改稿

 詩織は薄暗くなった歩道を走り、門限ぎりぎりに高校から少しだけ離れた寄宿舎の玄関に飛び込んだ。

 けれど、ツイてないことは重なるらしい。

 クリップボードを手に帰舎生のチェックをしていたのは舎館長の大岩先生で、今日に限ってぎりぎりに帰舎したのは一人だけだった。

 そのまま玄関に立たされ、こんこんと五分前行動の大切さを御説教される。


 そんなこと言われても、舎則には六時までと書いてある。時間ぴったりなら、門限破りではないはずだ。

 そうは思ったが、そんなことを言えるはずもない。

 幼い頃から人見知りで、引っ込み思案で、言わなければいけないことも言えない自分が嫌で、わざわざ寄宿舎のある遠くの高校に入学したのに、あの頃と少しも変わっていない。

 わたしはいつまでも立ち止まったままだ。


 詩織は大きく頭を下げて辞去すると、靴を脱ぐのももどかしく室内履きに履き替え、一気に階段を駆け上り、ノックも無しに部屋へ飛び込んだ。

 バタンッと音を立て扉を閉め、カバンをその場に落とし、背を扉に預けると目の前がじわりと歪んだ。


「ちょっと遅いんじゃないかい」

 低い間延びした声は、同室の千里ちゃんだ。

 同じ年のはずなのに、すでに進路を決め、自分の目標に万進する千里ちゃんは、わたしとはぜんぜん違う。

 今日も学校が終わるとすぐに帰舎して、机に向かっていたのだろう。

「いくら色ボケしてるからって、いいかげんにしときなよ」

 その声がぐさりと胸に突きささった。


 黙ったまま、涙を拭ぐう。

 それを不審に思ったのか、千里ちゃんが顔だけ振り向き、ズレた眼鏡を人差し指で押し上げた。

「半田と喧嘩でもしたのかい?」

 何も応えずにいると、千里ちゃんがフッと笑った。

「よかったじゃない。少しは言いたいことが言えたってことだろ」

 

 千里ちゃんの笑い顔に、なかば自棄になって言葉を投げつける。

「喧嘩なんかしないもん」

 そのまま足音も荒く自分のベッドに歩み寄り、ドスンッと座る。

「タッくんは優しいから……」

 口先をとがらせると、千里ちゃんは椅子の背凭れに肘を乗せ、半身をわたしのほうに向けた。


「優しい男が彼女を泣かせて帰らせるなんて、たいしたジコロになったもんだ」

 千里ちゃんは下から覗き込むように、上目使いで見た。

 それでも黙っていると、千里ちゃんは大きく息を吐く。

「だいたい詩織はね、あのヘタレに気を使い過ぎるんだよ。いつもいつもいい顔して、ああしたら怒るんじゃないか、こうしたら嫌われるんじゃないかって。

 あんたはもっといっぱい我がまま言って、あのヘタレを振り回したらいいんだ」


 普段から、タッくんのことが好きじゃない千里ちゃんは大いに息巻いた。

「考えてごらんよ。去年のクリスマスだって、今年のバレンタインにホワイトデーだって、あのヘタレがちょっと男気出してれば、あんたたちはもっと早くうまく行ったんだ!

 それを夏休み前までぐずぐずして、あんたに言わせるなんて……」

 千里ちゃんの声に、目から涙が溢れた。


 何でも要領よくこなせる千里ちゃんにわかるはずがない。

 わたしとタッくんは似た者同士だ。

 物事をみんなと同じようにこなすのに、時間も、労力も、他人ひとの倍以上かかる。

 だけど、いつも何かをやる前から怖じけついて一歩も踏み出せない、わたしと違って、タッくんは諦めない。

 いつかは出来るさ、そう言って笑うのだ。

 そんなタッくんが眩しく見える。

 

