プロローグ 忘れていた故郷(2)

 そこからの数日間、俺のマイブームは小さな祠の掃除だった。祠というのは時々、道端にある石の台の上に仏壇みたいのが載ってるヤツだ。

 結論から言うと俺はまた一行も書けなかった。だから小説の話は出来ない。

 自分の家もまだ片付いてないというのに、いや、むしろ片付いてないから俺は家の隣に放置された祠を発見して、ソイツを綺麗にしてやろうと思ったわけだ。その頃には桜も散り始めて祠も花びらまみれになっていた。綺麗と言えば綺麗だが本来の姿とは違うし、おそらく数日もすれば花びらは無残な色に変わる。だから掃除を始めた。

 寂しい者同士の共感というのもあった。俺は忘れられた作家。そしてこいつは忘れられた祠。神様が住む家のはずが、ずいぶんな放置っぷりで同情しちまったってわけだ。

 正直、やり甲斐があった。広いばっかりで使う予定のない部屋を掃除するよりはよほど面白かった。もう一つ言えば、一向に進まない小説の執筆よりもだ。

 汚れを取り、壊れたパーツを外し、材質を調べて、その発注をかける。届いた材料を加工して塗装して、他のパーツと馴染むように汚しを入れる。それは芸術品の修復をしてる学芸員の気分だった。正直、達成感があった。

「ふむ、なんとか形になってきたな」

 外側が整ってきたことで、俺は元々空っぽだった中身が気になり始めた。

 御神体というのか、本尊というのか。何かあってしかるべきところになにもない。扉を開くとけっこう立派な台座はあるのだけど、肝心の中身がない。

「盗まれちまったのかな」

 だとすると随分罰当たりな話だが。

 作業中、何か曰くのあるものかとご近所さんのおばあちゃんに聞いてみたが、『けっこう最近』、作られたものらしい。自分が小さい頃にはなかったという話だけど、まあ、それだとかなり幅がある。

 なんでも「鈴木の旦那さん」とやらが作ったものだとか。親父のことだろうか。それとも親戚筋で一番偉い人とかだろうか。とにかく、まあ、大したもんではないようだ。

「なんか寂しいし……あれをしまっておくのはどうかな」

 俺は引っ越す前に発見した謎の木像のことを思い出した。俺の親父が自作したのだが、ずっと家の押し入れにしまってあったものだ。

 素人が作ったにしてはけっこうな力作なのだがモチーフがよくわからない。基本的には猫なのだが全体的に毛が長いし、尻尾が太くふさふさしており狐のようでもある。

「ま、そういうのの方が神様っぽいだろ」

 祠の中の台座にそれを置いてから、俺はそう結論づけた。ハッキリ猫でも、ハッキリ狐でも神様としてはちょっと説得力がない。どっちつかずで自然界に存在しない方が、ありがたい神様という感じがする。

「おいおい、神様っぽいってのはなんだい?」

 俺の独り言に誰かが質問をしてきた。見られていたらしいと気付いて気恥ずかしさを覚えながら俺は周りを見回す。

 しかし誰もいない。

「っかしいな、空耳か?」

 俺は腑に落ちないものを感じながら扉を閉めた。しかし内側から開く。

「立て付けが悪かったか。改良の余地ありだな」

「いやいや、この祠はなかなかの出来だよ。君は若いけど、名のある宮大工だったりするのかい?」

 なぜか祠の中から声が聞こえた、ような気がした。しかし中は台座と親父の作った木像くらいで、人が入るスペースはどこにもない。

「っかしいな……」

 さりとて周りに人の気配はない。俺は開きかけた扉を閉める。でも抵抗する力が内側からかかっていた。何かが外に出ようとしてるかのようだ。

 何が? 外に出る? 台座に座ってた猫だか狐だかが動き出したとでも? 俺は若干、パニックになるのを感じながら、一度扉を開くことにした。

「うわああ!」

 それで勢いよく何かが出て来てそのまま地面に落ちて転がった。

「……なんだ?」

 毛玉のようなものだった。つやつやした毛の丸い物体。かと思ったら、動き出してそれが猫っぽい生き物が丸まっていたものだとわかる。

「何をするんだ、君は! いきなり放り出されたら怪我をするじゃないか!」

 そしてその猫っぽい生き物は俺に人間の言葉で抗議を始めた。

「なんだ、夢でも見てんのか、俺は?」

 さっきからの謎の声。そしてしゃべって俺に怒る猫。現実とは思えなかった。

「さっきから返事がないけど、僕の声が聞こえてないのかい?」

「いや、聞こえてはいる」

「そうか。なら反応してくれたまえよ」

「でも現実とは思えん」

「なんだ、君は神様を見たのは初めてかい?」

 不機嫌そうだった猫が急にドヤ顔をしたように感じられた。

「するってえと何か、お前は神様ってわけか?」

「この土地周辺を治める神様。土地神様ってヤツだよ」

 ドヤ顔感がさらに増し、どうだすごいだろうと言わんばかりのオーラを感じる。

「なにせしゃべる猫だもんな。普通の存在じゃあないのはわかるが」

 これが夢でないなら、確かに何か超常的な存在なんだろう。本人の自己申告通りの神様なのか、悪魔なのか、妖怪なのか、その辺は色々ありそうだが。

「君はこの辺の人間かい?」

「最近、引っ越してきた人だからそうとも言えるし、そうでないとも言える」

「なるほど、新参者かい? その割には僕と話せるというのはどういうことだろう」

「んなこと言われても」

「もしかして君、人生絶望してたりしないかい?」

「いきなり悪い意味で宗教じみてきたぞ……って、まあ神様だもんな」

「何を言ってるんだい、君は」

「別に絶望とかはしてないな。上手くいってないと言えば上手くいってないけど、死にたいとかそういうのはない……って何の話だよ、これ」

「いや、絶望してないならいいんだ……そうだ、君、名前は?」

「名前……とかどうでもいいんじゃないかな」

 正直言うと俺は自分の名前が好きじゃなかった。苗字もありきたりだし、フルネームに至ってはなんかアレなのだ。

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