終章、本文(丸ごと全部)
「……それで、どうしてこうなるわけ?」
波乱に満ちた夏休みも無事に終了し、二学期が始まったばかりの九月の半ばにて、ついに迎えた
とはいえ、いきなり教室に向かうのは、数多の艱難辛苦を乗り越えたことで今や真の不幸な予言の巫女として目覚めた彼女にとってもハードルが高過ぎるということで、まずはある意味彼女のためだけに新設していた将棋クラブにて担任である僕と落ち合うことにしていたのだが、こうして実際に部室に一歩足を踏み入れてみるや、僕以外に存在していた思わぬ
「……いやまあ、僕も驚いているんだけどね。何とこいつら本日付けで、六年生のクラスに転入してきたんだとよ。しかもそのまま僕のところに来たかと思えば、いきなりこのクラブの入部届を突きつけやがったんだよ」
自分自身いまだ納得がいかないまま事情説明を行う、担任教師にして将棋クラブの顧問の青年。
「うふっ。さっそくまた会えましたね、愛明♡」
にこやかな笑みを浮かべながら
「姫様共々、本日より、どうぞよろしくお願いいたしますわ」
続いて不敵な笑みを浮かべながら挨拶を述べたのは、過日のミステリィ小説そのままの怪事件において黒幕として暗躍していた、いわゆる『ハグレ巫女』の少女であったが、こちらは巫女装束ではなく涼しげな水色の着物に純白のエプロンドレスといった『和風メイド服』とでも呼ぶべき衣装を年の頃十四、五歳ほどのスレンダーな肢体にまとって、車椅子の後ろに控えていた。
そのようにさも当たり前の顔をして親しげに声をかけてくる二人の姿に、ついにブチきれる元引きこもり少女。
「いやそもそもが、あなたたちがこんな俗世間の極普通の小学校にいること自体がおかしいでしょうが⁉ まず
そのように疑惑の眼差しを向けてくるゴスロリ少女に対し、しれっと答えを返す和風メイド少女。
「失礼な。そんな時代遅れな三流ミステリィ小説まがいなことなぞ、けしていたすつもりはございませんわ。何せ今や私は、心を入れ替えたのですからね」
「はあ?」
「あなたも御存じの通り、私は幸福な予言の巫女としての類い稀なる未来予知や未来操作の力を認められて正式に
「違う! そんなことを聞いているんじゃない! 私はあなたたちのような化物じみた予知能力を持った幸福な予言の巫女が、小学生やメイドになりすまして世俗に紛れ込んで何を企てようが知ったこっちゃないけど、何でよりによってうちの学校に転入してきて、あまつさえ元引きこもり少女にとっての校内唯一のオアシスである、この将棋クラブにまで入部してきたりするのよ⁉」
もはや怒髪天を衝く勢いでがなり立て始める愛明に対して、ここに来て初めてやおら泰然自若とした表情を曇らせる、車椅子の少女。
「……そんなに邪険にしなくても、よろしいではありませんか。先日の熱き将棋の対局の際には、決着がつくとともに力尽きて倒れてしまった私に対して、一度は『お姉ちゃん』と呼んでくださったというのに」
「はあ? あなたとは実際にはネット上で対局を行っただけなのであって、あのやり取りはあくまでも、『
「あらあら。愛明ったら自分自身も不幸な予言の巫女のくせに、大切なことをお忘れのようね。いい? あらゆる世界のあらゆる存在の記憶や情報の集合体である集合的無意識の見地に立てば、たとえ夢や小説上の『
「うっ」
「それに何よりも私だって巫女姫である前に人の子なのですから、せっかくこうして
そう言って目隠しに覆われた瞳に両手を当てて、よよよと泣き真似をする巫女姫。
「ふ、ふんっ。そんなこと言っても、騙されたりしないわよ。どうせあなたたちの狙いは私なんかではなく、そこの不幸まみれのロリコン教師のほうでしょうが?」
「あら」
「ばれました?」
……………………は?
