第八話:友人ああああ Part Ⅲ

 少しだけ場所を移して、アパートの廊下で僕と吉祥は向かい合ってやりとりを交わしていた。天音さんには少し買い物して来るね――とだけ言い、さっきよりもだらけた姿勢で、僕も吉祥もアパートの壁に寄り掛かっている。

 そして、寄り掛かりながら、カップ麺をずぞぞぞぞ、と二人して啜っていた。

 なんだ、この状況……。


「はーん。なるほど」

「吉祥さ……いい加減にしてくれ」


 外に出て、季節にそぐわないやや冷たい風を浴びながら、僕はうんざりとした口調で吉祥に言った。

「オイオイ……俺だって、まさかあの女の子が言霊使いだって、思いもしないぜ。だってあの子が、都市伝説とかで噂されてる『言葉を奪う者』なんだろ?」

 これでも平静を装うので精一杯だ。と目の前の友人はけろりと言って見せる。

 うそこけ。


「……どうやら事実らしい」

「でも?」


「でも」僕はもう一度同じ言葉を小さく呟いてから、ほんの少し俯いて、直ぐに吉祥の方へと視線を移す。


「確証が無いってのに、あの子を言霊使いだって言ったのか? お前は」

「そうじゃない」


 なんにせよ、彼女自身が僕の「あ」を拝借しました――とか、あなたの意識をぼかしました。って言ったんだから、僕はそれを信じる他は無い。

「……そうじゃないんだ」

 コロコロと移り変わる表情に、射貫くような、まっすぐな目線と言葉。一見すると普通の少女に見えるのだけれど、言葉を喋るたびに声のトーンが変わるというか、なんというか……こうただ声のトーンが変わるワケじゃないというか、なんというか。うん、上手く言葉にできない。


「つまり……どういうことだってばよ」

「上手くは言えないんだけれど、その、あの子は確かに目の前にいるんだけれど……あの子一人を相手にしていないような、そんな感じがするんだ」

「頭……大丈夫か?」


 いやいやいや……。と僕は首を横に振る。至って正常だよ。


「お前は、言霊使いを名乗った彼女に……具体的になにをされたんだよ」

「言葉を奪われて、それで言葉を使って意識をぼかされたんだ」


 そう言うと、吉祥は口に運んだ麺を噛んで、それをスープで流してから、「アリだな」とほざいた。

「えっ」

 聞こえなかったのか。と大袈裟に「アリだ」と呟いた。おい、この状況をどっからどう見たら「アリ」なんて言葉を口に出せるんだよ。


「だってお前、こんなの贅沢の極みだろ!?」

「はっ?」


「こんな……こんなにに可愛い女の子に言葉を奪われるんなら本望に決まっているじゃないかあぁああああああッ!!」とご近所さんに配慮してか、それなりの小さな声で最大限の感情を吐き出している。僕を見て羨ましい――と言わんばかりの羨望の表情で、「代わって」と懇願して来た。

「代わらんわ」と僕は苦虫を噛み潰したような顔を吉祥に向けて、吐き出す。


「どうして?」

「どうしてもこうしても無いでしょ。お前、それで『あ』が喋れなくなってもいいの……?」

「言い方なんて……どうにでもなるだろ?」


 それは、選ぶ言葉と自分が伝えたい言葉によると思うんだけれど……。


「それじゃあ……三鷹さんと一緒にいた記憶を、きおくを盗まれたら、それこそどうするつもりなんだよ」

「どうもこうもないだろ……俺が美樹と一緒にいたときの記憶を全部取られたら、返してくれるって言うのなら、俺はなんだってする。もし返してくれないんだったら、俺は美樹から俺の今までの全てを教えて貰って、その通りに生きる」

「吉祥……お前、どうした。頭……大丈夫?」


 僕がそう言うと、いやいやいや……。と吉祥は首を横に振った。至って正常だ、と付け加えて、そうなったら正常になるしかない。と真面目なトーンで言葉を塗り替える。

 至って正常だ――が建て前だと言うのなら、後者に呟いた「正常になるしかない」は本音なのだろうか……。

 僕はその言葉を、ただ相槌を打って同意するしかなかった。


「でも……記憶を取られるのはちょっと寂しいよなぁ。やっぱ取られるんなら記憶より言葉だわ」

「……そっか」

「だから……明日、俺の『あ』が盗られちゃったりしないかな」

「さっきの感動を返せ!!」


 思いっ切り顔に書いてあるぞ……オレの言葉を、盗んでくださいって。


「彼女は大変なものを盗んでいきました……」

「それは?」

「それは――――おいどんの心です。それでは失礼するでごわす」

「待て待て待て。僕の部屋に入ろうとするな。待て」


 嬉々とした笑みを零している。この心底気持ちの悪い笑顔を、三鷹さんにも見せてあげたい。きっと「えぇ……」とドン引きに引いてくれるだろう。

「俺って、人生楽しんでるでしょー?」

 どうしてそんなに言葉を奪われることを望んでいるというと――

 都市伝説に出てくるその「言霊使い」の容姿を、数ある時間を費やして考えていたらしい。自分と同じくらいの歳の女の子か、大学生か、大人の女性か、それとも人妻か、未亡人かと考えていたらしい。

 しかも……女性限定で。

 馬鹿だ、この友人……ホンマもんの大馬鹿だ。


「お前もう帰れよ!!」

「やだ」

「帰れ」

「待てって」

「くたばれ」

「三分待って☆」

「くたばれッ……三分。三分と言わず、今。今だ……今くたばってくれ」


 言葉の応酬が、再び幾度となく繰り返される。罵詈雑言を空っぽにして吉祥に向けてぶつけても、ぶつけられた当の本人は何食わん顔を振り撒いて、「効かん……効かんわ」と怯むことなく僕の目の前に立ち続ける。


「戻るか」

「そうだな」


 結構な時間を、外で話しただろうか……。

 帰りが遅いと心配しそうなので、僕は玄関のドアを開け、再び吉祥と言霊使いの赤城天音さんをご対面させることにした。買い物って体で外を飛び出したので、吉祥は先程の空気を壊した罰として、アパート側の自販機までダッシュさせた。



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