第五章、その五

「確かに君の全知としての力のアシストがあれば、僕は全能なる真の『作者』として、この現実世界を現在過去未来にわたって意のままにできるようになるかも知れない。しかしそれってもはや現実の存在ではなく、それこそ『おとぎ話の神様』や『ミステリィ小説ならではのいかにも非現実的な名探偵』や『SF小説ならではの何でもアリの似非エスパー』みたいなものでしかなく、この無限の未来の可能性があり得る現実世界においては無理があり過ぎて存在し得ず、存在したとしても欠点や矛盾点ばかりの存在にしかなり得ないだろうよ。結局は創作物フィクションの世界でしか存在し得ない『おとぎ話の神様』や『名探偵』や『エスパー』なんぞに対しては、いくらでも欠点や矛盾点をあげつらうことができるようにね。なぜならいかにも漫画的な万能の力を誇ろうとも、無限の未来の可能性があり得る現実世界のあらゆる局面において潜んでいる『リスク』をすべて回避することなぞ原則的に不可能なのであり、そしてそれはミステリィ小説という作品形態における永遠に解決不可能な根源的欠陥たる、いわゆる『後期クイーン問題』によって如実に証明されているのだから」


「へ? 後期クイーン、問題って……」


「実を言うとね、ミステリィ小説なんてものは不完全な存在でしかなく、いくら作者が『今回の事件は完全に解決しました』と宣言しようが、もしかしたら作品内には登場しなかった真犯人が存在しているかも知れないし、作品の完結後にすべてを覆す新たなる決定的証拠が出てくるかも知れないし、犯人が真の動機を隠し通すために嘘の告白をしていたかも知れないし、そもそも名探偵による名推理──ひいては作者自身による筋立てストーリー自体に重大なる過ちが存在しているかも知れないし──等々といった、『実は作品世界のにこそ、真相や真犯人が存在し得る可能性はけして否定できない』とする、アメリカの誇る著名なるミステリィ作家エラリー=クイーンが主に作家人生の後半期に発表した作品群において最も重要なるテーマとした、俗に言う『後期クイーン問題』が常に付きまとってくることになるんだ。これはひとえにミステリィ小説というものが作家という一個人によって、被害者から加害者からそれらを操っている陰の黒幕から証拠からアリバイから最終的真相から──ひいては作品世界そのものに至るまで、すべて創り出されているがゆえに、当然のごとくその筋道ストーリーや世界観が固定的かつ限定的にならざるを得ず、最終的結論たる『真相と真犯人』を始めすべてが最初から決定づけられてしまい、原則的に無限の可能性を有し誰もが被害者にも加害者にもなり得て『真相と真犯人』も二転三転していき最後の最後まで決定することのない、現実世界との乖離がどうしても生じてしまいかねないんだよ。それというのも後期クイーン問題で言うところの『作品の外側に存在し人知れずすべてを操っている真犯人』とは、まさしくその作品の『作者』自身に他ならないのであり、小説というものはどうしても作者の創作意図や能力の範囲内に限定されて、当然のごとく作品内に記された『真相と真犯人』に固定されてしまうけど、無限の可能性を秘めた現実世界においては、『真犯人』となる可能性が事件関係者全員にあるのはもちろんのこと、その道筋ストーリーも理論上無限の分岐があり得てけして小説のように一本道ではなく、結末たる『真相』も当然たった一つではなく様々なゴールを迎える可能性があるんだ。つまりいくらミステリィ小説において主人公にしてたる『名探偵』があたかも全知そのものの推理力を持っていようと、後期クイーン問題──ひいてはこの現実世界には無限の可能性があり得るとする量子論に則れば、『真相や真犯人』というものには常に無限の可能性があり得て、ミステリィ小説という一つの作品が完結した後でも、新たなる『真相や真犯人』が判明する可能性はけして否定できないゆえに、せっかく全知そのものの推理力を有しているのなら、どこまで行っても確定できない『真相や真犯人』なぞを追い求めるよりも、その時点その時点における被害をすべて未然に防止するといった、『リスク回避』にこそ役立てるべきだということなのさ。もちろん君が言うように幸福な予言の巫女としての全知の力に加えて、僕が有しているという『作者』としての全能の力を合わせれば、一つの事件のすべての過程を『リスク回避』すらも含めて完璧にコントロールできるどころか、この現実世界のすべてを現在過去未来を問わず意のままにすることだって可能かも知れない。しかしそれでは僕はまさしくミステリィ小説における最大の禁忌的存在たる、『作品の内側に存在する作者』そのものになってしまうも同然なんだ。ただでさえ普通に作品のにその小説セカイのすべてを生み出し操っている『作者』が存在しているだけで、後期クイーン問題などという致命的欠陥が生じてしまうというのに、よりによって作品のに『作者』自身そのものを存在させてしまったんじゃ、もはや後期クイーン問題すら比較にならないほどの支離滅裂な状況にだってなりかねないだろうよ。何せ言わばそれは全知全能の存在を──まさしく『おとぎ話なんでもありの神様』を、この現実世界の中に登場させるようなものなんだしね。言うなればミステリィ小説世界内におけるミステリィ小説家とは、あたかもテレパスそのままに登場人物全員の心を読めて、予知能力者そのままにこれからの行く末ストーリーをすべて知り得て、回想シーンや未来予想図の名を借りて過去や未来へのタイムトラベルすらもなし得て、更にはほんの気まぐれに『改稿』という形でホワンロン等のいわゆる『夢の主体』そのままに世界そのものを現在とはまったく異なる『別の可能性の世界』へとルート分岐させてそっくりそのまま入れ替えたりもできるといった、まさに小説的世界においては絶対無敵の存在なのだから。──君には、わかるかな? 自分のすぐ隣にいる人物が己の運命や生死はおろか、世界そのものを左右できるという恐ろしさが。言うなれば創造主である『作者』自身が一登場人物として自作の中に存在しているということは、その世界自体がミステリィ小説家という残酷な神に支配されているようなものなのだよ。よって全知とか全能とかを問わず、人並み外れた超常の力を有しているのなら、『リスク回避』にこそ活用してすべての被害を未然に防止し事件そのものを起こさないようにすることこそが、現実問題としてももちろん、後期クイーン問題を完璧に解消して真に理想的なミステリィ小説を実現する意味からも、唯一無二の『正解』なんだ。このことについてはまさしく今回の事件によって如実に証明されたようなものであり、たとえ君の全知の力によって現実世界と小説の世界とを完全に一致シンクロさせて僕を真の『作者』として目覚めさせたところで、何の意味もないんだよ。しかしそれに対して本来君のような完全なる全知の力を持つ者にとっては蔑みの対象でしかなかった、不幸な予言の巫女たるの不幸な未来の予知に限定された──すなわち、力によってこそ、未来のあらゆる局面において当然のように存在し得るリスクを事前にすべて潰すことで、こうして今回の事件そのものを無効化することが達成できたってわけなんだ」