な、何でここでいきなり、僕が引き合いに出されるんだよ⁉
「先の事件の際に麗明さんもおっしゃっておられたように、幸福な予言の巫女は幸福の予言が的中しなければ何の存在価値もございません。つまり『夢の中の自分』こそを本性としている私たちは、予知夢として見た夢がすべて正夢として現実のものにならなければならないのです。しかし言うまでもなくこの現実世界の未来には無限の可能性があり得ますので、私たちが夢の中で
な、何だ、そりゃあ⁉
せっかく愛明のお陰で前回の事件においてようやく初めて、自分の作品が現実化することによって被害者を生み出してしまうのを完全に未然に防止できたというのに、これからもまた僕の『作者』としての力に惹き寄せられてきた、幸福な予言の巫女絡みの騒動に巻き込まれてしまう可能性があるってわけなのかよ⁉
「ちょっと、何勝手なことを言っているの!
「あら、『作者』を独り占めにしようだなんて、許されるとお思い?」
「そうよ、愛明。先生は私たち予言の巫女全員のものなんだから、せいぜいみんなでおもちゃ…………もとい、お慕い申し上げていきましょうよ」
おいっ、そこの巫女姫。今何と言おうとした⁉
「駄目よ! 駄目駄目! 絶対に駄目! 先生は私のものなの! ──ちょっと、あなたからもちゃんと言いなさいよ⁉ 『私めはすでに愛明様の
もはや駄々っ子そのままにわめき散らしながら、いきなりこちらへと矛先を向けてくるゴスロリ少女。……つうか、君まで、何をどさくさに紛れて言い出しているんだ?
「いやそもそも、いったいいつから僕が、君のものになったって言うんだよ? それに小学校教師たる者、特定の生徒をひいきすることなぞ断じて許されず、あくまでも生徒
「何その、ぬけぬけと突然の『ハーレム宣言』は⁉ ロリコン! やっぱりあなたってガチの、無差別級ロリコンだったのね⁉」
「何だよ無差別級って⁉ それに小学校教師に向かってロリコン呼ばわりは、何よりも禁句なのであって……」
「──おーい、いつまで待たせるつもりなんだ? そろそろ授業が始まるぞお」
もはや支離滅裂と化していた僕らの言い争いに終止符を打ったのは、突然割り込んできたどこか厳つい男性の声であった。
四人揃って振り向けば、何と部室の入口の手前には、いつの間にか予想外の人物たちが雁首を揃えていた。
そうそれは、裏カジノでのポーカー勝負に始まり、株式のトレーディングやオフロードレースや山間部踏破レースやヨットレースや企業コンサルタントから、しまいにはアメリカ国防省での軍事戦略に対する助言に至るまでの、いわゆる真の不幸な予言の巫女として目覚めるために行った数々の修業において愛明のパートナーを務めてくれた、その道のプロの男たちであったのだ。
「……
「ふっ。何と言っても今日は、愛明お嬢の記念すべき新年度初登校の日じゃねえか。俺らが祝ってやらなくてどうするよ。それに俺たち自身にも折よく本日行われる授業参観に是非とも参加して欲しいとの、我らがマドンナたる
「お母さんが……」
そう言って感極まった表情となる愛明であったが、こちらとしてはもらい泣きをしている暇なぞはなかった。
「いけね。そういえば今日は、授業参観日だったっけ。朝からの大騒ぎで、すっかり忘れていた。──愛明、いろいろと準備しなければならないことがあるから、先に行っているぞ。ビビって逃げ出したりせずに、ちゃんと教室に来いよ!」
そのように言い捨てるや否や、慌てて職員室へと駆け出す駄目教師であった。
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
とにもかくにも何よりも肝心な
何せクラスメイトだけでなくその父兄も勢ぞろいしている前で、幾多の困難を乗り越えたがゆえの文字通り生まれ変わったかのような凛々しき大人びた顔つきで、禍々しくも可憐なる漆黒のゴスロリドレスに身を包んでまさに肩で風切るようにして、母親のみならずギャンブラーや相場師といったとても真っ当な一般市民とは思えない男たちを大勢引き連れて現れたのだ。
去年も同じクラスで愛明のいじめを主導していたスクールカーストの頂点に君臨している『女王様』生徒なぞは、愛明の足下にひざまずいてこれまでの非礼を詫び『女王様交代宣言』をする有り様だった。
……ちなみに愛明の返事は、「こんなちっぽけな
まあとにかく、お陰で授業参観自体はしっちゃかめっちゃかになってしまったけど、愛明の学校再デビューにおける先制パンチとしては効果抜群であったことには間違いなく、一応良しとしておこう。……後で校長から散々絞られるとは思うけどね!
