第五章、その三

 突然鳴り響く、壮年男性の怒号。


 それはこれまでその場で力なく座り込み完全に沈黙を守っていた、『最後の加害者』にしてうみがめ一族の唯一の生き残りである、海亀たいぞうによるものであった。


「さっきから聞いていれば、現実と小説との完全一致とか、小説に記述するだけで何でも実現できるとか、出来損ないのSF小説やライトノベルでもあるまいし、頭のおかしなことばかり言いおって。我ら海亀家の者たちは、そんな馬鹿げたことのためにお互いに殺し合わされたとでも言うのか⁉」

 まさに鬼気迫る形相で少女探偵を睨みつける、勝手に『真犯人』役を押し付けられた上に、実質上は『かませ犬』以外の何者でもなかったことが判明した、哀れなる男。

 しかしそれに対して年端もいかない女子中学生の桃花の唇から放たれたのは、まさしく彼にとっては残酷極まるとどめの言葉であった。


「あら、あなたのような単なる『その他大勢の脇役』が、私たち『作者兼名探偵』や『ヒロイン』の引き立て役でしかないのは、当然のことではありませんか」


「──なっ⁉」

 一瞬何を言われたのか理解が及ばず、完全に呆けてしまう壮年男性。

「……脇役だと? この私が、単なる脇役でしかなかったと言うのか? ふふ、ふふふ、ふはははは。そうか、そうだったのか!」

 そして虚ろな笑声をもらしながら、ゆらりと立ち上がり、

 ──懐から大振りのナイフを取り出す、『最後の加害者』。


「何が『作者』だ! 何が『ヒロイン』だ! おまえらなぞ、二人まとめて殺してやる!」


 そう雄叫びをあげるや否や、僕とれい嬢目がけて突進してくる。

 その瞬間であった。


「──駄目え、やめてえ!」


 幼い少女の叫び声とともに、小さな人影が僕たちの間に割って入ってきた。

「うぐっ」

 何とその時僕と麗明嬢を庇うようにして鯛造氏の凶刃をその身に受けたのは、漆黒のゴスロリドレスをまとった小学生の少女、ゆめどりであった。

「なっ、貴様、何を⁉」

 慌ててナイフを引く、鯛造氏。


 その場に崩れ落ちていく矮躯。胸元からにじみ出す大量の赤黒い液体。


「愛明────‼」


 慌てて駆け寄り抱き起こせば、すでに彼女は虫の息となっていた。


「馬鹿っ、何をやっているんだ! どうして君が、僕と麗明嬢を庇ったりするんだよ⁉」

「……このままじゃ今回の事件モノガタリが、みんな不幸なままで終わってしまうじゃない。それをただ指をくわえて見過ごしたんじゃ、不幸な予言の巫女として失格だし、何よりあなたが私をここへ連れてきてくれた意味が無くなってしまうわ」

「はあ? そんなことのために、自分の命を投げ出したというのか⁉」

「……だって、あなたが言ったのよ?」

「え」


「……不幸の予言はけして人を不幸にするものではなく、むしろ使いようによっては人を幸せにすることができるって。そしてそれを実現してこそ、これまでずっと他人から忌み嫌われ遠ざけられてきたこの私にとっての、唯一の存在価値の証明になるって。……だから私、あなただけは絶対に不幸にしたくはなかったの。たとえ我が身を犠牲にしようと、たとえここで死んでしまうことになろうと、あなたさえ守ることができたのなら、私にはちゃんと価値があったことの証しになるのだから。……それに何よりも、もう二度と、私は……を……失いたくは……なかった……のよ……」