「──‼」

 まさしく駄目押し的に衝撃の『真理』を突きつけられて、完全に言葉を失ってしまう全知の少女。


「つまり僕らがいくら手を携えようが、君の悲願である幸福の予言を必ず的中させることも、僕の目的である自作の小説の現実化による被害の完全防止も、けして叶えられることはないんだ。なぜならリスクというものは、この世のいかなる出来事のいかなる局面にも存在し得るのだからね。まったく不幸の要因のない幸福の予言や、まったく不幸の起こらない小説の現実化なんて、絶対に実現不可能なんだ。それに対して不幸の予言は使いようによっては、むしろ人を真に幸福にすることだってできるんだよ。具体的に言えば不幸になる未来の可能性パターンをすべてあらかじめ示して、その全部に十分なる対応策をとらせることによって、予言の対象人物をけしてことをなし得て、事実上『必ず的中する幸福の予言』を実現しているとも言えるのであり、同様に僕の自作の小説の現実化による被害の未然の防止という目的も、事件全般を通して起こり得るすべてのリスクの可能性を事前に潰すことによって実現し得るんだ。何せ誰であろうとその人生のあらゆる時点においてリスクが潜んでいるのであり、すべてのリスクを可能性の段階で排除したり回避することで完全に潰すことによってこそ、我々は真に幸福をつかむことができるのだから。言わば不幸な予言の巫女とは、その未来の無限の可能性の予測計算シミュレート能力をリスク回避こそに特化することで、より効率的かつ確実に幸福な未来をもたらすことを可能とする、いわゆる『幸福な予言の巫女』であるとも言い得るわけなのさ」


「なっ、不幸な予言の巫女が、進化した幸福な予言の巫女ですってえ⁉」


「だから申し訳ないけど、君が言うように僕が自分の不完全な『作者』としての力を補うために『ヒロイン』を選ぶとしたら、それは君ではなく愛明ということになるんだ。なぜなら僕はいくら自分の小説が現実化することによって、本来は何の罪のない人たちを『被害者』や『加害者』として不幸にしてしまう可能性があったとしても、ミステリィ小説家のさがとしてミステリィ小説を書くことをやめることなぞけしてできないんだし、これからも愛明の不幸な予言の巫女としての完璧なるリスク回避能力を必要としていかなければならないのだからね」