しかし本当の波乱は、すべてが終わった後での職員室にて、待ち構えていたのである。
「──あれ、
授業参観が終わった後で、なぜかギャンブラーたちに体育館裏に連れ込まれて、「おまえは我らがマドンナたる
この『最も不幸な
そんな憤懣やる方なき思いを抱きながら職員室の自分の席に戻ってくれば、何とそこには当の最愛の想い人が待ち構えていたのだ。
うひょう。やはり真打ちは、最後の最後に登場するってか?
ついにここに来て、『大人のロマンス編』に突入するわけですな!
「突然不躾に押しかけて申し訳ございません。どうしても
「へ? あの人って……」
そう言われてから竜睡先生の視線をたどるまでは全然気がつかなかったのだが、確かに彼女のすぐ後ろにはまったく気配を窺わせずに、一人の黒ずくめの男性が文字通り影のようにしてたたずんでいたのだ。
──っ。あ、あれは⁉
マットブラックのポールスミスのスーツに包み込まれた一見細身だが明らかに鍛え抜かれた筋肉質の体躯に、年齢不詳ながらも同性の僕から見てもため息をつきたくなるような秀麗さを誇る彫りの深い顔の中で、こちらを鋭く睨みつけている氷の刃のような双眸。
ま、間違いない。先ほどの授業参観にてその場にいた者の──特にお母様方の熱き視線を一身に集めていた、とてもカタギとは思えないいかにもいわくあり気な美丈夫さんではないか⁉
僕が謎めく男性の唐突なる登場に戦々恐々としていると、意外にも先方さんのほうから声をかけてきた。
「……貴様か、私のこの世で何よりも大切な最愛の宝物に、ちょっかいをかけているとかいう不届き者は」
「──‼ あんた、まさか⁉」
その意味深な言葉を耳にするとともに、思わず竜睡先生のほうを振り向けば、彼女は重々しく頷いた。
「……そうか、あんたが。ふうん、なる程ね。
「ふん。授業参観なぞに参加したのはあくまでも、可愛い可愛い娘その一の乃明たん──もとい。敬愛する巫女姫様からのたっての御下命だったからだ。本来姫の護衛としてはむやみに素顔をさらすのは許されないところだが、不承不承こうして俗世の格好をして人前に姿を現したというわけなのだ」
乃明嬢が娘ということは、当然彼女の母親である夢見鳥一族の現当主の旦那ということで、しかもかつての竜睡先生の想い人でもあり、愛明の父親でもあるということか。
つまり竜睡先生とは一時の気の迷いによる不倫の関係で、そしてそのことが愛明を不幸な身の上にさせてしまったわけなのであり、まさしくこいつこそが諸悪の根源ってことだよな。
そうなるとこいつの言う『最愛の宝物』とは、間違いなく竜睡先生のことであろう。
それで、おそらく僕が彼女のことを密かに慕っていることに勘付いて、釘を刺しにきたってところではなかろうか。
ふざけるな! 正妻が怖くてこれまでずっと、竜睡先生や愛明のことをほっぽっていたくせに。
いいだろう、受けて立ってやろうじゃないか。
こっちはお互いに独身なんだから、僕が竜睡先生を慕っていて何が悪いと言うんだ。文句があるなら言ってみろ!