「……愛明?」

 もはや意識が混濁し、かつて夢で見た過去の不幸な予言の巫女たちの秘められた想いすらをも無意識に口走りだす、彼女たちの生まれ変わりの少女。

 そしてそれを最後に完全に沈黙してしまう、まるで鮮血のごとき深紅の唇。


「──っ。愛明、しっかりしろ! 目を開けるんだ! またいつものように、僕に憎まれ口をたたいてくれ! 愛明! 愛明! 愛明────‼」


 ヘリポート中に響き渡る、虚しき絶叫。

 そんな僕の背中に唐突にかけられたのは、いかにものほほんとした、僕同様に今し方愛明に命を救われたばかりの少女の、あまりにも予想外の言葉であった。


「──何を悲しむ必要があるのです。『作者』であるあなただったら、今からだって愛明さんを生き返らせることができるではありませんか?」


 ……え。

「僕が、愛明を、甦らせることが、できるだと?」

 まるで幽鬼のような表情をして振り向く僕に対して、満面に笑みをたたえて自信満々に頷く白いワンピースの少女。


「言ったでしょう? 現実世界と小説の世界とが完全に一致シンクロしている現状においては、あなたは自作の小説の記述を書き換えるだけで、今し方起こったことであろうがすでに確定していたはずの過去の出来事であろうが、思いのままに改変できるって。よって今回の事件が忠実に記されているあなたの自作のネット小説の、本来は鯛造さんが真犯人として確定し私の『勝利宣言』で終幕したはずの、まさにを描いた箇所を適当に書き換えるだけで、愛明さんがことにすることくらい、何の造作もないのですよ」


「な、何だって⁉」

 そんな文字通り神業そのままなことが、本当に実現できると言うのか?


「その代わり、ちゃんと感謝してくださいよ? 何せすべては私が黒幕たる『ラプラスの悪魔』として暗躍して、現実の事件のほうをあなたの小説の記述に完全に一致するように誘導した賜物なのですしね。ここで本当に愛明さんが生き返ったならば、これまで私が長々と述べてきたことが正しかったことが証明されるわけでもありますし、これよりはあなたには私のパートナーとして、共に真の全知全能となることを目指していってもらいますからね」


 ……そうだ。現実の出来事を自分勝手に変えてしまうなどといった、神をも畏れぬ所業に手を染めるなんて、まさしく悪魔に魂を売るようなものでしかないだろうし、そして何よりもこの悪夢のような状況をすべてお膳立てした目の前の少女に、けして取り返しのつかない借りを作ってしまうことになるであろう。


 だが、たとえそうでも構いやしない。

 腕の中の少女を、再び取り戻すことができるのなら。


 そのように意を決した僕は、愛明の華奢な肢体を抱きかかえたまま、おもむろに懐から愛用のコバルトブルーのスマートフォンを取り出すや、今回の事件の基になった自作のネット小説を表示させて、その記述を書き換え始める。


 そしてすぐさま、その効果が現れた。


「……う、ううん」

 腕の中の少女の唇から、再びもれ出ずるうめき声。

「──愛明! 本当に生き返ってくれたのか⁉」

「……私、どうして」

 少女が目を丸くしながら自分の胸元をまさぐれば、何とそこには、ぶ厚い六法全書と穴の空いたトマトジュースのペットボトルが存在していた。


 ──そう。まさしく僕がたった今、小説に書き加えた通りに。


「い、いつの間に、こんなものが⁉」

 狐につままれたような顔つきで、ただ呆然とつぶやくばかりの黒衣の少女。


「──どうやら、うまくいったようですね」


 一方得意満面の表情を浮かべてそう言ったのは、白いワンピースの少女であった。

「これで私がこれまで申してきたことを、すべて信じていただけるでしょうね?」

 その少女の問いかけに答えを返すために、僕はすでにすっかり生気を取り戻している愛明を促しながら共にすっくと立ち上がるや、言い放つ。


「ああ。一度完全に死んでしまった者を甦らせるなんて、まさしく驚天動地の出来事なんだろうよ。──だから、君も驚かないでくれよ?」


「え?」

 僕の何とも意味深な言葉に怪訝な表情を浮かべる少女を尻目に、唐突に背後へと振り返り、『彼ら』に向かって呼びかける。


「もういいですよー。皆さん、出てきてくださーい!」

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