「……そんな、だったら私たち幸福な予言の巫女の、必ず的中する幸福の予言の実現という悲願は、けして叶えられることはないと言うの? 『作者』であるあなたは、私たちのことを救ってはくれないわけなの⁉」

 今やすべてに絶望し、完全にうなだれてしまうれい嬢。

 そんな彼女に対して僕は、敢然と言い放つ。


「いいや、僕は『作者』としてこれからも、幸福な予言の巫女であるとか不幸な予言の巫女であるとかにかかわらず、物語に囚われてしまっている不幸な少女たちを救い出して、ただの女の子として必ず幸せにしてみせるつもりなんだ」


「えっ、私のような幸福な予言の巫女まで、救ってみせるですって? それに、物語に囚われてしまっているって、いったい……」

「君自身はあくまでも黒幕として今回の事件を自らの手でお膳立てしていたつもりだろうけど、そのようにして『黒幕』としているうちに、君すらも自分自身で仕組んだ『物語』の拘束に囚われていき、完全に『一登場人物』に成り果てていたんだよ。それに対して愛明がすべてのリスクの可能性を潰すことによってこそ、こうして解放されることができたってわけなんだ。それってつまりは君はもはや黒幕でも何でもなくなり、結局何の罪も犯さずに済み、今やただの女の子に戻れたってことじゃないか?」

「──‼」

 あまりにも思いがけない言葉を聞かされて、完全に我を忘れ呆然となる目の前の少女。

「君の言う通り、全知と全能というものは矛盾し合っているからこそ、常に惹かれ合い補い合う関係にあるのだろう。それはそれで構いやしない。僕はただこれからも、僕の救いを求めている予知能力を持った巫女しょうじょたちを救っていくだけのことだ。──こうして君をミステリィ小説そのままの事件という、『物語』の呪縛から救い出したようにね」

 僕の渾身の決意表明に、いかにも心底感銘を受けたかのようにして瞠目する麗明嬢であったが、なぜだかすぐに表情を暗くして、おずおずと問いかけてくる。

「……確かに今回の事件に関しては、私は直接的にも間接的にも人に危害を加えずに済んだけど、だからといってそれ以前のやはりあなたの小説が現実化した事件において犯してきた、数々の罪が帳消しになるわけじゃないでしょう?」

 そのように言うや、力なくうなだれる涙をたたえた茶褐色の瞳は、すでに己の罪を十分に自覚して、今更ながらに後悔に駆られていることが窺えた。

 それに対して、僕がどのように答えを返そうかと考えあぐねていた、

 まさにその刹那であった。


「──それについては、こちらでどうにかいたしましょう」


 突然響き渡る、聞き覚えの無い涼やかなる声音。

 思わず振り向けば、そこには異様な格好をした二人の人物が、いつの間にかたたずんでいた。


 一人は、小柄で華奢な肢体を純白のひとに緋色の袴といったいわゆる巫女装束で包み込み、おまけに額の上で横一文字に切りそろえられたつややかな烏の濡れ羽色の長い髪の毛に縁取られた日本人形のごとき端整な白磁の小顔を漆黒の目隠しで覆っている、年の頃は愛明と同じく小学五、六年生といったところの幼い少女で、もう一人は、彼女が座している車椅子を押している、漆黒の作務衣でがっちりとした体躯を包み込み、短い黒髪を除く顔面全体をしょうじょうの能面で覆っているという、何とも怪しさ満点の成年男性であった。


