黒に溺れた世界で僕はキミの手をとって

北海犬人

プロローグ

 ——その男は淡々と、黙々と粛々と。


 喜びや達成感などはない。

 行く先に、明るい未来が待っている確約もない。


 自らの行いを、誰かに矜恃きょうじするわけでもなく。

 ましてや、誰かの評価を得るわけでもない。

 自らの貫いた信念に執念と狂気を原動力として、胸の中で燃え上がる憎悪の赴くままに。


 憎むべき存在である異形の化け物を。


 斬って。千切って。裂いて。砕いて。


 そして、ほふるのだ——。




 ※




 深夜の路地裏。

 長方形に切り出された夜空に、淑やかな三日月がぽっかりと浮かんでおり、その周りに散りばめられた星々の輝きは爛々らんらんと。

 そんな幻想的な景色の下。

 行き止まりの壁際に追い込まれた少女は、濁りなき百合の花のように可憐な表情を歪めて、目の前に迫る屈強な体躯を震わせる大男を睨んだ。


 薄汚れた漆黒のローブに髑髏を模した仮面を嵌める異形——死神は、べろりと長い舌を出して、少女の首筋に太い指を這わせる。

 おぞましさから体を小さく跳ねさせる少女は、救いの瞳をパートナーである死神に向けた。が、四肢をもがれて散々に暴行を加えられたパートナーは地に伏したまま。

 壁に手を滑らせてみるものの、起死回生の逃げ道などありはしない。

 閉鎖された空間の行き止まりに立たされた少女を助ける者は、どこにもいないのだ。


 一度深い息を吐いて、覚悟を決める。


「や、やるなら、ひと思いにやってよね……!」

「まァ、そう焦るなってェ。すぐには殺さねェから安心しな。たっぷり”ヤッて”楽しんでから、じっくり嬲り殺してやるからよォ」

「……は?」


 仮面の覗き穴から見えるギラついた双眸に全身を舐め回されて、思わず身を強張らせる少女。

 死神は彼女のローブに手を伸ばすと、紙切れ同然に軽々と裂いた。


「いやぁぁッ——!!」

「ほゥ!」


 闇夜に現れたのは、鮮やかに輝く宝石。

 年齢よりも発育が良く、穢れなき裸体が露わになって死神は生唾を呑み下す。


「好きだね、お前も。今日は何発やるんだ? 付き合わされるこっちの身にもなってくれってんだ、まったく……」


 死神の背後で不満気な声を上げる細身の男は、死神に向けて煙草の煙を吐き捨てた。


「そう言うなよ、ご主人さま。雌型の死神とヤるのと、人間の女とヤるのとじゃワケが違うんだって」

「知るか、そんなもん」


 少女のたわわに実った果実を鷲掴みにしながら、ガラス細工のような細い首を舐め上げる死神。


「ひぅッ! んんッ……!」


 少女は人外の愛撫に体をわななかせながら、やめてくれと必死に抵抗をする。だが、その行為は逆効果に他ならない。

 目尻に滲む涙も。悲痛な声も。死に物狂いの抵抗も。

 異形の良心に訴えかける意味さえ持たず、むしろ死神の興奮度合いを高めて愛撫の熾烈さを加速させるのだ。


「やだぁッ……! やあぁ……」


 頭では嫌がっているが、体は存外に素直なもの。肌から受け取った快感を、反応で外へと表現してしまう。

 背後の壁をがりがりと爪でかきむしる姿には、己の意思に反した快感への恥辱と、未知への恐怖心が複雑に入り混じっている。

 これぞ女の神秘であり、まさに犯し甲斐があるというもの。

 腕の中で暴れ回る少女をまじまじと見つめて、死神は良い拾い物をしたと邪悪な含み笑いをした。


 ——いかんなァ。こりャあ、つい歯止めが利かなくなッちまいそうだぜ……!


