第一章 書けない原稿(8)
「ダメですか」
「ううん。この子を元の場所に返すのは私がするべきことだと思ってたから」
言われて納得した。
「この子に会った通りのどこかに部屋借りて、またやり直そうかなって」
でも、続く言葉には少し驚かされた。
「それがいいっすね」
とは言え、きっとそれでいいんだと俺は思う。もう彼女を苦しめたあの男が追いかけてくることもないだろうし。
「それともせっかく再会出来たのに、もうお別れなんて寂しい?」
「え?」
「志男クンがどうしても残って欲しいなら考え直すかもしれないよ」
「いや、その……」
どう答えたものかと思っているうちに、からかうような笑みが消えてしまった。
「でも、やっぱりショックだったよね。近所のお姉さんが、久しぶりに会ったらあんな男の女になった挙げ句、田舎に逃げ帰ってたんだから」
「すみません」
俺の口からは謝罪の言葉が出ていた。それを美羽さんは拒絶の言葉と受け取ったようだ。そんなつもりは全然なかったのだが。
「だよね」
「いや、その。本当、俺、小さい頃のこと覚えてなくて。だから美羽さんが近所のお姉さんだったとかわかんないですし、俺にとっての美羽さんは今日会っただけの美羽さんなんですよ」
「じゃあ、いいところなしだ」
「そんなことないですよ。自分がヤバいのに俺だけ逃がそうとしてくれたり、本当に優しい人なんだなって思いました。きっと小さい頃の俺は色々世話になったんですよね」
「うん、そうだよ」
でも俺はそれを覚えてない。なんて不義理なヤツだ。でもだからこそ思う。
「そんな人ともうお別れなんて俺、寂しいですよ」
それが俺の正直な気持ちだった。
「泣いちゃいそう」
そして美羽さんの返事がそれだった。それだけだった。それ以上何か言うと本当に泣いてしまうと美羽さんはぐっとこらえてるように見えた。
「…………」
「…………」
二人の間には沈黙しかなかった。土地神のヤツも疲れたのか猫の中に戻ってそのまま動かなかった。
それを引き裂いたのは俺の携帯の着信音だった。
「はいぃい、もしもしぃ!?」
慌てて出たら声が不必要に大きくなってしまった。それを見て美羽さんが笑う。
(もしもしー、
それは担当編集、水面
「えっと……面白いネタを見つけて──」
俺は仕事も忘れて女性にうつつを抜かそうとしてた罪の意識から、適当な話をでっちあげてしまった。
「土地神って知ってます? 土地を守る神様のことなんですけど。あ、そのままですよね。いや、その土地神がですね」
住民に忘れられたイケメンの土地神に遭遇した、忘れられた作家の青年の話だ。思いつきで言ってるだけなのに妙にすらすら出てくるのもそのはずで、それはただの俺の実体験だった。
(いいですね! 完成楽しみにしてます!)
そうこうしてる間にあっさり担当のOKが出てしまったのでもう引っ込めることも出来なさそうだ。
「あ、はい……」
電話を切ると美羽さんと土地神のヤツがこっちを優しい目で見ていた。
「志男くん、本当に作家先生だったんだ!」
「……はい」
「もしかして今回のこと書くつもり?」
「……ど、どうかな」
まずいことになってしまったかなと俺は言葉を濁したのだが、そう言うわけでは無かった。むしろ美羽さんは期待を込めて尋ねてきただけだったようだ。
「もし本になったら送ってね!」
「あ、はい」
業界の外の人は案外、自分のことをモデルにしてもらえると
「そうか、僕の話を書くのかあ」
そして業界の外なのは人間ですらない土地神様も一緒らしく、その目は美羽さん以上の期待の色で染まっていた。
***
十年、何しても書けなかった俺が書けるわけがない。と思っていたのだが、現実ってヤツは俺の想像を超えてくる。
慌てて取り組んだのだが、原稿は無事に書き上がり、送ると担当はおろか編集長のOKも即日出るほどだった。
タイトルは『出来る土地神のしつけ方』。これもなんとなく勢いでつけた。中身も自分ではそこまで面白いものとは思っていなかったのだが。
(いやあ、すごい反響ですよ。先生の久々の作品ってだけじゃなくて、読者からもあの土地神様がかわいいって手紙がたくさん来てるんです。私もそう思います!)
雑誌に載り世に出て、担当が電話で伝えてくる程の状況になったらしい。この調子では近日中に続編をお願いしますと言われるのは時間の問題だった。
俺は久々に書けた喜びよりもそのプレッシャーで押しつぶされそうなのだが。
「このもう一人の主人公とも言うべき登場人物、実に魅力的に書けているね。やはり元にした神様、現代の言葉で言うとモデルがいいからかなあ」
土地神のヤツは送られてきた雑誌を何度も読み返しては、俺に聞こえるようにそんなことを言って来やがるのだ。
「……だろうね」
俺はやはり
一応、それは認めてやろう。近いうちに否定するかもしれないが。
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