麺のように長いプロローグ Part Ⅱ
結論から申し上げると、僕は何故か「あ」を喋ることができなかった。理由は分からないけれど、「あ」という言葉を口から声に出すことができなかった。
五十音順の、他の文字はなんてこともなく、普通に言葉に出すことができる。
「お前――盗られたな」
「はぁ?」
なに言ってんだお前と、目の前の友人の眉間をぐいーっと押しながら、「何をだよ」と訊いてみる。眉間を押さえ付けられている当の本人は間延びした声を漏らして「あぁ……んごごご」と濁った喘ぎ声を出した。
「よくあるんだって。昔から、言葉を何者かに盗られるって都市伝説が」
「なにそれ」吉祥の代わりに、三鷹さんが身振り手振りをしながら言葉を続ける。
「ううん……私も、ウラに教えて貰うまでは知らなかったんだけど」
「言霊使いってヤツ――――宮川は知らないか?」
「知らん」と吉祥に向かって一蹴する。
比較的新しい方なんじゃないか……。と吉祥はまるで風邪を引いたような声をしてボソッと漏らしていた。確かに都市伝説は日々カタチを変えながら後世へと語り継がれているけれど、「言霊使い」なんて都市伝説は聞いたことが無い。
もしかして、御留美市に蔓延るご当地都市伝説ってヤツか――――?
「それじゃあ、言葉狩りって知ってるか?」
「それは、うん……知ってる。知ってるよ、聞いたことがある」
言葉狩り。という都市伝説は――その名の通り自分が発している「ある言葉」を何者かに取られてしまう現象だ。言葉狩りに遭遇してしまい、言葉を取られた当人は盗られた言葉を喋ることはおろか、文字としても興すことができなくなるという。取られるだけならまだしも、その言葉を一生使うことができないって、もうそれ呪いの類だと思うんだけれど。
「ヒェッ……」
聞いただけで身が捩れてしまうような――――恐ろしいものだった。
普段の僕だったら「んなワケない」と笑い飛ばせたはずだ。でも今はそうはならない。だってたった今この瞬間にも、「あ」を喋ることはできないんだから。
「怖いよなぁ……言葉を取られるって」
他人事のように吉祥がぼやいたのを、横目で一瞥してから、僕はゴクリと唾を飲んだ。
そう、そうだ……。このまま言葉が喋れなくなったら、どうなってしまうんだろうって、不安になる。
その不安を抱えたまま、日常を過ごさなくちゃいけない。毎日を過ごさなくっちゃいけない。
「それって……苦痛そのものじゃないか」
「今のは都市伝説過剰サイトって言う――都市伝説をむりくり大袈裟に説明して」
って三鷹さん、それデマサイトじゃないか……。
僕は彼女の言葉を遮って、二人に訊いてみる。
「流石に、盗られた言葉を全部忘れる……とか、そんな冗談はないよね」
吉祥は、黙りこくった。
「…………多分。それは、有り得ないんじゃない? あはは」とすかさず三鷹さんがフォローに入る。
「何かあったら、わたしらに言いなよ。その時は力になってあげるからさ」
「それって、いつだよ……」
「いつか……かな」
ねぇ、なんでいつかなんて曖昧極まりない言葉を出しちゃうのさ。三鷹さんも、もっとなにか言っておくれよ……。
「大丈夫だよ。きっと、『あ』が喋れなくても……明日は来るから!」
と三鷹さんはひらひらと手を振り、妙に前向きな言葉を僕に送ってから。教室を後にした。教室に残っているのはいつものメンバー。僕と尾方と吉祥の三人だ。
「どっか行かね? 暇だし……」
「そんな気分じゃない」
「じゃあ……そんな気分になるまで、待つか」
「帰れ」
地元の御留美市に舞い戻って来て、僕は平穏な日々を送るはずだった。三学期ももう終盤、一学期の時のように、馬鹿やりながら残り一月の、高校一年目の学園生活を普通に送るんだと意気込んでいた僕こと――――宮川健人。
僕の日常は、音も立てることは無く、「あ」と一緒に何処かへ飛んで行ってしまったのである。
その何処かへ飛んで行ってしまった「あ」に対して、憤りの無い荒波を立てて、吉祥や尾方を先に帰らせ、一人でとぼとぼと帰路に付いたことは、最早言うまでもない。
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