第一章 書けない原稿(2)
「……なるほど。ただの物理現象じゃないってわけだな。それは神っぽいかもな」
雷というのは高くて尖ってるところに落ちるもんだ。だから避雷針なんていう物も発明されたし、人が簡単に雷に打たれて死なないのもそういう性質だからだ。
「とは言え今のレベルじゃ人に使っても『痛ぇっ!』って言わせるのが精一杯だな」
「そのようだね」
その辺は素直に認めるんだなと俺は少し感心したのだが、土地神の方に意識を向けていたせいで別の異状に気付かされる。
「んん?」
「どうしたんだい?」
「お前、なんか臭くないか?」
一応、疑問という形にしたが俺は確信を持っていた。少なくとも異臭と言っていい臭いがする。その発生源がどこかと言えば土地神の方向だ。
俺にしか見えないその土地神が現実に臭うのかというのは若干疑問だったが、少なくとも俺には臭いとして感じられた。見えるし、声も聞こえるのだから、臭ってもそこまで変じゃないだろう。
「そうかい?」
しかしその臭いの源である土地神は自覚がないようだ。交互に手首の臭いを確認するが、ノープロブレムという顔で俺の方を見返してきた。
「お前は感じないかもしれないが俺は気になるんだ」
「うーん。気にしすぎじゃないのかい?」
「いいや、違うね!」
この際、話し合いをする意味はない。俺はそう結論づけて、土地神のヤツの首根っこを掴むとそのまま風呂場に直行した。
家は古いが水回りはリフォームしたので最新設備だ。シャワーからすぐに温水が出る。冷たいからイヤだとは言わせない。
「体くらい自分で洗えるよ!」
しかし苦情はどうあっても出てくるものだ。
「黙って洗われてろ! この風呂嫌いが!」
だがもうそんなものに耳を貸さない。俺は容赦なくシャワーとシャンプーで土地神のヤツを洗うことにした。
「僕は猫の姿をしてるが猫じゃないんだ! だから別に風呂が嫌いなわけじゃない! ただ風呂の必要性を感じてないだけだよ!」
「それを風呂嫌いっつんだよ!」
「君、さすがに横暴だよ! 僕は断固抗議するよ!」
「さっぱりしたら好きなだけ抗議してくれ!」
俺はさらにぎゃーぎゃー言う土地神のヤツを強く押さえつけて、体中を洗い続けた。
「ふぅ」
断固抗議するなんて言ってたが、現金なもんだ。さっぱりしたら土地神のヤツは満足した様子で縁側で日向ぼっこを始めやがった。
「いやあ、洗髪というのは中々いい文化だね」
「髪なのか、それ」
「シャンプーと言ったかな。あの洗剤は素晴らしい物だね」
「……気に入ってくれたようで何よりだ」
思い出すに俺は今までコイツを風呂に入れたことはなかった。なにせコイツが臭うなんて想像もしてなかったんだ。だって幽霊みたいなヤツなんだぜ?
「いや、そんなことより聞いてくれよ、志男くん」
「だから、志男って呼ぶの止めろっての!」
「じゃあ、なんて呼べばいいんだい?」
「そうだな、真金井光(ルビ:まっかない ひかる)だ」
「ああ、筆名、現代の言葉で言うペンネームってヤツだね」
「十六からこの先、この名前の方が馴染みがあるんだよ」
「なるほど。では光くん、聞いて欲しい話のことなんだけどね――」
土地神は人間の名前などどうでもいい様子で俺の呼び名を変えた。
「それは昨日、僕が外を散歩をしていた時のことなんだ」
そんな切り出しから始まった聞いて欲しい話というのは意外と長かった。
なのでそれは省略するが要するに、村の住民ではなさそうなガラの悪い男が、ある女性を探して回ってるらしい。それで土地神のヤツは気になってその女性を探したのだが、どうも女性は都会から逃げ戻ってきたと家の内で居場所がないということらしい。
「家族の反対を押し切って出て行ったのに戻ってきたとなるとそういう話になってしまうのかねえ」
そしてなんかもう近所のウワサ好きのおばちゃんみたいな感じになって来た。
「神様が盗み聞きかよ、趣味悪いな」
「僕は話しかけたけど、彼らが気付かなかっただけさ」
「そういえば、そうだったな……で、この話からお前は何を聞いて欲しかったんだよ」
「その女性を君に助けて欲しいんだよ」
「俺が? その女性を?」
困ってるらしいのはわかる。そして土地神様も今は無力で人の話をこっそり聞いて回るくらいしかできないのだから、俺がという部分はまあ仕方ないのかもしれない。
でも、その女性をって言われてもなというのが正直なところだ。
「二人で困ってる神や人を救うということにしただろ?」
「そりゃそうだが……ちょっと想像してたのと違うんだよなあ……普通に別れて実家に帰ってきた女性と、それを追いかけてきた男って感じだしさ……」
俺と土地神が組んで解決するって言うなら、もっとこう神の怒りに触れて不幸を背負わされてる女性を……とかそういうのだろう。
「単なる痴情のもつれじゃないかって?」
「そうじゃないのかよ」
「そうかもしれない」
「……オイ」
「いや、まあ、光くん。そう贅沢を言うものじゃないよ。ここの土地に戻ってきた人間なのだから、土地神の僕に救われる資格ということなら十分にあるじゃないか」
「俺が救う必要は感じないけどな」
「僕も君も半人前以下なんだから、そういう偉そうなことを言うべきじゃないよ」
「……まあ、そうか」
とは言え、俺には〆切というのが迫っていた。もっともとっかかりもなく、まったくのノープランのままだが。
担当編集も『書けたら書いてください』って感じだったし、あってないような〆切ではあるのだが、作家として責任は感じている。
「作家としての仕事があるから、それどころじゃない。そういう顔をしてるね」
俺が渋っていると、土地神のヤツがそれをズバリ指摘してきた。腐っても神様。俺の考えてることが少しはわかるらしい。
「わかってるなら、俺が受けるわけがないってのもわかるだろ」
「いや、君はだからこそ、この話を受けるべきなんだ」
「なんだよ。作品のネタになるような素敵な経験が出来るってのか?」
「いや、まあ、そこまでは保証出来ないけど」
「出来ないんかい!」
期待を裏切られて思わずツッコんでしまう。
「どうせ部屋に籠もってても君は書けないことだけは間違いない」
「……それは、そうかもな」
実際、この十年間だって書こうと思ってきたがついぞ書けなかったのだ。今日一日、部屋に籠もったくらいで書けるはずはない。
「君に必要なのは気分転換、現代の言葉で言うとリラックスってやつだろ?」
結局、それで作品がどうこうなるとは思えなかったけど、どっちにしろ俺にとっての成果がないなら、その困ってる人ってヤツを助けてやろうと思った。
決して、〆切から現実逃避しようと思ったわけじゃない。
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