第五章、その四
それを合図とするようにして、ヘリポートの片隅に設えられていたマンホールの蓋のようなものが勢いよく持ち上げられるや、大勢の人々が次から次へと姿を現してきた。
何とそれは、まさしく今回の事件における『犠牲者』としてこれまで行方不明になっていたはずの、
「いやあ、今か今かと出番を待ちかねていましたよ」
「結構住み心地がいいとはいえ、いつまでも地下に引きこもっているわけにはいきませんからな」
「それにしてもびっくりしましたよ。自分が確かに殺したと思っていた者が、まったく無事でいたのですからね」
「それは、お互い様じゃろうて」
そんなことを口々に言い合いながらこちらへと歩み寄ってくる、かつての『加害者』と『被害者』の呉越同舟の一団。
それを少しも慌てず笑顔で迎え入れる僕と
「ちょ、ちょっと、これはいったいどういうことなのですか? この方たちは皆小説の記述そのままに、すでに殺されてしまったはずでしょうが⁉」
そんな大混乱に陥ってしまっている自称『すべての黒幕』の少女に向かって、いまだ自作の小説が表示されたままのスマホの画面を見せつけるようにして種明かしをし始める、他称『作者』の青年。
「だからさ、一度死んでしまった者を甦らせることができるっていうのなら、何も小説を書き換える時に、愛明
「それって、まさか──」
僕の言葉にはっとなり何かに気づいたようにして、慌てて自らもスマホを取り出し、まさに今この
「た、確かに、『すでに殺されたものと思われていた海亀一族の人たちも、全員元気にその姿を現す』なんて書き加えられておりますわ⁉ いったいいつの間に……」
「実はずっと以前から書き換えていたんだけど、こうしてネットに変更部分を公開したのは、今この時が初めてなんだ」
「ずっと以前から書き換えていたって、でもこの文章を付け加える前の本来の終幕シーンにおいては、あなたは
手のうちのスマホに表示されている僕の自作のネット小説『最も不幸な
ちなみに『地の文』とはまさに
「だって僕は最初から、『すべての謎は解けたぜ!』なんかを旨とする、ミステリィ小説なんて書いているつもりはないんだから、そんな約束事なぞ知ったこっちゃないしい~」
「なっ」
僕のあまりの言い草に、いかにも開いた口がふさがらないといった体で言葉を失う麗明嬢。
「それに馬鹿正直に、ネットにて絶賛公開中の小説に自分の本心を包み隠さず書き綴っていたりしたら、当然黒幕である君にもすべてを知られることになってしまって、せっかくの
「──あ」
「まあ確かに地の文を使ってまでして読者の皆さんをだますようなやり方は、あまり誉められたものではないのは重々承知しているんだけど、こちらとしては起死回生の秘策を成功させるためにも、背に腹は替えられないってことなんだよ」
「それは確かに、そうでしょうけど……」
顧みるまでもなく自分自身黒幕として様々な奸計を弄してきた身としては、これ以上強く言えないことに思い当たったようにして、だんだんと語尾が小さくなっていき、渋々といった感じで一応のところ納得してくれる少女。
これぞ、『因果応報』──あるいは、『策士策に溺れる』とでも言うべきか。
「それにしても信じられません。まさかすべての犠牲者まで、甦らせることがおできになられるなんて…………いえ、ちょっとお待ちになって」
もはや心ここにあらずといった感じでつぶやいているうちに、何事かに気づく黒幕の少女。
「そ、そうよ。これって別に不都合なことでも何でもなく、むしろめでたいことなのですわ。何せ現実世界と小説の世界とが完全に
まさしく狂喜乱舞そのものの有り様となる、全知なる幸福な予言の巫女の少女。
僕はそんな彼女の姿を見て申し訳ないと思いつつも、苦笑を浮かべながら水を差す。
「大喜びしているところに悪いんだけど、そうじゃないんだ、むしろ話は逆なんだよ」
「え? 話は逆って」
「一言で言うと僕が小説の記述を書き換えたから現実の出来事が改変されたわけではなく、僕はただ単に
あまりに思いがけない言葉を聞かされてほんの一瞬呆けてしまう麗明嬢であったが、すぐさま我に返り猛然と食ってかかってくる。
「そ、そんな馬鹿な! 今や現実世界と小説の世界とが完全に
至極当然なる物言いで反駁してくる幸福な予言の巫女の少女であったが、僕は平然と言葉を続ける。
「それはね、愛明が不幸な予言の巫女ならではの力で、将来起こり得るすべてのリスクの可能性を、ただ一つの取りこぼしもなく潰してきたからなんだよ」
「は? すべてのリスクの可能性を潰してきたって……」
「確かに君の幾重にも仕掛けの施された未来操作による、現実世界の事件や関係者を丸ごとひっくるめての『物語』としての拘束は、この上なく強固極まるものがあるだろう。愛明が不幸な予言の巫女としてのリスク回避能力を用いて、実際に事件が起こる前に
「あ」
まさに目から鱗が落ちたかのような呆気にとられた表情となる、すべての黒幕の少女。
「とはいうものの、被害を防止するのはいいとして、そのままにしておいたんじゃさっきも言ったように、まったく事件が起こらないことになり、現実の事態の推移が小説の記述とは乖離してしまい、当然僕たちの策動を黒幕である君に勘付かれてしまいかねないので、今回の事件に実際に当たる直前に僕自身が
そんな僕の懇切丁寧なる『すべての真相』の説明を聞くや、血相を変えて食ってかかってくる黒幕の少女。
「ちょっとお待ちになって! 何でここでいきなり核シェルターなんてものが、さも御都合主義的に登場してくるのですか⁉ もし仮に以前からちゃんとこの島に存在していたとしても、どうしてそれをあくまでも部外者に過ぎない、ダーリンが知っているのです⁉」