 狂犬さながらに熱い息を振りまいて、死神は大木のような五指で少女の乳房を握る。


「いっ、痛い……!!」


 これまでに何人もの女を犯してきた死神だが、今回の収穫は飛び抜けて極上だ。

 年端もいかぬ生娘ながらも、挑発的な体のラインに絹のような柔肉。どうしようもなく性の欲を掻き立てるような、生に対する執着。

 それら全てが、死神の感嘆に値する。

 相手が雌型の死神であれば、こうはいかないのだ。


 肉欲に溺れて興奮が頂点に達した死神は、痛々しいほどに怒張した丸太を少女の股ぐらに押しあてた。


「う、嘘でしょ……!?」


 一瞬で、その意味と末路を悟った少女は顔面を蒼白にさせ、見開かせた双眸を死神に向ける。

 そして、死神のなんとも言えぬ笑みと、太もものつけ根に伝わる生暖かい感触をまざまざと味わい、歯の根が合わないほどに顎を痙攣させた。


「さァて……。本番と行こうじャねェか。文字通り、天国ッてやつを見せてやるぜ」


 煙草のヤニと、死神の全身から発せられる男臭さが入り混じった汚臭の中で、丸太は少女の聖域に侵入せんと突き進む。


「うぐっ!」


 このまま好き勝手に強姦され、無残に殺されるのであれば、自ら命を絶とうと舌に歯を這わせる。

 最早、躊躇という感情に天秤の針を傾かせる要素はなくその英断を決行するのみ。


 ——ぷちり、と繊維に歯を食い込ませた瞬間。夜空から、突如”何か”が飛来して地面を踏みしめる。

 それは、舌の真芯に到達せんと走り出した断首台のギロチンを、すんでのところで停止させた。


「なッ、なんだテメ——」


 険しい剣幕で詰め寄る男に対して、無言の乱入者は常人の視覚では捉えられない速さの裏拳を放つ。

 瞬きの後には、地面に煙草と鮮血と男の顎が落ちていた。


「ほあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!? はあッ! ほれほ、ほれほあほは!」


 声にならない雄叫びを上げて、男は涙を溢しながら地面に転がる顎を両手で掬い上げる。


「いつもなら、”契約者”に手をかけないのが俺の主義なんだがな。お前は特例だゴミ屑め」


 忌々しげに吐き捨てる乱入者は、男を一瞥すると興味を無くしたように視点を変えた。

 まるで、口の端から涎を垂らし息を荒げる餓えた猛獣の如く。

 底抜けの狂気と、怒りを孕ませた眼差しを死神に突き刺す。


「……だ、誰……?」


 純潔の喪失を未遂で免れた少女は、半開きの瞳を乱入者に向ける。


 髑髏を模した仮面に、漆黒のローブをはためかせる人物。

 しかし、死神のようなおどろおどろしい雰囲気は無くて、おそらく自分と同様に人間なのだと少女は直感する。

 低い背丈に華奢な体から、第一印象は小さくて弱そう、であった。


「テメェ、ウチのご主人さまに何をしてくれてんだ?」


 自身の契約者に危害を加えられた死神は少女から身を離すと、尋常ではない殺気を全身から放つ乱入者の前に立って凄んだ。

 その言葉に対する返答は無い。

 乱入者はひたすらに無言を貫いたまま、ドス黒く濁ったまなこで死神を睨むだけ。


「だんまりたァ、良い度胸だ。だが、テメェにはご主人さまに振るった暴虐の対価を、死で以て償ってもらうぞ? さァ、さっさとお前の——死神を出せよ」


 人外の存在である死神。

 当然ながら、人間にはそれに対抗する手立てを持たない。

 死神には死神を、といった意味合いで発せられた言葉であった。それでも乱入者の男は、尚も沈黙を保ったまま死神を呼び寄せる気配もない。

 痺れをきらした死神は、ひとつ舌を打った。


「まさか、人間風情が俺と生身でやり合おうなんて言うつもりじゃねェだろうな。正気か、お前?」


「……貴様の御託はどうでもいいから早くかかって来い。

 まさか、死神風情が俺に勝てるなんて言うつもりじゃないよな?」


 沈黙の乱入者が発した言葉は、挑発と勝利宣言。

 地面にぐったりと横たわり、事の成り行きを見守っていた少女は思わず肝を冷やした。


 ——あの馬鹿は何を言っているの!?


 例え、屈強な格闘家を連れてきたとしても死神に勝つなど到底あり得ない。

 人間と死神の間には絶対的な差があり、それは覆しようのない理。だと言うのに、目の前の乱入者は臆する事なく平然と死神に挑もうとしている。

 低い背丈に、ローブ越しからでも見て取れる華奢な体で、だ。


 その姿は勇敢でも何でもない。命知らずの、ただの馬鹿。


「……そォか。そんなに死にたけりゃ、お望み通りに殺してやるよ。

 無様に、挽き肉になれィ——ッ!!」


 怒りを通り越して呆れる死神は、ため息をひとつ吐くとそれを開戦の狼煙とした。

 体を捻って右腕を引き絞り、一気に解放する一連の動作に淀みは無い。空気摩擦による発火現象さえも可能にする死神の右拳。

 少女は、常識外れの速さに度肝を抜かれる。が、それを難なく躱した乱入者に対してさらに驚愕した。

 もちろん、死神も同様に。


「むゥ!?」


 ひらりと身を翻しつつ躱す動作に合わせて、身につけたローブの端が波打って舞う。

 漆黒が死神の視界を埋め尽くした、ほんの一瞬。

 鋭い拳が、漆黒の彼方から放たれる。


 殊の外高い威力と速さを纏った拳は、黒い布切れの通過に気を取られた死神の顔面を捉えると、髑髏の仮面にひびを刻んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒に溺れた世界で僕はキミの手をとって 北海犬人 @hokkai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