土地神様のわすれもん

新井輝/富士見L文庫

プロローグ 忘れていた故郷(1)

 俺は小さい頃から何度も同じ『夢』を見ている。

 今日も最初の数秒で、その『夢』だとわかったくらいだ。

 『夢』の内容はこうだ。

 転んで膝を擦りむいた小さな子供が一人泣いてる。

 そこにもう一人、白い着物を着た同じくらいの歳の少年がいて、ソイツが手をかざすと膝の傷が見る間に治る。

 そこからの展開もいつも同じだ。少年がお礼を言って、もう一人がこう返す。

「なに感謝には及ばないよ。僕は君を守るために生まれてきたんだからね」

 その言い方が子供に似つかわしくないので、少年はしばらくポカンとする。それで何か自分が言ったことがどうも間違っていたらしいとは気付いたみたいだ。

「でも、やっぱり嬉しいから、ありがとうでいいんだよ」

 なのに少年は自分の考えを変えない。もう一人の少年はこう答える。 

「まあ、挨拶ってのはやはり大事だね。それが感謝なら、なおのことだ」

 何度も繰り返されてきたやりとり。俺はそのたびに暖かい気分になる。

 でも俺は起きると、その『夢』のことを忘れてしまう。

 だから俺はそれが『夢』じゃないなんて、ついぞ気付くことは無かった。


プロローグ 忘れていた故郷


 世間が新学期とか新入社とか、そう言った人生の新しい節目を迎える頃、電車に長いこと揺られて、俺は妙に緑の多いこの町に引っ越してきた。駅から出たところで東京より少し早いのか、すでに桜が咲いていたのを覚えてる。

 ここは俺の生まれ故郷らしい。らしいというのは俺は小さな頃の記憶がろくにないからだ。正直、引っ越す前のことはほぼ覚えていない。引っ越したのが五歳とかその辺だったらしいから、まあ、不思議もないのだが。

 今日から住む家も、俺が生まれた家らしいんだが、見ても思い出せない。池まである広い庭と縁側のある和風建築のちょっとしたお屋敷だ。

 父親からは『うちは代々続く、けっこうな名家だった』なんて言われて来たが、まんざら嘘でもないようだ。

 この辺りはうちやその一族が納めていた土地だったらしい。

 ちなみにこの辺りを納めていたというその一族の名は、鈴木家。すまん。日本でも有数と言っていい、よくある苗字だ。正直、俺もちょっとコンプレックスがあるのであまり突っ込まないで欲しい。

 もう少しなんかあるだろって思うんだよな。その土地を納めてたとても偉い一族の名前がよりにもよって鈴木って、そりゃねえよ。

「にしても、こいつは想像以上だな……」

 一応、親戚だかが家の管理をしてくれてたようだが、やはりかなり汚い。ついでにバカみたいに広い。一階だけでも十間くらいあるし、二階もあるようだ。これを全部掃除して、荷物を整理して……となると先が思いやられる。

「業者に頼めば良かったかな」

 俺は二時間ほど家の整理と格闘した上でそう結論した。とりあえず生活場所と仕事部屋は見られるようにした。他の部屋はおいおいでいいだろう。

 とにかく広い。でも引っ越し荷物の未開封の段ボールをその場に置いといても邪魔にならないのは助かる。

 それに正直、時間ならいくらでもある。あと俺は意外と器用でなんでも一人で済ませられる。時間と技術があるんだ。そのうちいつか終わるだろう。

 俺は小さな頃からそんな感じの子供だったらしい。病的なまでに自分のことは自分でする子供だったらしい。覚えてないので自分ではなんじゃそりゃって感じなんだが。

 そして俺には十六歳で作家デビューし、当時は天才少年作家なんて言われた輝かしい過去がある。

 本のタイトルは『閃光』。どうだ輝かしいだろう。すまん、さっきのは無しで。

 今でこそ自覚出来るが、わかるんだかわかんないんだかよくわからないぼんやりしたタイトルだ。正直、自分でも試しに書いただけだった。スマホが手に入ったのが嬉しくて、何か書けないかなと思って書いた。そして書いたらなんか発表した方がいいような気がして応募した。

 そしたらソイツが賞を取っちまった。本になって店に並んだわけだ。

 しかも、これが自分でも引くくらい売れた。TVドラマにもなり大ヒットした。おかげでその後、二回もTVドラマ化した。

 アニメにもなった。映画には都合四回もなった。

 でも俺自身にはそこから十年、何もなかった。将来を期待され、次回作は是非うちでと何人も、それこそ親父より年上の編集長だか、編集部長だかがやってきて頭を下げられたけど、俺は一行だって書けなかった。

 言い訳するわけじゃないが書く気がなかったわけではない。天狗になって遊び回ってたわけでもない。

 俺はそんな大人たちの期待に応えようと寝る間も惜しんでパソコンに向かった。若かったから寝ないのも苦じゃなかった。

 でも、俺には書けなかったのだ。

 だから本の印税で俺は取材旅行をしたり、いろんな体験授業に参加したりした。全ては本を書くためだ。部屋にこもってるから書けないと言われたのを真に受けて本当に色々やった。

 でも、俺には書けなかったのだ。

 信じられないだろう? 試しにで書けた物が、十年頑張ったのに書けなかったんだ。

 これなら天狗になって遊び回った方がよっぽど有意義だった。

 そして世間は俺をすっかり忘れた。そりゃそうだ。何もしてないヤツのことなんて、いつまでも覚えてるはずが無い。

 編集者ももう、一人しか会いに来ない。その一人もデビューした先の出版社の新人だ。その新人はいかにも仕事が出来なさそうで、どうせ成果が上がらないなら、俺と切れてないというアリバイ作りをしたいがために、時々送り込まれているという感じのヤツだ。

 それでも俺はその新人のために何かしてやれないかと思っている。

 こうして生家に引っ越してきたのも空気を変えるためだ。

 今まで出来なかったことが急に出来るかと言われると大いに疑問なんだが、役に立つならなんでもしてみようという気分だったのだ。

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