そのように僕が彼の言葉を待ち構えていた、まさにその時。
「いいか? けして貴様なんぞに、愛明を渡しはしないからな! そもそも教師のくせして、教え子に手を出したりして恥ずかしくはないのか⁉」
……………………………………は?
「ちょっ。あんたまで、何を言い出すんだ⁉ 僕はあくまでも愛明なんかではなく、竜睡先生のほうを好ましく思っているのであって──」
「くっ。何と狡猾な。自分の歪んだ性癖をごまかすために、母親のほうにまで粉をかけようとは。本来なら
「おいこら、超法規的な闇の一族のくせに、何を一般市民の義務を果たそうとしていやがるんだ。──ていうか、そもそも冤罪だ。スマホから手を放せ! それにしてもこの大詰めにきて、どいつもこいつも人のことを、ロリコン呼ばわりするんじゃない!」
あまりにも理不尽な風評被害の連続に堪りかねて、心の底から嘆きの声をあげていた、
まさに、その刹那であった。
「──それはあなたが自分では無自覚なままに愛明のことを欲していて、愛明のほうもあなたことを欲しているからですよ」
その唐突なる言葉に思わず振り向けば、竜睡先生がこれまでになく真摯な表情を浮かべてこちらを見つめていた。
「……僕と愛明がお互いに欲し合っているって、まさか先生まで、僕のことをロリコンだと思っているんじゃないでしょうね?」
「あら、あなただって覚えがあるでしょう? 例えばここ最近になってからは、愛明以外の不幸な予言の巫女の出てくる夢を見ることは無くなっているのではなくって?」
「──! ど、どうしてそれを⁉」
そもそも不幸体質である上に、何と小説に書いたものを現実のものとしてしまう僕は、自作そのままの怪事件に自分自身が巻き込まれてしまうことや、何の罪もない人たちが『被害者』として殺されていくことを、どうにかして阻止したいと思い続けていたために、無自覚に完璧なるリスク対策をなし得る不幸な予言の巫女を求めるようになり、愛明を含むかつて実在した様々な時代の不幸な予言の巫女の夢を見るようになっていたのだが、御存じのごとく実際に愛明と共に凶悪なる事件を未然に防止することを成し遂げてからは、愛明以外の不幸な予言の巫女の夢をまったく見なくなってしまった──というか、ぶっちゃけて言えば、
「そうなのです。あなたはこれからも愛明と共にミステリィ小説そのままの怪事件を解決する夢を見続けるだろうし、そしてそれを小説にしたため現実のものとした
「へ? それってどういう……」
あたかも『神託の巫女』であるかのように、厳かな表情で断言する竜睡先生。
……確かに彼女は幸福な予言の巫女の一族の出身だけど、自分で『無能』だと言っていたように、予知能力の類いは持っていないはずなのだが。
「まあ、一言で言うと、あなたが不完全な『作者』であるように、愛明も不完全な予言の巫女たる不幸な予言の巫女だからこそ、お互いに補い合うようにして求め合っているわけなのですよ」
「え。僕と愛明が不完全だからこそ、お互いに補い合おうとしているですって?」
「あなたは小説にしたためたものを現実化できるといっても、けして忠実に再現したものではなく不完全な現実化に過ぎず、しかも全知たる幸福な予言の巫女である麗明さんの力添えがあれば完全に一致させることができて、あなた自身も真の『作者』になれるところだったのに、彼女の助力をきっぱり断ってしまったわ。よってあなたは不完全な『作者』のままで小説を現実化し続けていかねばならなくなったのですが、当然自分の力だけでは実際の事件の推移をコントロールすることなぞできず、これまで同様に何の罪のない人たちを『被害者』や『加害者』として不幸にしかねない恐れがあるのです。だけど不幸な予言の巫女である愛明と共に手を携えさえすれば、あなたはもうこれ以上自分の不完全な『作者』としての力に苦しまずに済むのであり、だからこそあなたは愛明のことを無自覚に求めるようになったのですよ。何せ愛明の完璧なるリスク回避能力ならば、どのような事件のいかなる被害であろうがすべて事前に防ぐことができ、結果的には事件そのものを起こさずに済むのですからね。当然事件の推移のコントロールなぞ必要はなくなり、あなたも無理に真の『作者』として目覚める必要はなくなって、幸福な予言の巫女どころか愛明以外の不幸な予言の巫女すらもすべてお呼びではなくなるってわけなのですよ。──そう。言うなればあなたはすでに、愛明こそを、自分の
「なっ⁉」
愛明がすでに、僕の『ヒロイン』になってしまっているだって?