 ……あれ? こいつらって、何だか見覚えがあるぞ。

 そうだ。確か夢の中で見た、とうきょうドームの地下に設けられている賭け将棋のメッカ『オフ会』において、愛明と激戦を行った、『目隠し巫女』とその従者だ。

 ということは、愛明の──

「……ええと、あなたたちはいったいいつの間に、ここに来られたんですか? 一応ここって、絶界の孤島ということになっているんですけど」

「うふふ。緊急事態ということでゆめどり家の権力を最大限に利用して、米軍に要請して垂直離発着VTOL機を運行させて、人知れず島内に潜入していたのです」


 なっ。こいつらって米軍すらも、顎で使うことができるのかよ⁉

 ……それに夢見鳥家ということは、やはり。

 ちらっと愛明のほうを見れば、彼女は実の姉であるはずの目隠し巫女ではなく、仮面の男のほうをいかにも悲喜こもごもといった目つきで睨みつけていた。


「それで、現在麗明嬢の抱えている『諸事情』を、そっちでどうにかしてくれるというのは?」

「そちらの方はいわゆる『ハグレ巫女』であられるとは申しても、幸福な予言の巫女であることには変わりなく、彼女が犯した罪についてはすべて、我が一族にも責任が生じることになるのです。よってすでに政府等の関係各機関との協議の結果、一応のところ以前の事件においては彼女自身が直接手を下していないこともあり、超法規的措置としてこれまでの罪を一切問わないこととし、その代わりに彼女を我が一族で引き取り、これ以降は厳重なる監督下におくことになったわけなのですよ」

 これまでの罪をすべて帳消しにしただと? 夢見鳥家って、いったいどんだけ権力があるんだよ⁉

 しかし思わぬ望外の救済をもたらされたはずの少女のほうは、むしろ不審げな表情を隠そうともしなかった。

「……つまりはこれから私を一族の隠れ里に閉じこめて、洗脳でも行って、完全に支配下に置こうってわけですわね?」


「まあ、一言で言えばそんな感じですが、別に洗脳はもちろん囚人扱いするつもりなぞはございませんので、御安心のほどを。むしろ一族にとっての『道具』として役立ってくださるようであれば、それなりの自由も保証されておりますよ?」


「──っ」

 人権を完全に無視した時代錯誤極まることを平然と言ってのける、旧家の因習に満ちた一族の当代の巫女姫様に、思わず言葉を詰まらせる他称『ハグレ巫女』の少女。

「それで、どうなされます? 色よい返事をいただけないのなら──」

「ふん、このまま警察に突き出すとでも言うつもり?」


「いいえ、この場でさせていただきます」


「なっ⁉」

 おいおい。いきなり何てことを言い出すんだ、この小学生巫女ってば。

「何も驚かれることもないでしょう? 本来は我々幸福な予言の巫女は、俗世の方々にその存在を知られることはけして許されないというのに、これほどまでに幸福な予言の巫女の力を使って罪を犯しておきながら、我々の監督下に入ることすらも拒否なされると言うのなら、もはや闇から闇に葬り去るしかないではありませんか?」

 いかにもおっとりした口ぶりで辛辣極まることを言ってのける目隠し巫女であったが、とても冗談であるようには聞こえず、そのことを痛感した麗明嬢は観念したかのようにため息をつく。

「……わかりましたわよ。以降すべてにおいて、あなた方に従います。それでよろしいのですね?」

「ええ、結構です。……ええとどうせなら、そちらの方にも御同道していただけると、幸いなのですが」

 そう言って目隠しをしたままで、愛明のほうへと振り向く巫女姫。

「せっかくだけど、遠慮しておくわ。それこそ闇から闇に葬り去られたんじゃ敵わないしね」

「まあ、そんな。我が一族はすでに体質改善を図っており、たとえ不幸な予言の巫女であられようと、そのような野蛮な目に遭わせることなぞ、けしてございませんよ?」

 おいっ。ついさっき、処分するとか闇から闇に葬り去るとかと言っていたのは、どこのどいつだよ⁉

「一族の総意はともかくとして、現当主のの個人的感情に関しては、わかったものじゃないでしょうが? 過去に大人たちがしでかした不始末の八つ当たりをされたんじゃ、堪ったものではないからね」

「うふふ。さすがは不幸な予言の巫女殿。現御当主様のことを、おばさん呼ばわりですか。──ああ、そうそう。あなたにとっては、『叔母さん』にも当たるのでしたね」


「……まったく、で、一人の男を取り合うなって言うのよ。あなたと私が姉妹なのか従姉妹なのか、わけがわからなくなるでしょうが? その男は男のほうで、現当主でもある奥さんが怖いあまりに、、名乗りをあげることすらできないという体たらくだしね」


 そう言って愛明が侮蔑の視線を向けるや、わずかに身じろぎをする黒ずくめの男性。

 ……ということは、彼が愛明の?


 そのように僕が愛明の複雑なる家庭環境に思いを巡らせていれば、そんなことなぞ少しも忖度することなくあっさりと言ってのける、彼女の姉でも従姉でもあるという巫女姫様。


「まあ、これも至らぬ親を持ってしまった定めとして、お互いにあきらめることにいたしましょう。できましたら私たちだけでもそれを反面教師にして、せいぜい仲良くやっていきたいところですわね♡」

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