「いや、それもこれも、君が現実世界と小説の世界とを完全に
「はあ?」
「実際にやってみたことがないと知り得ないところだろうけど、小説を一つ創るためにも、まずは膨大なるプロットとか初期設定とかいうものを作成する必要があるんだ。ただしそこで考え出されたものが何から何まですべて実際に小説の中に登場してくるわけではなく、没にしたり、あくまでも裏設定として作者だけが知っているままになってしまうというが常なんだけど、今や現実世界と小説の世界とが完全に
そのような僕の理路整然とした種明かしの言葉に呆気にとられながらも、救いを求めるようにして海亀一族の人たちのほうへと向き直り問いただす、白いワンピース姿の少女。
「で、でも、海亀家の皆さんは、本当にそれでいいのですか? 何よりも一日も早く次期当主を決定するためにこそ、政府各機関と密約を結んでまでして、これまでお互いに『実力行使』に及んでいたわけなんでしょう?」
実のところは自分こそがそうするように誘導していた『すべての黒幕』の少女の遠慮がちな質問の言葉に対して、今や晴れやかな笑顔さえ浮かべながら口々に答えを返していく海亀家の皆様。
「もう次期当主は、鯛造殿で構わんじゃろう」
「そうそう」
「何せ結局のところ、あやつこそが最後まで『生き残った』のじゃからな」
「それに対して結果的には未遂に終わったものの、我らのほうは誰かを殺したり、最後には己自身も誰かに殺されたようなものなのだ」
「よって一応は己の本懐を遂げているようなものであり、しかも結局は次期当主レースから脱落してしまったのだから、もはや何の異存もないわ」
「というか、むしろ今となっては、誰一人の犠牲も無しに、こうして次期当主が決まって良かったとも思っているほどだしな」
そんな一族の者たちの姿を見せつけられて、今や完全に自分の策略が失敗に終わってしまったことを自覚しつつも、それでもどうしてもあきらめきれずに、再び僕のほうへと向かって問いかけてくる麗明嬢。
「だ、だったら愛明さんが御自分がナイフで刺されてしまうことを、事前に知っていたのはなぜなのです⁉」
「おいおい。
「あ」
「つまりこれまでの事態の推移から愛明は、自分がナイフ等で刺される可能性が高確率であり得ることを予測していたんだよ。──ていうか、さっき見ていて気がつかなかったか? むしろあいつは自分から刺さりに行っていたじゃないか?」
「──‼ そ、そういえば……」
「それというのも実はね、それこそ小説作成以前に考案していた『プロットA案』では、こういった種明かしをした後で僕が君に向かって、『わはははは。自らすべての黒幕を気取っていながら、策士策に溺れるとはまさにこのことだな。君なんぞはいくら全知とか幸福な予言の巫女とかと言ったところで、君自身が散々蔑んできた不幸な予言の巫女である愛明以下の存在でしかなかったんだよ。どうだ、思い知ったか』と煽ったとたん、『キー、そんなことあるものですか! 私のほうこそがこんな落ちこぼれよりも、絶対優れておりますわ!』とか何とか逆上して、愛明をナイフで刺し殺そうとするはずだったんだけど、それが実際にはあの場面においてはいきなり、『真犯人』役を押し付けられてしまった鯛造氏のほうが逆上してしまって刃物を振り回し始めたものだから、しかたなく彼を加害者とする『プロットB案』のほうを発動させたって次第なのさ。こちらとしては突然のアドリブ進行に冷や冷やしっ放しだったけど、一応『ナイフに刺される』という最も肝心な展開は同じだったから、ちょっとわざとらしいけどいろいろと理由をつけて、懐にあれこれと忍ばせて刺される備えをしていた愛明に、自分から刺されに行ってもらったんだよ」
「な、何ですの、その三文芝居そのものの筋書きは⁉ そもそも私はナイフとか危なげなものを持ってはおりませんわ! それにプロットA案とかプロットB案とかって、いくら『作者』であられるとはいえ、いきなりメタっぽいことなぞ言い出したりして!」
「別にメタなんかじゃないよ。むしろこれこそが、この現実世界の未来には無限の可能性があり得ることの証しのようなものなのであり、君がナイフを振り回す未来だって、ちゃんと存在していたんだよ。実際には別の人物がナイフを振り回すことになったから、君は
「不幸の予言による完璧なる事前のリスク潰しによってこそ、被害者や加害者をまったく出さずに済ませて、事件そのものが起こらなかったことにすらしてしまえるですって⁉」
「だってそうだろう? こうして被害者だと思われていた人たちが全員生きていたんだから、つまりは現実と小説との完全一致どころか、実際には現実の事件の推移は最初から、小説の筋書きから完全に逸脱していたってわけなんだよ。だから僕自身もいくら自作の小説の記述を書き換えてみたところで、すでに確定された過去の改変どころか、たった今目の前で起こったことの『修正』すら能わず、とても『作者』なぞにはなれないって次第なのさ」
僕のまさに引導を渡すかのような言葉を聞き終えるや、悲痛なる表情となる麗明嬢であったが、それでもまだ納得しきれないのか、必死に食い下がってくる。
「……どうして、どうしてそこまで、全知たる幸福な予言の巫女である私を拒むの? 私と手を携えさえすれば、何でも実現可能な、真の『全知全能』になれるというのに⁉」
「だから僕はそんな、『おとぎ話の神様』なんかになるつもりはないんだよ」
「──っ」
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