第2章 妹
2. 廊下にて
俺は、彩がどうして俺を教室から連れ出したのかという疑問の答えを探るべく、思考を巡らせていた。
彩がしたことを簡単にまとめてしまえば、教室に進撃し、兄である俺を連行した、ということになるのだが。
別に俺が授業中であっても急に連れ出されなければならないような問題行動を起こした覚えは無いし、そもそも入学したばかりの彩が生徒会役員やその他委員会の幹部になっているとは考えられない。
確か彩は、入学式で新入生代表として堅苦しい文章でどうせ叶いもしない
とすると、俺は確実に無罪だ。強引に罪を認めさせられたり、カツ丼を食べさせられたり、自分がカツ丼だと言ってしまったりすることとは無縁なのだ。
しかし、何の理由も無く今回のようなアクションを起こすということも考えにくい。だから、彩が俺を連れ出したのには必ず理由がある。
生徒会などの学校活動と関係ないのだとすると、彩が個人的に俺に用があった、ということになる。
だが、個人的なものの場合、その用が何なのか見定めるのはかなり難しい。何故ならば、その人の心情が大きく関わってくる場合が多いからだ。
心情を行動から推測するということは行動心理学の分野で実際に試みられていることだが、行動心理学の知識が皆無な俺にとっては彩の行動を見てもさっぱり何を考えているのか見当が付かないし、今朝はいつも通り元気で笑顔でキャピキャピしていたように思う。彩のエネルギー源はどこかの使えない水の女神から来ているのかもしれない。
やはり、いくら考えても答えは出なさそうだ。さっさと張本人に訊くのが手っ取り早いだろう。
「なあ彩、一つ質問して良いか?」
彩は目を細めてこちらを見下ろしている。
「…ねえお兄ちゃん、いつまで床と一体化してるの?」
「別に良いだろ。起き上がるの面倒だし」
「いや、人間なんだからせめて立とうよ…」
俺を引きずってきた奴がよくそんなことを言えるな。彩が俺を引きずってなければ、そもそも俺は床と熱い接触を交わすことも無かったんだぞ。床に
床に寝そべっている俺を見ていた彩はフッと笑ってから
「でも、ま、お兄ちゃんだから仕方ないか」
と言い、俺に優しく手を伸ばす。さすが我が妹、俺のことを良く分かっていらっしゃる。
差し出された右手を俺が
「それでさ、お兄ちゃん。さっき彩にゃんに質問しようとしていたことって何なの?」
彩は首を傾げながら俺をじっと見つめてくる。引き起こされたばかりだから向かい合わせだし近いし見上げられたら血の繋がった妹だと分かっていても顔立ちが非常に整っていて、かなり可愛い。
相手が俺だったから良かったものの、他の男子だったら確実に自分のことが好きなんじゃないかと勘違いしそうだ。
俺は一歩下がって彩との距離を確保してから頭を
「いや、別に大したことじゃ無いんだが、どうして彩は俺を教室から連れ出したのかと疑問に思っただけだ」
俺が現在、一番気になっていることのはずだが、無意識に「大したこと無い」と付け加えてしまった。
「それはね~、ヒ、ミ、ツ」
彩が口元に人差し指を当てつつ軽く口角を上げ、
女子が「今日は何の日でしょうか?」とか「いつもの私とどこが違うでしょうか?」って尋ねて来たとき並みに腹が立つな。
こっちが気になっているのだからさっさと答えれば良いのに。
「…じゃあ、俺は教室に戻るかな」
彩の相手をするのが面倒になり、くるりと向きを変えて教室の扉の方へ歩き出そうとする。
が、歩き出そうとした瞬間、後ろから俺の手が掴まれて、
「お兄ちゃん、わかった、わかったから、理由言うから行かないでよ」
「いや、だって学生の本業は勉強だって言うし授業はしっかりと聞いておかないと」
「そこは可愛い妹のために待とうよ!?」
自分で可愛いとか言っちゃうのかよ。まあ、実際に可愛いとは思うけれども。
俺は大きな
「お兄ちゃん、彩にゃんのために待ってくれてありがと」
「別に彩のためじゃ無いし。面倒事を避けたいだけだ」
本当の理由は別のところにあるのだが、さすがにそれを彩に言うわけにはいかない。現状に少しでも変化を与えてしまう要素はできる限り排除するべきだ。
「またまた~、素直じゃ無いなあ、お兄ちゃんは」
「俺はいつだって素直だし自分が満足できるような人生を送っているつもりだぞ」
「いや、そういうことを言ってるんじゃないんだけど…」
彩は呆れたような表情となる。どうやら俺のボケは彩には効果が無いようだ…。
「で、さっさと理由を教えて貰いたいんだが」
俺は本題へと話を戻し、彩との会話を早く切り上げようと試みる。今はあくまで授業時間なので、巡回中の教師に見つかったら面倒なことになりそうだからだ。
「そんなに彩がお兄ちゃんを必要としている理由が知りたいんだぁ~」
ニヤニヤしながらこちらを見つめてくる彩の頭の中は、おそらく兄に対する優越感で満たされていることだろう。何とも
「…そろそろまじで怒るぞ?」
「言う言う、今度こそ本当に理由言うから怒らないで!」
彩の言葉を信じても良いのか
「じゃあ今すぐ二十字で言ってくれ」
「昼休みにお兄ちゃんと一緒にご飯が食べたい」
「…は?」
あまりにも意外な理由だったので、即答だったのに丁度二十字であったことに感心することなど忘れ、
「だから、彩にゃんと一緒にお昼ご飯食べようよ」
下から俺を覗き込むようにしつつむすっとした顔で
俺は思わず頭を抱える。
「一つ
「何?お兄ちゃん」
「本当にそれだけの理由でわざわざ授業中に俺のところまで来たのか?」
「もちろん!」
即答かよ!しかも笑顔だよ!お兄ちゃん、失望したよ!
