよね?」


「……何が言いたい?」


「どうせ捨てるんだったらさ、私にちょうだいよ! もったいないじゃん!」


「……すまん。それは私の死体が欲しいってことか? 言っておくが私の死体なんか食っても、不老不死にはなれんと思うぞ」


「お兄さん死ねないのに死体になんてなれるわけないでしょ! 今日から、お兄さんは私の物になるの!」


「……お、おお」


 なんだか、すごい頓珍漢なことを言われているような気がする。まあ、確かに自殺というのは、文字通り自らを殺すこと。自らを捨てるという表現も、あながち間違ってはいない。しかし、こんなじじいを拾って、何が楽しいのだろうか?


「今日の私は容赦しないからね! 徹底的に私の物だって教え込むんだから!」


「……具体的には?」


「……そんなの、決まっているじゃん」


 ボケっとしているところに、咲子の唇と私の唇が重なる。時間に換算すれば一秒にも満たないだろう。しかし、私の心臓は久方ぶりにフルスロットルで稼働し、永遠のようにすら感じる。こんな八十歳以上年の離れた子供相手に、何故私の心臓はここまでペースを乱すのだろうか、こんなことが、何故? 胸が苦しい。


「……ぐっ!」


 突然、鋭い痛みが私の胸を突き刺し、それが体中を巡って全身に染み渡る。こんな痛みは、今まで感じたことがない。まるで、今までの何かを清算するかのような、そんな痛みだ。


「お、お兄さん!? 大丈夫?」


「ぎ………!」


 痛みは加速し、もはや声すら出すことができない。痛みに比例して、心拍数も跳ね上がっている。ああ、そうか。すべてがわかった。私は今まで、ある意味生物としてすでに死に、時間が止まっていたのだ。それが今、確かに動き出している。


「ねえ、どうしたの!? 大丈夫なの!??」


 咲子が私の体をゆするが、もう手遅れだ。今まで眠っていた時間が、動き出してしまったのだから。ああ、こうして人は死んでいくのか。
































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