「そ、それでも…好きなんだもん……」

 震える声で言うと、千里ちゃんは大きな大きなため息を吐いた。

「そんで、今日はどうしたんだい?」

 涙で答えられずにいると、千里ちゃんは机の前の半分ほど開いていたカーテンを大きく開けて、机のうえのスマホを取った。

 千里ちゃんが勉強中にスマホを使うのは珍しい。いつも机のうえに置かれているのは、時計代わりだ。


 素早くタップして、スマホを耳にあてる。

 きっとタッくんから直接聞き出そうとしているのだろう。

 怒った声で短く問い質して聞き入っていたが、突然スマホに向かって吠え付けた。

「いくら帰っていいって言ったからって、詩織なら待ってるに決まってんだろ! 五分や十分抜け出したからって、誰が文句言うんだ! バカッ!」

 そして、詩織にキッと目を向ける。

「あんたもあんただよっ! 学際まえの委員会なんて、すぐに終わるわけないだろ」


 千里ちゃんの声に、何も言えずに身を硬くした。

 もしかしたらって思ったのだもん。わたしのために来てくれるかも、一緒に帰れるかもって……そして、もしかしたら――。

 だって、タッくんに一度も言って貰ったことがないから……。


 告白したのはわたし――。

 一学期の終業式の日、千里ちゃんに手を引かれるように校舎裏に行って。

 どうせ一人じゃ、ぐずぐずして行けないだろうからって。

 大事なことだけ言えばいいからねって、背中を押されてタッくんの前に立った。

「――好きです……付き合ってください……」

 タッくんは沈んで行く夕陽よりも真っ赤になって、頷いてくれた。


 夏休みには映画も行ったし、プールにも行った。二人で手を繋いで見た、花火はほんとうに綺麗だった。

 それでも、まだ一度も言ってもらったことがない。

 ―――好きだって―――

 だから、いつも不安になってしまう。一度でもいいから聞いてみたい。

 タッくんの口から直接……。


 千里ちゃんがガタンッと大きな音をさせ、椅子を立った。

「だいたいねぇ、あんたたちは回りから見てる方がもどかしくなるくらいバレバレの見え見えで、どっちかが好きだって言えば、それでうまく行ったんだ。

 それを二人ともぐずぐずもじもじして!

 いくら互いに思ってたって、はっきり言わなきゃ相手に伝わらないんだよ!」


 でも、こんなことを言ったら……。

 胸の中で、不安な気持ちがどんどん膨らむ。

 タッくん、もしかしたら怒るのじゃないか。

 こんな面倒な女、もういやだって。

 きらいだって。

 もし、もう別れるって言われたら、わたし……。


 スマホを手に持ったまま、千里ちゃんが隣にドスンッと座った。

「どうして欲しいのか、はっきり言ってやりな!」

 でも……言い訳がこぼれそうになった口をふさぐように頭を抱かれ、千里ちゃんが耳元に唇を寄せた。

「変わりたいのだろ――そう思って、ここに来たんでしょ」

 千里ちゃんがスマホを向けて促す。

 ギュッと目を閉じたら、涙がこぼれた。それでも――

「一度だけ…でもいいから……タッくんの…気持ちが聞きたい」


 声は震えてしまったけど言えた、ほんとうの気持ち――

 にっこり笑った千里ちゃんがぐしゃぐしゃ頭を撫でてくれた。そして、スマホを耳に当て、

「聞こえただろ、半田!

 詩織にここまでやってもらったんだ。

 ―――後は、あんたがやんな」

 ピッと電子音をさせ、スマホを切った。


 永遠にも感じる、重い沈黙。

 どうしたらいいのだろう?

 そうだ、スマホ!

 タッくんから電話が掛かってきたら、すぐに出なきゃ。

 カバンの中に入れたままのスマホを取ろうと、ベッドから立ち上がったときだった。


「詩織ちゃーーーんっ!」

 タッくんの大きな呼ぶ声が響いた。

「たまには、やるもんだ」千里ちゃんがクスリッと笑う。「半田なら、詩織が帰ってきたときから、ずっと歩道にいたよ」

 そう言って「ほら行けっ!」と背中を押された。


 机の前の窓を開く。

 そこから見えたのは、道路から見上げるタッくんの姿。

 そして―――

「不安にさせて、ごめんね。だけど、ぼくも一緒だから――」

 背後から千里ちゃんが「聞こえないぞっ!」とヤジを飛ばす。

 タッくんは一瞬黙り込んだが、肩で大きく息を吸うと天に届けとばかりに絶叫した。


「詩織っっっ、大好きだぁぁぁぁぁっ!」


 上下左右からガタガタと窓を開ける音して、寄宿生たちのヒューヒューと吹かれる口笛、割れんばかりの冷やかす声と拍手に、タッくんが顔を赤くして固まった。

「ありゃ、一生分の男気を使ったね」

 耳元で千里ちゃんが感想を囁く。

 だけど、わたしは涙で何も見えなくなった。


 ありがとう…タッくん……。

 いっぱい、いっぱいの気持ちをありがとう。

 とても、とても嬉しい。

 タッくんと出会えて…タッくんの気持ちが聞けて、ほんとうによかった。

 だから、今度はわたしが――。

 千里ちゃんに背中を押してもらうことなく、誰に言われることなく、前に一歩を踏み出して。

 込み上げる幸せを胸に、窓から大きく身を乗り出して叫び返した。


                             ――了――

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