「はぁー」
大きな溜め息を一つ。けれども、彩がしょうもない理由で授業を抜け出し、俺を教室から引きずり出したという事実は変えられないわけで。
だが、だからと言って彩を叱ることは俺にはできない。彩の心に傷を付けるようなことはしたくない。
俺が言うべき言葉に選択肢など無かった。
「仕方ないな」
ストレートではないが、事実上の肯定。今、最も適切だと思える返答だ。
彩が何故朝会ったときではなく今になって、しかもわざわざ授業を抜け出してまで昼食の誘いをしに来たのか疑問だが、それを尋ねたところで俺に何かしら利益があるわけでも無い。その上、誘いに乗ったからには深く訊かないべきだろう。
彩は、
「ありがとう、お兄ちゃん」
とそれはもう嬉しそうにぴょんぴょんしていた。心じゃなく、体が。
嬉しそうな彩を見ていると、俺は安心できる。俺の選択が間違いでは無かったということが、目に見えて分かるからだ。
ぴょんぴょんしていた彩は、相当嬉しかったのか、俺に抱き付いてきた。
「ちょっ、彩、いきなり何を」
「いいじゃんいいじゃん」
実の妹だけど何かほんのり甘い香りが
「ちょっと、あなたたち何やってるの!」
「げ」
全く気付かなかったが、チャイムが鳴っていたらしい。授業を終えた
社会的に終わったな、俺。
血の繋がった兄と妹が抱き合っている姿を見たら、一般人は兄妹が禁断の関係にあるのではないかとほぼ間違いなく疑うだろう。
そして、朝山先生も例外では無かったらしい。
ましてや、朝山先生は未婚である上に処女(あくまで噂だが)なので、
いや、状況の分析はどうでも良い。とにかく誤解を解くことが先決だ。
「いや、これは、その…」
如何せん、俺にはコミュ力が皆無だった。頭の中に言葉が浮かばず、真っ白。これぞぼっち。
そんな様子の俺を不思議そうに見ていた彩は、抱き付いたまま離れようとしない。絶対に状況を理解してないな、コイツ。
仕方なく俺は彩に小声で囁く。
「彩。先生にこの状況を説明してくれないか」
速やかに事態を収束させたいので、必要最低限だけを彩に伝える。彩は賢いので、おそらくこれだけ伝えれば理解してくれるはずだ。
「うん、わかった」
そう言って、彩は「まかせて」とでも言うようにウインクした。俺が思っていた通り、彩は俺の意図を理解したようだ。
彩は抱き付いたまま顔だけ朝山先生の方に向ける。いや、だからまず離れろよ。
「先生、私たち付き合ってるんです」
「は!?」
前言撤回。全然理解してくれてなかった。
「そうだよね?お兄ちゃん」
「いや、何でそうなるんだよ!」
恐る恐る朝山先生の方を見ると、軽蔑の眼差しを俺たちに向けていた。どうやら朝山先生の中では、俺が妹ラブな変態にまで降格したらしい。
「君たち、ちょっと生徒指導室まで来なさい」
はっきりとした口調で朝山先生は告げる。
「え~、彩にゃん生徒指導室は行きたくないよぅ~」
彩は不満を漏らしているが、原因を作った張本人なんだよな…。そしていい加減離れてくれ…。
それを聞いた朝山先生は。
「行きたいか行きたくないかの問題じゃありません。兄妹で付き合うなんてこと、許されるわけがないでしょう」
と、厳しい口調で言う。
やっぱり朝山先生は勘違いしているようだ。いや、まあ彩のせいなんだけど。
「兄妹で付き合って何が悪いんですか!」
彩は必死に反論する。そもそも論点がおかしい。そして離れてくれ。
「とにかく、生徒指導室に来なさい」
朝山先生は彩の言葉を完全に無視した。
誤解を解くためには、生徒指導室に行って朝山先生と話をするべきだろう。
「…わかりました」
俺は仕方なく生徒指導室に行くことを了承した。彩はかなり嫌がっていたが、結局逃げ出すことは無かった。
妹は猫やってます。 雪竹葵 @Aoi_Yukitake
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