第六話:友人ああああ Part Ⅰ
喫茶店のやり取りですこぶると居心地が悪くなってしまった僕は、天音ちゃんの手を引いて、電車を乗り継いで、近場のコーヒー屋にでも入ろうかと、道行く道をぶらついていた。
湯島駅周辺、地下鉄を乗り継いで一回降りたところの駅チカでぶらつき、また駅に向かう。
「何処に……行くんですか?」
天音さんの不安気な声色に「ここじゃないどっか」とぶっきらぼうに返事する僕の後ろで、「分かりました」と言って、僕の手をぎゅっと握る。
「どうにもとまらない」と「恥ずかしくてやりきれない」の言葉がふたつ合わさったとも言える僕の中の感情は、ぐるぐると渦巻いていた。
道行く道をぶらつく理由は――――ただひとつ。
落ち着いて話ができる場所を、探していた。
今日は土曜日で、学生一般で言う「休日」の日だ。学生が休みの時間をどう使おうが、本来なら勝手で、自由のハズだ。
午前中を惰眠で貪ったり、ソシャゲに勤しんだり、今流行りの「Vtuber」の動画を見て、笑ったり、映画を見たり。一喜一憂を楽しむのは、個人の自由で、権利で、その自分が謳歌する休日に、とやかく言われる筋合いは――本来はあってはならないことだ。
だから、万が一クラスメイトの連中に一人でも遭遇してしまったら、どう説明すればいいか分かったもんじゃない。
吉祥や尾方や三鷹さんと遭遇するのなら、まだいい。特に吉祥と三鷹さんは僕が言葉を、「あ」を喋れない事情を知ってるし、僕が天音さんのことを話したら、どうすればいいかと知恵を貸してくれるだろう。
しかし、他の人はどうだろうか……。
どんな場所にも物好きはいる――喫茶店でマスターをやっていた威厳ある壮年の男性だってそうだ。あの人は、喫茶店にペアで入って来たお客さんの関係を、頼んだメニューから導き出して妄想するタイプの人間だ。
物好きにも、無頼な輩は存在する。
僕はその無頼な輩が嫌いだ。
嫌だから、僕は人目の付かない裏路地を通って、わざわざ遠回りをして目的地へと向かっている。
「さっきさ、何処に……行くんですか。って言ったよね」
「はい……」
「教えてあげよっか」
「…………」
「大丈夫……君が思うような、変なところじゃないから」
その瞬間に、女の子を握っていた手が、少しだけ緩くなった気がした。
「やっぱり……ここが一番か」
電車を乗り継いで降りた駅は――我が地元の御留美駅。そこから徒歩で十分くらい歩いた場所にある、少し築年数の古いアパート。
「ここじゃないどっか」の終着点は、ファミレスでも、喫茶店でも無い。
やっぱり、人を気にせずに話ができる場所は、ここしかないと思った。だから自然と家の方に足が進んでいた。それだけの話だ。
「宮川さん……ここって」
もう一度、天音さんに聞こえるくらいの声で「着いた……ここだよ」と言うと、彼女は「えっ」と驚いた顔をしていた。
「そう。僕の家」
自宅のアパートの目の前に到着した僕は、ふぅ……とひとつ溜め息を吐いてから、ゆっくりと肩の力を抜いた。
確かにそうだ。僕はまだ言霊使いの――赤城天音の提案を飲んでいない。飲んでいないのに家に上げさせるのは、天音さんの中では「有り得ない」ことだったんだろうと思う……。だから、驚いていたんだ。
言葉を拝借した人と――――共同生活を送る。
なんだよそれ、魔女の宅急便じゃないんだからさ……。
そんな話、普通の人だったら信じないよ。絶対に。
「どうぞ……あがって」
「お、お邪魔します……」
そういえば――引っ越してきてから、誰も部屋に人を入れたことがなかったな。とふと思い出してから、天音さんの後に続いて、カチッ、と玄関の鍵を閉めた。
「こっちに越して来たばっかりだから、あんまし綺麗じゃないけど……」
「あ、座布団まで……ありがとうございます」
1DKの部屋。一人身にしては十分過ぎるほどの大きさの部屋だけれど、これから二年――三年、それ以上の時間をまた御留美の街で過ごすと思うと、見合った間取りだと僕は思う。
「一人暮らしって、すすす、凄い……です、ね」
「そ、そうかな。まねさんも……もう少し大きくなったら、できると思うよ」
「…………」
「宮川さん」
「はい。なんでしょうか」
なにが、なんでしょうか。だよ……。
「ねーちゃんって、言って欲しいっていいました……よね」
「そ、そうだ! そうだったなー! ご、ごめんごめん……ごめんね」
「……」
「…………」
さて――――どうしようか。
ぎこちない会話が、あっという間に途切れてしまったぞ。
いきなり家に連れ込んでおきながら、「さぁ……どうぞ。話の続きをお願いします」なんて野暮ったいことを軽々しくと言えるほど、僕は肝が据わった度胸マックス人間じゃない。あくまで家に上げたのは喫茶店から逃げる手段だし、万一第三者に「言霊使いのこと」を少しでも聞かれていたら、きっとじゃなくても大変なことになる。
