第十三話:都市伝説の「なかみ」

 朝飯を食べてそのまま「じゃねー。天音ちゃんのご飯、美味しかったよー」と家から飛び出してしまった吉祥を見送った僕と天音ちゃんは、洗い物を済ませてからちゃぶ台を二人で囲んでいた。

「この後、ねーちゃんは何か予定あったりする?」

 僕は僕で休日は用が無い限りは外には出ないし、家でぐうたらネットの大海へダイブするか、本を読むか『映画フリックス』で海外ドラマや劇場上映作品を見漁っていることくらいしか、やることがない。映画館に足を運ぶのもありだけど

 担々麺を食べなくなると、自分の行動範囲はこんなにも狭まってしまう。

「それじゃあ、早速ですが……師匠に会いに行ってきます」

「そっか、行ってらしゃい。家までの道のりで迷ったりしちゃったら、連絡して、迎えに行くから。これ僕の電話番号ね」

「ありがとう……ございます」

 なんてことはない。と言ってから夕食はどうする? と聞いてみる。すると天音ちゃんは「うーん」と喉を唸らせてから、「宮川さんにお任せします!」とはにかんだ。言い忘れたかのように、「お風呂お借りしまーす!」洗面所から声が聞こえる。それに僕は「はあい」と間延びした声で応じる。

「そうだ」と思い出したようにひょっこりと洗面所のドアから顔だけ出して来た天音ちゃんは、僕を見て「このパーカー借りてもいいですか?」と訊いた。

 そうだ。天音ちゃんは制服姿でここに来たんだ。

「いいよ。それ……あげる」とぼやいた頃には、彼女はシャワーを浴びていた。

 僕は天音ちゃんがシャワーから出てくるのを、待つことしかできなかった。

 そして――――

 相変わらず、シャワーの音は慣れないものだ。と思い僕は「ふぅ……」と溜め息を吐いて、天井を見上げた。


「料理をするときに、冷蔵庫の中にあった宮川さんがつくった肉じゃがをひとくちだけいただいたんです……」

 シャワーからあがった後、制服姿の天音ちゃんは、バスタオルで髪を丁寧に拭いていた。女の子の髪の手入れって大変だなぁ……と心の中で呟きながら、僕はちらりちらりと、天音ちゃんの後ろ姿を見やる。