いったい何なんだよ。竜睡先生までが、麗明嬢みたいなことを言い出したりして。
「そしてこれは、愛明においても同様なのです。幸福な予言の巫女に比べてリスク回避能力に特化することで効率化を果たし、『進化した幸福な予言の巫女』とも呼び得る不幸な予言の巫女ですが、その反面能動的な幸福な予言の巫女に対してどうしてもその性質上受動的にならざるを得ず、そもそも『自分を求めてくれる存在がいないと、その秘められた秀逸なる力を十分に発揮できず、存在価値を示すことができない』なんて、個としてはあまりに不完全な存在と言えましょう。そんな愛明にとって、『不幸体質』であり『事件誘引体質』でもあり、おまけに『自作の現実化によって世間に不幸をまき散らしていることをどうにか阻止したい』あなたは、まさに不幸な予言の巫女として、頼りにされ大いに力を振るうことができ何より存在価値を感じさせてくれる、格好な相手となり得るのです。しかも愛明を『ヒロイン』にした小説を現実化することによって、本来受動的でしかない不幸な予言の巫女の力を使って存分に活躍できる場さえも与えてもらえるのですから、まさに他の誰よりも得難き唯一無二のパートナーと申せましょう。──そう。愛明にとってのあなたは、自分の
た、確かに。
こうして改めて言われてみれば僕と愛明は、お互いの欠けたところを補い合いお互いの長所を伸ばし合うことができる、まさにわれ鍋にとじ蓋そのものの、無くてはならないパートナー以外の何物でもないじゃないか。
このように竜睡先生の言葉に全面的に納得しつつも、その一方で不意に並々ならぬ疑問を覚えるのであった。
──それにしても何で竜睡先生は、僕と愛明のことをこれほどまでに──それこそ当の本人ですら気づいていなかったことまで、知り尽くしているんだ?
