第五話:僕の「あ」まで、何マイル?

 世の中には、謝られてもどうしようもない時が、ある。

 僕は、今がその時だと思う。


「やっぱさ、協力する話。一緒に探すって話、無しにして貰って――」

「ごめんなさいッ!!」

 言葉は弾丸にも鋭利な刃にもなる。何気ない言葉が相手を傷付けることがあれば、なんとなしに呟いた言葉が相手を不安がらせることだってできる。

 それも―――――簡単に、だ。

 僕は、恐る恐る口にした提案の言葉を口に出してみる。

 しかし、目の前の言霊使いを名乗る少女、赤城天音さんは――僕の言葉を飲むことは無く、その提案は、あっさりと打ち砕かれてしまった。

 その瞬間、言葉が、パリン、と音を立てて割れた気がした。

「えぇ……」と僕は座っていた椅子に寄り掛かって、項垂れる。

「ごめんなさい」って、なんだ……。ごめんなさいって。

 せめて、「返せない」とか「返すことができない」とか……言ってくれると助かるんだけど。

「えっと……君に事情があるのなら、仕方の無いことなんだろうけど」

「はい」

「それにしても……マジかー」

 戸惑いを隠すことはできない。

「返して」と言って「返してあげたいのだけど、今はできない」と遠回しに言われて「はい、そうですか」なんて易々と引き下がれるワケが無い。

 そもそも、たった今――言霊使いの少女である赤城天音さんと、僕はひとつの約束を交わしたばっかりだ。

 僕の「あ」を探す方法を、一緒に探すって……。

「…………」

 ほら、目の前の制服女子――赤城天音さんを見てみなさいな。

「大きく広がったこの世界の中に、溢れるほど人がいても……一緒に探してくれる人に、あなたの代わりなんて誰にもできないんです!!」

 なんて恥ずかしい言葉――ドラマのクライマックスのワンシーンにありそうな、告白にも似た台詞。

「――――――ッ!!」

 目の前の制服女子こと赤城天音さんは、自分が僕に零した言葉の意味を理解したのか、顔を通り越して耳まで真っ赤になっている。

 というか――もう既に、すっかり茹で上がっている。

「…………」

「おかわりも……好きなもの頼んでいいよ」

「それじゃ……メロンソーダで」

 僕はくいっと、残りのコーヒーを飲み干してから、手元にあったベルを鳴らす。

 そのベルは、やけに軽い音で、マスターのもとへと音色を奏でた。

「のね……かぎさん」

 五十音順で始まる最初の言葉である「あ」がどれだけ大事であるか、皆さんには分からないだろう。今だって、「あ」のねって言えなかったし、彼女の名前である赤城の「あ」の字も言えなかったのだから、つまりは――そういうことだ。

「あ」は五十音順で一番最初に始まる文字なのだ。

 だから、「あ」が喋れないと……。

 ドラえもんのうたが、歌えないじゃないかッ!

 アイスクリームが、注文できないじゃないかッ!

 大晦日の日に巫女さんに「甘酒……ひとつください」って声を掛けられないじゃないかッ!!

 ご飯処で厚焼きたまごが食べてくなった時に、「厚焼きたまごひとつ、お願いします」って言えないじゃないかッ!!

 アンサイクロペディアって言えないじゃないかッ……。 

 言えないじゃないかッ、言えないじゃないかッ。言えないじゃないかッ……。

 と「あ」を言えない熱意を、天音さんにぶつけてみる。


「ええっと……宮川さんにとっては、とっても大事なことなんですね」

「そりゃ……伝えたいことを言葉に変え、言葉を声に出して届けることを繰り返して、『会話』って生まれるんだからさ、大事でしょ。言葉って」


 おはよう。から始まるコミュニケーションがあるんだから、「あ」から始まるやり取りだってあったっていいだろう。


「それと、アンサイクロペディア宮川って……なんですか?」

「芸名」


 いつかお笑い芸人になる見通しができたときの為の芸名として、「アンサイクロペディア宮川」を第一候補に挙げている。

 アンサイクロペディア宮川――――いい響き、最高にいい響きじゃないか。

 意味分からんけど。


「こほん……」

「僕が『あ』を喋れなくなったのは、君が関係しているってことは――今ので分かった。君の意思も十分に伝わった」


 言霊使い――――それも、見習い言霊使い。

 吉祥や三鷹さんが言ってた都市伝説を、こうやすやすと目の当たりにしてしまったのは、肩透かしが半端ない……。

 けれども、解決の糸口を一緒に探しましょうと、相手から提案して来るとは思わなかった。それは本当に意外だった。

 もっと意外だったのは、目の前にいる制服女子が、言霊使いだってことなんだけれど……。

「それにしても……」

 僕はもっと世界を巻き込む大きな闘いとか、言霊使い同士の抗争に巻き込まれてしまうとか、日常を生きている人間が知らない――この世界の真実を目の当たりにしてしまうとか、そういった大袈裟なことを想像していたから、少し残念だ。