「あっ、タッパーに入ってたやつ、食べたんだ。荷崩れしちゃったやつでしょ?」

 僕はたはは、と笑みを零す。

「宮川さんの肉じゃが、すごく美味しかったです……」

 天音ちゃんが思わず、ため息交じりに褒めてくれる。えっ、と短い言葉を零してしまった僕は、危うくスマホを落としてしまうところだった。

「ねーちゃん、料理は好き?」

 かき上げた髪をひとつにまとめてから、耳より少し上の位置で口にくわえていたであろうヘアゴムを器用に結ぶ。その軽やかな一連の動作に、僕は思わず見惚れてしまっていた。

「はい、好きです。好きというよりかは……得意です、かね――って」

 目の前の少女の恥じらいによって赤く染まった顔が、あっという間に晴れやかになっていく。それがなんだか嬉しくなってしまった僕は、そのまま話を続ける。

「そっか……それじゃあ、また台所を一緒に囲もう。僕も手伝う」

「ありがとうございます……ねぇ、宮川さん」

「はーいなんでしょーかー」

「もしかして、私が結ってる姿……全部見てましたか?」

「うん。後ろから、見てた」

「宮川さん……やっぱりエッチですね」

 とててて、と廊下を走りながら天音ちゃんは距離を取る。それに釣られるように僕も天音ちゃんの後を追うために、廊下を歩く。どうやら天音ちゃんはもう準備が万端のようだ。

「宮川さん……」

 鍵を九十度時計回りに回し、扉を抑えながらゆっくりと振り返る。紅の瞳で僕を見つめながら、天音ちゃんが優しく微笑んだ。

「これから宜しくお願い致しますね」透き通るような綺麗な声が、心を揺らす。

「こちらこそ」と僕は彼女に微笑み返し、力強く頷いた。

「それじゃ、行って来ますね」

「うん……行ってらっしゃい」

 柔らかな足取りで走っていく彼女の背中を、僕は自然と目で追っていた。

 彼女が帰ってきた後の会話が、これから少しでも動き出すと思うと、僕の心はゆらゆらと揺れていた。

「そういえば……家族以外の誰かに、行ってらしゃいって言うのは、今日が初めてだな……」

 そんなことを思うと、共同生活に緊張していた僕は一瞬、どこかへ行ってしまった。眉が緩んで、一緒にこうかく口角がくいっと引っ張り上げられる。

 スマホの画面を暗くしたまま、覗き込むと――

 僕は、どうしてか、笑っていた。


「師匠に言われました。宮川さんには、ちゃんと言霊使いのことを説明する必要があるって」

 帰って来た天音ちゃんは、持参した――ぎょうさんと荷物を詰め込んでいるバックをよいしょ、と置いてからちゃぶ台の目の前で正座をした。

 とても綺麗な――正座だ。正座ってあんまししたことないから分からないけれど、そんな長時間もあの体勢って、維持できるものなのだろうか。

「説明か……」

「はい」

 天音ちゃんは、とても複雑な顔をして、僕のことをじっと見ていた。これから話すことは、普通の話じゃない。僕と天音ちゃんだけの「ひめごと」だ。

 訂正――僕と天音ちゃんだけしか、知ってはいけないことだ。

 僕はたった今、都市伝説と言われている言霊使いの、目の前にいる。

 ごくりと固唾を飲んでから、天音ちゃんはゆっくりと息を吸った後に――言葉を紡ぎ始めた。

 まずは、改めて自己紹介をされた。

 赤城天音さんは中学校に通っている女の子で、今年の三月に晴れて卒業しそのまま区内にある高校に通うらしい。ここまでは、喫茶店でも聞いた話だ。

 てっきり湯島に住んでると思っていたから、意外だった。

 趣味は音楽を聴くことと、料理をすること。

「ここまでは、ごくごく普通の女の子としての自己紹介です」

 天音ちゃんの言葉に、僕は思わず息を呑んでしまう。

「そうですね――」

 言霊使いという存在は、僕らの日常の中に紛れている。生まれながらにして――あるいは、誰かに教えを乞うことによって得た「言葉を操る力」を使って、

 言霊は、「言葉に宿ると信じられている霊的な力」のことだ。

 言っちゃば、心に宿った言葉のエネルギーのことで、ひとたび音声検索で「言霊」とグールル先生に向かって囁くと、めちゃくちゃ言霊について言及されているサイトがヒットしたり、言霊の軽い説明がされていたりと、サイトによってまちまちだった。

「神妙不可侵にて胡散臭い……がこれほどまでにぴったり合うとは……」

「凄いですよねー」と天音ちゃんは他人事だ。

「言霊使いって、具体的に何をする人たちなの?」

「小説家とか、とか……役者とか?」

 違う違うと、大袈裟に手を振る。僕はちゃぶ台に肘を置いて、少しだけ身を乗り出した。

「職業じゃなくって、その借りた言霊を使って、悪事を働こうとしている言霊使いをとっちめるとか――」

「そういうのは無いです」と天音ちゃんは僕の言葉を遮って、即座に否定する。

「言葉を使って、世の中に蔓延る悪鬼悪霊を成敗する――とか」

「そういうのもないです」と今度はキッパリと言い切った。

 本当に、なにもしないんだな。

「何も……しないです」

 何をするワケでもなく、っていうのが天音ちゃんの言葉の中に引っ掛かった。

 何もしないなら、なんで人から「言葉」を借りるんだ。

「分からない……」

 言葉にした「ひとこと」が宙に浮いて、ぐるぐると回っている。「分からない、ワカラナイ」と言わんばかりの分からないが、分からないと成って、ワカラナイになる。つまりはどういうことかというと――僕は目の前の言霊使いの女の子の言うことが、なにひとつ分からないということだ。