確かに愛明は彼女にとっては実の娘であるだろうし、僕自身もいろいろ相談に乗ってもらったり、愛明とのいきさつのすべてを記した『最も不幸な
それこそ、彼女のほうが僕なんかよりもむしろ、この『最も不幸な
……………………………待てよ。
そうだ、そうだった。
この現実世界という物語において登場している
確かに竜睡先生には自ら言っていたように、他の予言の巫女たちみたいに未来予知の力は無いかも知れない。
だけど『他の力』を──そう。何かしら超常なる力を、まったく持っていないとは言っていないのだ。
そもそも彼女の説によると、僕の小説を現実化できるという『作者』としての力の根本原理は、無意識とはいえ幸福な予言の巫女の一族同様に、夢の中や覚醒時の
だったらたとえ予知能力を持たないとはいえ、間違いなく幸福な予言の巫女の一族である竜睡先生が、実はちゃんと夢の中等で集合的無意識にアクセスすることをなし得て、小説にしたためたことを現実のものにすることができる力を──つまりは、この現実世界という物語の『
──そしてもし本当にそうであったのなら、何と愛明はもちろん同じく『作者』であるはずの僕すらも、単に彼女の手による小説の『登場人物』でしかなかったりする可能性だって、十分あり得ることになってしまうのだ。
いやむしろそうであったほうが、納得できる点が多々あった。
例えば確かに大まかなことについては事前に夢で見ていたとはいえ、小説を作成している時点においては赤の他人では詳細に知る由もなかった、愛明とギャンブラーを始めとする各種修業におけるパートナーたちや
確かに以前僕が
それに対してもし仮にこの世界が最初から、実の娘である愛明に関わることを十分に知り得る立場にある竜睡先生が密かに作成していた小説が現実化したものであり、僕のほうは『一登場人物』のような立場でしかなく、むしろ彼女の小説の内容そのままの『偽りの記憶』を集合的無意識を介して刷り込まれているとしたら、たとえ僕が彼女の知識にしかないことを知っていようと、何らおかしくはなくなるのだ。
……とはいえ、このような文字通り『鶏が先か卵が先か』そのままなことを一人でぐだぐだ考えていても、堂々巡りをするばかりで永遠に答えを得ることはできないであろう。
そこで僕は意を決し、御本人に直接問いただすことにした。
「……竜睡先生、どうか教えてください。この世界って本当に僕が書いた小説が現実化したものなのですか? ひょっとしたらあなたが書いた小説が現実化したものだったりして、むしろ僕は『登場人物』に過ぎないのではないでしょうか?」
「まあ、
そのようににこやかに答えを返す彼女の笑顔には、何の邪気もなかった。
「そ、そうですよね。すみません、変なことを言ったりして」
「そうですよ、うふふふふ」
「あは、ははははは──」
「そりゃあ、この世界があなたが書かれている小説である可能性があるのなら、私が書いている小説である可能性だってあり得ることは、当然ではないですか?」
──‼
「それじゃやっぱりこの世界はすべて小説に過ぎず、僕は単なる『登場人物』で、集合的無意識を介して『偽りの記憶』を刷り込まれることによって、『真の作者』であるあなたの意図するままに、ただ操られている存在でしかないってことなんですか⁉」
「はい、その
「はあ?」
「だから何度も申しているでしょう? 私たち形ある
…………あ。
「よってこの世界が現実のものなのかあなたの手による小説なのか私の手による小説なのかを論じても、まったく無駄でしかないのですよ。何せすべて正解である可能性があるのですからね、答えが出ないのも当然なのです。麗明さんもおっしゃっておられたようですが、世界というものはすべて等価値なのであり、たとえそれが『小説の世界』と『その小説を作成した世界』であろうとも、その両者には因果関係はもちろん時間的前後関係すらも存在せず、私があなたを『登場人物』として操っているのか、それともあなたが私を『登場人物』として操っているのかは、どっちでもあるしどっちでもないとも言い得るのであり、場合によっては私たち以外の第三者が『作者』としてこの現実世界を小説として生み出していて、私たち二人共が『登場人物』に過ぎないという可能性だってあり得るのです。だから結局のところ私たちは、たとえこの世界が小説や夢かも知れなかろうとも、自分自身ではあくまでも現実のものと思っていればいいのですよ」