「言霊使いって、最近話題になってる都市伝説だよ……ね。言葉狩りから、派生した都市伝説って言われている」

「そうです」

「ネットとか、都市伝説掲示板で、色々な噂が流れててさ、僕も友人から教えて貰って初めて知ったんだけど……」

「そうです」

 いや、そこは「そうです」じゃなくって「」

「言葉を取られた人間は、言葉を喋ることはおろか、文字として興すことだってできなくなる……日常を脅かす存在だって」

「人から借りた言葉を、そんなぞんざいには扱いません!!」

 ぎゅっと僕の目の前で膨れっ面になる。

「言霊使いは――――言葉を、いいことに使うんです」

「いいこと……か」

 彼女曰く、言葉を使って「何か」をしでかそうってワケでは、どうやらないらしい。見習い言霊使いである赤城天音さんは、僕から少しばかり拝借した「〇」を真面目に、いいことに使おうとしているワケだ。

「それなら、いいんだけど。ひとまずのところは……悪いことに使わないのなら」

 なんて言ったけど、良くない。全然良くない。

 いいことってなんだ、いいことって。

 メチャクチャ具体性に欠けるじゃないか。

 女の子が言う「いいこと」とおじさんが言う「いいこと」では、同じ言葉だけれど意味合いが天と地で異なってしまうのと同じように、同じ言葉を呟いたとしても、誰が呟くによってその言葉の意味合い、いや――言葉の本質は変わっていく。

「でも……さっきは、僕の『いしき』をぼかしたって言ったよね。あれは……君の言ういいこと、なのかな」

「あ、あれは、不可抗力です! 外で、言霊使いだって言うのは、あなたも私も……危険かなって思ったから」

 そっか、不可抗力か……。で納得できるほど、僕の頭はよくできちゃいない。でも確かにあの場での判断は、僕の意識をぼかして、喫茶店に連れ込むのが最適解だったかもしれない。


「じゃあ……どうしよっか。今後の予定」

「えっ」

「一緒に探すんだから、何処かでお昼を食べてからでもいいし、それから君の言う通りに、僕は行動する……」

「事情が事情ですから、一緒にいた方が良いと思って」


 そう言われて、僕はどきっとした。


「えっ、なんで?」

「…………」

「駄目……でしたか?」


 天音さんは、僕の言葉に詰まって黙り込んだ。


「いや、でも、連絡先とか教え合えば、後はお互いに都合の逢う日に逢ってお話すれば――それで済む話だと思うけど。僕は」

「それは、そうですけど……でも、宮川さんが春休みになるまで、私はどうしたらいいんですか……宮川さんが時間を合わせられないなら、私が時間を合わせます」

「春休みまで待てないって言うなら、放課後とかに時間を割いてみるようにするけれど、どうかな……湯島で待ち合わせてもいいし、湯島じゃないどっかでも、いいけどね。僕は」

「お金とかの問題もあるし……そ、それに……」


 急に、現実的な問題を切り出して来た。

 確かに、そうかもしれない。

 実際、春休みを迎えるまではあともう少しなのだけれど、僕も引っ越して来たばかりで荷物の紐を全く解いていないし、援助と言う体で両親から送られた仕送りも、生活費を含めての援助なので、あまりおいそれと手を出すことはできない。

 それに――毎日、言霊使いの天音さんに会うことになったら、仕送りも貯金もやがて底が尽きてしまうだろう。四月を迎える頃には、きっと僕は金無しくらげに化けてしまっているに違いない。僕がそうなのだから、中学生の女の子のお財布事情はもっともっとあくせくしているハズだ。

 彼女にだって友達と遊ぶ時間だってあるだろうし、自分の時間だって勿論あるはずだ。それを投げうってまで僕と関わろうって理由は、きっと無いはずだ。

 でも、だからと言って、年の近い――それも年下の女の子を家に上げさせるってのは、いかがなものかと思ってしまう。

 ところが天音さんは、それを意に介さなかったのか、メロンソーダをひとくち喉に通してから、


「信じて貰えないかもしれないですけど、言霊使いには、見習いとしての間、人から言葉を借りて返せなかったとき、ひとつの掟があるんです」


 なんてことを、顔色を変えずに、平然と口にした。


「なっ――――」


 ひとつの掟? 

 なんだそりゃ。と呟こうとしたが、どうしてか声を出すことができなかった。僕の言葉を遮ろうとしたであろう彼女は、そのまま声を乗せる。

 また、とんでもないことを言うんじゃないだろうな。と僕は心の中で身構えた。


 春を迎えたら、言霊使いにはとある掟が待っているという。

 言霊使いが言葉を巧みに使える、言っちゃば「凄い」存在だとして……見習い言霊使いは、まだうまく言葉を使うことができないってこと。

 そのために見習い言霊使いは、言葉を上手く使える様になるために、一人前の言霊使いになるために、言葉を拝借した人と――――共同生活を送るらしい。


「そ、それって……一緒に生活するって、同居ってことじゃないか」

「そ、そういうことにな、なるんです……かね。なりますかね?」

「どうして、一緒に暮らさなきゃいけないの?」


 なんだその、後から取って付けたような設定――


「本当の……本当なんです!」

「一緒に暮らさなきゃいけない理由にも、『僕の言葉』が関係しているってことなんだね……?」


 僕は、言葉につられてついついそんなことを聞いてしまった。

 天音さんは「はい」と首を縦に振って、頷いた。

「……」

「…………」

 なんだ、これ……。

 何が、起ころうとしているんだ。

 出逢って間もない女の子と一緒に、共同生活?