 分からない。がゲシュタルト崩壊する前に、天音ちゃんになんで言霊使いは、「言葉を操れる力を手にしているのに何もしないのか」を訊いてみよう。

「その、何もしないってのは一体……どういうことなの」

「言霊使いは、基本的には言葉で因果を捻じ曲げる力を持ってます。人の意識をぼかしたり、人の言葉を、『意図的』に奪ったり、人が喋ろうとした言葉を、その気になれば『無かったこと』だってできます」

「でも……それは、非常事態のときだけです。一応……都市伝説として現代で語り継がれてしまっている以上は、言霊使いの存在は、隠匿される他は無いんです」

「じゃあ、その非常事態ってのは……言葉を貸した側に問題が発生した場合ってこと? それとも……言霊使い自身に起こった非常事態のこと?」

 ――言葉を伸ばして、天音ちゃんをちらりと覗き見る。確認というよりは、問題の解答を疑問符混じりに伝える。目線が違うと言っている。

「言葉を貸した人が、命を落とす危険に見舞われたとき、たとえ因果を、運命を変えることになっても……言葉を貸した人を救います」

「それは、自殺者も?」

「はい」

 僕の悪意を込めた質問に、天音ちゃんは燃え盛るような真っ赤な瞳を僕に向けて、首を縦に振った。

 なにもしないのに、言葉を貸した人を何がなんでも守り抜くという姿勢は――僕の中ではあまり合点がいかなかった。

 なにもしないなら、そもそも言葉を借りなければいい。言葉を知らぬ間に奪われてしまった人は、言葉が喋れないことに怯えながら、今までの生活を続けなければいけない。それは苦そのものだ。

 僕はまだ馬鹿やってる高校生だからいいとして、大学生や社会で働く人々は、言葉を奪われたらたまったもんじゃない。最悪だ。

 今までできたことができなくなるってことは、それはとても――怖いことだ。

 だから、天音ちゃんの言う「なにもしない」に解せなかった。

「それじゃあ、どうして、言霊使いは……人から言葉を拝借するんだ?」

「言葉を、洗い清めるためです」

 僕の質問に、今度は具体的だけど、随分とスピリチュアルな返答がやって来た。言霊が言葉にエネルギーを宿っているのなら、言葉を使えば使うほど、言葉に宿っているエネルギーは摩耗していく――らしい。

 人間の体力の消耗が、かりやすい気がするけど、

「あっ、あれか……パワーストーンとか、石の浄化のことか」

「言っちゃば、そんな感じです。エネルギーが溢れている言葉や浄化された言葉は、言霊使いからは『赤色』に見えます」

「へぇ……そうなんだ」

「摩耗され、邪気を纏った言葉や力を失った言葉は、『黒ずんだ青色』に見えます。空っぽの言葉からは音が鳴るそうですが、私はまだ空っぽの言葉に遭遇したことが無いので、分からないです……」

「空っぽの言葉って……本当にあるんだな」

「みたいですねぇ。師匠に言われるまで、私も分かりませんでした」

 人から言葉を拝借すること、その人から借りた言葉を洗い清めることによって、言霊使いは「学習」や「鍛錬」を繰り返すそうだ。その学習や鍛錬は、言霊使いの数だけ存在し、また言葉を清める方法も十人十色だと、天音ちゃんは言う。

「なるほど……」

 言霊使いは、言葉を清めることが目的なんかじゃない。言葉を洗い清めることは、自分の学習や鍛錬のための手段だ。

 それだったら、もう少し踏み込んだ質問を投げてみるのもいいかもしれない。

「君は、なんの学習をしているんだい?」

「それは……言えません」

 どうして、の言葉を僕はぐっと堪えてそのまま喉元に押し返した。「どうしても?」と語気を強めて言うと、少し間が開いた後にさっきよりも弱い声色で「はい……どうしても」と返って来る。

 これは、言霊使いの極秘事項というヤツだろうか……。

 僕が少し踏み出して放ったストレートの球を、天音ちゃんはバットを振らずに躱した。今の質問はストライクだったはずなのだけれど、と思考を巡らせ「うーん」と唸ることしかできない。

 それじゃあ、この質問は、どうだろうか……。

「君は……どうして、言霊使いになりたいって思ったんだ?」


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明日の「あ」を狩る赤城さん。 羨増 健介 @boroboroken

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