そのように自信に満ちた笑顔できっぱりと断言する、この世界の『
そんな姿を見せつけられて、僕は完全に毒気を抜かれてしまう。
……そうか、そうだよな。
自分が現実の存在なのか、夢の存在なのか、それとも小説の存在なのかなんて、考えるだけ無駄なんだ。
何せ僕はあくまでも、僕でしかないのだから。
……まったく、結局最後まで、竜睡先生の手のひらの上で、踊らされていたってわけか。
「さすがは僕のあこがれの人! 先生、どうかこれからは御一緒に、僕たち二人だけの
そのように僕が感極まったあまり、ついプロポーズじみたことを口走ってしまった、
まさにその時であった。
「──誰が、あなたのあこがれですって?」
唐突に背後からかけられる、冷ややかなる声音。
思わず振り向けば、いつの間にか漆黒のゴスロリドレス姿の少女が、なぜだかさも不愉快げな表情をして立っていた。
「あれ? 愛明、何でここに。もう下校したんじゃなかったのか?」
「あのねえ、こちとらかれこれ一年近くも家の中に引きこもっていて、今や登下校の道順も覚束ないんだから、ちゃんと家までエスコートしなさいよ。あなた担任でしょう?」
「いや、たとえ担任であろうと、そこまで面倒をみる必要はないだろう。ていうか、ギャンブラーたちはどうした? 彼らに頼めばいいじゃないか」
「──上無先生。生憎ですが
「はっ。かしこまりました!」
「ちょっと、何でお母さんの言うことなら、ホイホイ聞くのよ⁉」
「そりゃあ竜睡先生の手料理を御相伴に与れると聞いて、否やはないだろう。それに『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』って言うじゃないか。ここで渋々ながらも君の面倒をみることによって、点数を稼いで印象を良くしようってわけなのさ」
「打算的過ぎる! しかも本人の前で言っているから効果無し!」
あ、しまった。
慌てて竜睡先生のほうへと見やれば、相も変わらずにこやかなる笑みを浮かべていた。
「先生、これからも愛明のこと、よろしくお願いいたしますね」
「はい、お任せください!」
「──ふざけるな! 私は認めんぞ! 貴様のような調子のいい男に、大切な娘を任せられるか!」
突然いきり立って食ってかかってきたのは、これまで完全に沈黙を守っていた、当のゴスロリ少女のお父上であった。
そんな彼に対して真冬の氷雪のような視線を向ける、他称『大切な娘』。
「…………おじさん、誰?」
「──うぐっふぉっっっ! め、愛明⁉」
まるで銃弾で撃ち抜かれたかのように胸元を押さえながら、堪らず奇声を発する男。
「馴れ馴れしく名前を呼ばないでください、
「ぐはあっ‼」
ついにその場に倒れ込み、ぴくりとも動かなくなる黒ずくめ。
──けっ、当然の報いだ。この浮気男めが。
「それじゃあ邪魔者も片付いたことだし、とっとと帰りましょう」
「いや、一応はお父さんなんだから、邪魔者呼ばわりはいくら何でもあんまりなのでは……って、おい、ちょっと待てよ!」
一人で勝手に職員室を出て行きそのままどんどんと歩き去る教え子に、慌てふためいて追いすがっていく担任教師。
どうにか追いつき並んで歩き始めながらも、しばらくの間何とも言えない沈黙が、二人の間を包み込む。
その緊張感に耐えきれなくなり声をかける、ヘタレ教師。
「なあ、新しいクラスメイトや乃明嬢や麗明嬢たちと、これからちゃんとうまくやっていけそうか?」
「何よ? 急に改まって、教師みたいなことを言い出したりして」
「そりゃあ、教師だからね!」
「ふん。矢沢のおじ様たちも睨みをきかせてくれたことだし、クラスのやつらは大丈夫よ。だからといってクラスの女王様なんかになるつもりはないけどね。乃明や麗明に関しては向こうから何かとまとわりついてきて、むしろうざいくらいよ」
あー、それもそうかあ。本人無自覚のようだけど、こいつ自身にも数ヶ月前とはまったく別人とも言えそうな、『凄み』が身についてしまっているからなあ。