 なんでだよ。

 ふぅ、と漏れそうになった溜め息を押さえて、僕はコーヒーに手を掛け、カップをくいっと傾ける。

 あれ、もうコーヒーが入っていない。

 そう思った瞬間に――優先のラジオから「山本リンダ」の「もうどうにもとまらない」が流れた。またか、リスナーも物好きだな――と机に肘を掛けようとした瞬間、僕の耳がぴくり、と跳ねる。

「あれ……この曲、ちょっとだけ歌詞が違うような気がします」

 彼女もストローを口から離して、視線を天井へと向けた。僕もそれに釣られて、天井を仰ぎ見る。

 これは確か、2005年にリリースされた「どうにもとまらない〜ノンストップ〜」の方だ。アニメのエンディングテーマにもなった曲で、実は英語版もあったりする。

 1972年にリリースされた「どうにもとまらない」をアクション歌謡と称するなら、こちらの「どうにもとまらない〜ノンストップ〜」は、現代版とも言うべきだろうか。

「もうどうにもとまらない」

 力強い歌声に背中を押されたのか、その衝撃で、僕はひとつのことを思い出す。

 ん? 赤城天音――――?

 ちょっと待てよ。

 おいおいおい……。

 どういうことだ。

 どういう偶然だ。どういう因果だ。

 どうして目の前の女の子の名前には――――

「あ」がふたつもあるんだ。

 開いた口が、文字通り塞がらない。自分至上で一番しょうもないことで口をポカンと開けて間抜けな顔を、彼女の目の前で晒してしまっている。赤城天音さんと出逢ってから、もう何回驚いたかは分からないけど、これだけは分かる。

 これはしょうもないことだけれど、それと同時に、とっても大事なことだ。

 だって、僕は「あ」を喋れなくって、その「あ」は、あを更にふたつも持っている――赤城天音さんの手の中にあるんだから。


「あの……僕は君に『〇』を取られているからさ、君の苗字も名前も……言えないんだけど」

「あっ、そうでした」

「僕は、君のことをどう呼んだらいいかな?」


 ピンポイントで苗字と名前にそれぞれ「あ」が付いているから、僕は目の前の女の子の名前である「赤城天音さん」の名前を呼ぶことができない。彼女にあだ名があれば助かるし、そのあだ名に「あ」が入っていなければ、こちらも万々歳だ。

 少しの間、「んー」と考え込んでいた天音さんは、

「よく『ねーちゃん』って言われるんです。だから……ねーちゃんって言ってくれると、助かります」と口を開いた。

 それに僕は口をパクパクとさせた。

 ねーちゃん。

 彼女にはあだ名があった。

 それは、ねーちゃん。

「ねーちゃん」

「はい、ねーちゃんです」

 目の前の女の子を僕はこれからねーちゃんと呼ばなければならないのか。

 ねーちゃん。

 とってもいい響きなのだけれど、どうも、なんか違う気がする……。


「他の呼び方って、あったりする?」

「ねーちゃんだと、とってもありがたいです」


 無いのか……。

 僕はもう一度口をパクパクとさせた。これ以上なにを口にしたらいいのか、分からなくなってしまう。

「…………あの、チェンジで」

「ひ、酷い……」

 僕は酷くない。今のはなんだ。ぼ、僕が悪いってのか……? 

 僕は…僕は悪くない。だって普通はねーちゃんって、姉のことじゃん。お姉さんのことじゃん。

 どうして、年下の女の子のことを、事情があるとはいえねーちゃんと呼ばなきゃいけないんだ。

 それにしてもですね、あだ名で「ねーちゃん」って呼ばれるのも、随分と珍しい気がするんですわ。

「ねーちゃん。こ、これで……いいのかな」

 頭を掻きながら、恥ずかしさ満載の気持ちで、目の前の少女のあだ名をぼそっと、小さい声で呟く。すると、ねーちゃんは、ぱん、と両手を叩いて、嬉しそうな

眼差しで僕のことを見つめた。頬を少しだけ赤く染めて、にっこりと微笑む。


「も、もう一回お願いします!」

「嫌だよ!!」


 恥ずかしさのてっぺんに包まれてしまった僕は、思わず喫茶店の中で大きな声を上げてしまった。

 誰もいない喫茶店の中なのに、どうにもこうにも、文字通りいてもたってもいられなくなってしまった僕は、そそくさと席を立ち、会計を済ませる。

「アルマゲドン歌いましたぁ」とワザとらしくお別れの挨拶を言うマスター。

「何処に……行くんですか?」と慌てて席を立ちあがってこっちに向かって歩み寄る――制服女子。 

 僕はこの短時間で、どれだけこの女の子の言葉を聞いただろう。

 なんてことを思いながら、言霊使いを名乗る――――赤城天音さんに向かって「行こうか」と手を取った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る