第一章 書けない原稿(4)
「それも覚えてないの?」
どうもそれすらも彼女にとっては俺が知ってて当然のことだったらしい。
「すみません。俺、小さな頃のこと覚えてないんです」
「……そっか、そうだよね。ごめん、わすれもんはこっちだよね」
美羽さんは失敗したなという顔をした。それがどうにも彼女には似合ってない気がして俺は話を戻すことにした。
「で、そのわすれもんって言うのはなんなんです?」
「ここの土地の言葉で、忘れっぽい人を怒る時の言葉かな。さっきのは『恩知らずー!』くらいの意味」
「ああ、忘れ者でわすれもんってことですか」
「忘れられたヤツのこともわすれもんだし、持ってくるべきものを持ってこなかったのもわすれもん」
「忘れ物もわすれもんなんですね」
そう言いながら、俺は前者の忘れ者の方が気になっていた。俺の足下をちょこちょこと歩いてる土地神様もわすれもんってことになるわけだな。
「何か言いたげだね、光くん?」
そして土地神には話が聞こえていたので俺の視線の意味もわかったようだ。
そうこうしてるうちに美羽さんは俺との昔の話をしてくれた。しかしそれは俺にとってはどれもピンと来ない話だった。
俺にとって小さい頃のことは忘れているというよりは無かったことになっているみたいなのだ。昔の話をされても、そういえばそんなことありましたね!とはならない。
「遊び回ってどろんこになった志男くんをお風呂に入れてあげたりしたんだよ?」
「……それはご迷惑かけました」
俺はそれでも話を合わせてるつもりだったが、美羽さんにはバレていたらしい。
「志男くん、本当に覚えてないんだね」
ズバリそう指摘された。
「なんでか知らないけど、本当に覚えてないんですよ」
「じゃあ、昔の話はこの辺にしておこうか」
美羽さんは少しわざとらしい感じで笑う。何かひっかかるけど、言ってもしょうがない。そう思ったのだろう。
「今は? 志男くんは何をしてるの?」
「今は……」
そして昔の話に続いて、俺はなんとも答えづらい話だなと気付かされた。
「こっちに戻ってきたんだよね」
「それは、はい」
「なんで戻ってきたの? 私みたいに都会で失敗したとか……じゃないよね?」
「今の俺は……何も出来てない感じですね。作家として一冊本出したんですけど、その後は何も……忘れられた作家なんです、俺は」
「そっか。志男くんは作家先生なんだ」
「今となっては元って言われちゃっても仕方ない感じですけど」
「ペンネームとか聞いてもいい?」
「いや、聞いてもわかんないと思いますよ」
「私、本とかあんまり読まないからなあ。だったら聞くだけ失礼だよね」
「別にそういうことじゃないですけど……」
「志男くんも色々あったんだね」
美羽さんが少し寂しい顔を見せた頃には辺りはすっかり暮れかけていた。夕日の赤色が俺や美羽さんを染めていた。
「そんなにイヤなことはないですよ。デビューしてただ忘れられたってだけで」
「私はむしろ忘れられたいくらい」
さっきまで明るく話してた美羽さんは沈む夕日と共にすっかり暗くなってしまった。
「そんなにイヤなことがあったんですか」
「聞いてくれる? それで何か出来るような話でもないけど」
「俺でいいなら聞きますよ。そのために来たようなもんですし」
「志男くんは優しいね。昔からそうだったけど」
その時、俺はズボンごしに足を触られるのを感じた。
「な、なんだよ!」
もちろん土地神のヤツの仕業だった。
「言うタイミングを考えてたんだけど、やっぱりさっさと言った方がいいと思ってね」
「……だからなんだよ」
俺が地面を見て話を始めたのを美羽さんは変に思ったらしい。
「どうかしたの?」
「いえ、なんでもないです」
俺が美羽さんに向き直った時、土地神の声が届いた。
「その娘は祟られているよ」
俺はそれに硬直し、『そういうのは早く言えよ!』という言葉を飲み込むのに必死になるしかなかった。
(マジか?)
それから目に言いたいことを込めるつもりで土地神を見る。
「本当の本当さ。近いうちに良くないことが起こるだろう。いや、もう起こってると言えるかもしれないね」
俺の言いたいことが通じたのか土地神は俺の返事を待たずに勝手に話を続ける。
確かに土地神の言う通りだろう。良くないことならもういくつか起こってる。
東京から帰ってきたこと。それで家に軟禁状態にされてること。さらに怪しい男が自分を探してる。これが祟りのせいというなら、その神の実力はこの土地神のそれを遙かに超えているに違いない。
「兄ちゃん、そいつはお前の彼女か何かか?」
しかし土地神が言ったのはそういう意味ではなかったようだ。ドスの利いた声に振り向くと知らない男が怒りの形相で俺を見ていた。
自己紹介をされなくても、その男が美羽さんを探していたと噂になっていたガラの悪い男なのは一目でわかった。
長すぎる金髪。妙にボタンの多いスーツ。首からだらしなく垂れ下がる長すぎるマフラー。さらになぜかサングラスを両耳にさしてブラブラさせていた。
(もう起こってるってこういうことかよっ!?)
恨みにも似た気持ちを込めて土地神を見る。
(こうなる前に言うチャンスいくらでもあったよな!)
「君が女性と二人きりで話したそうだったから遠慮してたんだ」
「こういう時だけ空気読みやがって!」
思わずツッコんでしまうが、相手が誰かわからない人間からすれば意味不明なクレームに聞こえただろう。
「あん?」
事実、かなりの不興を買った。
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