「あなたこそ、どう思っているのよ? 乃明とか麗明とか………………それに、お母さんのこととか」
「へ? それって、どういう意味だ?」
「だから私以外の一族の女にいくら脇目を振っても、無駄だって言っているの! あなたは私の担任なんだから、私だけを見ていればいいのよ!」
「はあ? それはあくまでも公的な立場での話で、僕が個人的に誰に興味を持とうが勝手だろうが?」
そこで唐突に立ち止まり、どこかいたずらっぽい目を向けてくる、いまだ年端もいかない少女。
「あら、あなたはすでに私のことを、自分の唯一の『ヒロイン』に定めたんじゃなかったの?」
「──っ。もしかして君、聞いていたのか⁉」
「嫌だわあ。小学校教師が自分の受け持ちの女の子を、勝手に『ヒロイン』認定したりして。どんだけ真正なのよ? だけど仕方ないわよねえ。こんな不幸体質を見捨てたんじゃ目覚めが悪いし、これからも私がずっと一緒にいてあげるから、感謝するがいいわ」
そう言って僕の腕に、おうとつのまったく無い華奢な肢体を絡みつけてくる小学生。
「何勝手なことを言っているんだ。僕は君のことなんて、全然必要としていないよ!」
「──っ」
その瞬間であった。
目の前の少女の表情が、まるで魂の無い人形や物言わぬ屍体であるかのように、すべて拭い去られてしまったのだ。
そう。まるで初めて出会った際の、あの孤独な部屋に引きこもっていた彼女自身へと、舞い戻ってしまったかのように。
……そうだった。
こいつは不幸な予言の巫女であるがために忌み嫌われ続けて誰からも必要とされなかったからこそ、自分自身に絶望して心を閉ざしていたんだっけ。
それゆえに今やこいつは常に誰かから必要とされていないと、自分の存在価値を認めることすらできなくなってしまっているんだ。
つまりいまだ小学生であるこいつに明確な男女間の恋愛感情があるかどうかはともかくとして、少なくとも僕については、己自身不幸体質であるゆえに不幸な予言の巫女である愛明をこの世の誰よりも求めざるを得ないのであり、そしてそれによってこそ彼女自身も己の存在価値を実感することができるのだからして、あれほどむきになってまで、僕と常に共にあることを求めているってわけなんだ。
……仕方ない。これも乗りかかった船だ。
「あー、ところで
「な、何よ、いきなり?」
僕のいかにも唐突なる台詞によって、どこか怪訝な表情とはいえ、どうにか再び感情らしきものを取り戻してくれる少女。
「いやね、例によってミステリィ小説そのままの怪事件の夢を見たんだけど、近日中に小説化するつもりだから、おそらくはこれも現実化して僕も探偵役として巻き込まれると思うんで、また前回のようにおまえに手伝ってもらいたいんだよ」
「……一応聞くけど、それって私以外に、お母さんとか乃明とか麗明とかも登場してくるわけ?」
「ああ、まあね。──って、そんな怖い顔をして睨みつけるなよ? 仕方ないだろう、夢で見てしまったんだから」
「だったらあなたが作者として、彼女たちを小説に登場させなかったり、いっそのこと夢そのものを小説化しなければいいじゃないのよ⁉」
「駄目だ。ネットオンリーの素人作家とはいえミステリィ小説家の
「……はあ。仕方ないわねえ。わかったわ、付き合ってあげる」
「おお、恩に着るぜ!」
いかにも渋々といった顔つきで了承の返事を返す愛明であったが、そこには間違いなく喜色の表情が浮かんでいた。
そうだ、竜睡先生の言っていた通りなんだ。
僕らはお互いに求め合い補い合ってこそ、自分自身の存在価値を認めることができるんだ。
つまりこいつのことを笑顔にできるのは、この世で僕だけってわけなのだ。
だったらもはや、見捨てるわけにはいかないじゃないか。
この子のためにも。そして、自分自身のためにも。
そんなことをあれこれと思い巡らせていれば、突然少女がこちらへと振り向いて、不敵な笑みを浮かべながら宣った。
「だって私は、あなただけの『ヒロイン』だしね。これからもよろしくね、私の『作者』様♡」
最も不幸な少女の、最も幸福な物語 881374 @881374
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