お互いに口を閉ざしたまま、時間は刻々と過ぎ去っていく。僕が家に上げたのだから、「さてと」とかうまいこと切り出して、言葉のこうかんこを始めるしかない。そうしなければ、いつまで経っても僕の部屋は沈黙のままだ。
「そうだ……」
せっかく家に上げたのだから、お茶の一杯でも出さなければと立ち上がった時、
玄関のチャイムが鳴った。
「えっ……」
天音ちゃんが僕の家に上がってから、まだ数分と経ってない。
いくらなんでもタイミングが悪過ぎる。
いったい……誰だ。こんな真っ昼間に。
「はい、どちら様でございましょうか……すいません。ウチはキャッチとかセールスとか宗教の勧誘とか、もうそういうのウンザリなんですよぉ。あの人たちって人様のこと考えないっていうか、考えてないっていうか……」
『俺だ』
「えっ?」
『俺だ。吉祥だ』
「帰れ!」
『なんでさぁ……』と間延びした声で、吉祥は言う。
玄関の目の前に立っていたのは――僕の友人の一人である、カツラ野郎こと吉祥ウラだった。
「今なにやってんの?」
まさか女子中学生が僕の屋への中に入ってる――なんて、そんなこと言えるはずが無い。どうにかやり過ごそうと思考をぐるんぐるんと巡らせ、ドア越しでふあーと間抜けな欠伸を掻いている友人を騙くらかす方法を、頭の中で模索する。
「お取込み中だよ! こっちは今シャワー浴びた直後で……全身真っ裸だぞ!? 僕が言っている意味は、今くらいなら分かるよな……?」
「俺は知りしぇえええええええん」
「全裸だって言ってんだ!!」
「うるせぇ! こちとら部屋だとパンイチで、坊主だわ」
「知らんがな……」
言葉の応酬が、玄関のドアを一枚挟んで繰り広げられる。言葉は熱いうちに 売り言葉に買い言葉――というのだけれど、
「とにかく、今はお引き取り願おう……夜なら空いてるから、そのときにじっくり話でもしよう」
「いや、昼飯買って来たんだけれど……宮川もどうかなって。カップ麺」
「置いて帰れ」
「理不尽だぜ!」
「こっちは不条理真っ最中なんだっての!!」
「あの……どうかしましたか?」
とてとてと足音を立てながら、天音さんがこちらに向かってくる。
どうやら、僕の張った声を聞いて、どうしたのだろうと見にやって来たらしい。
『おい……宮川。今さ、足音が聞こえなかったか?』
僕はぎくりとしてしまう。えっ、天音さん。どうしてこっちに歩いて来るの?
「えっ、足音? 聞こえない。うん……聞こえないね。気のせいなんじゃない?」
「宮川さん……その、大丈夫ですか?」
『ん……? 気のせいかな?』
「えっ」
『むむむ……気のせいか、いや、気のせいではあるまい』とワザとらしく喉を唸らせてから、吉祥は悪役のように、言葉を悪戯に漏らす。
『女の子の声色が、した気がするぞ――』
その瞬間、僕は背中をゆっくり撫でられた気がした。ゾッとする。こんなの、ゾッとするに決まっている。
不可解が過ぎる。
偶然を装うには、どうにもこうにも不可解が過ぎる。僕と天音さんが玄関の扉を抜けて家に入って、話をしようとしたときに、これだ。
見知らぬ女の子と言っても過言ではない。そんな女の子と一緒に手を繋いで歩いているところを、見られ――――
「吉祥!!」
僕は、思わず彼の苗字を呼んで叫んでいた。待て、待て待て待て……待て!!
冗談が、過ぎるぞ。
「もしかして……お前!」
『なんだ……』
「お前……!!」
『だからなんだ――』
「お前――――!!!!」
『だからなんだって!!』
「どうして……家に来たんだ!?」
『暇だったから……なんだけど。それに、引っ越しの荷解きの手伝いでもしようかなって……思って』
「違うんかい!!」
ドア越しに吉祥にツッコミをドア一枚挟んで入れてから、右足を一歩踏み出した瞬間、僕は躓いてズッコケてしまった。
どうしてズッコケてしまったのかは分からない。今日は問題の連続で、ようやくマイホームに居場所を移して、気を落ち着かせようとしたときの矢先の――唐突の出来事だったから、しょうもないことだと分かったときに、どっと身体の気が抜けてしまったんだろう。
「宮川さん……大丈夫ですか!?」
「うん。ごめん……ねーちゃん。大丈夫じゃないや」
『宮川……お前、もしかして、彼女ができたのか!?』
「違うよ!!」
ふぅ、と溜め息を吐いて、僕は玄関の鍵を九十度右に回した。
「オッスオッス! ようやく入れるぜ……って、およよ?」
根負けして、僕は吉祥を家に上げることになってしまった。
「どうぞ。お上がりください……ご友人殿」
「お前さ、なんでズッコケてんの? それと……そこにいる女の子」
「……こんにちは」
「誰?」
今日で、何回溜め息を吐いたか――もう分かったもんじゃない。
今日は僕の人生の中で、きっと一番長い日だ。
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