第8話 魔獣王

「おい、てめえまさか、迷ったりしてねえよな?」

背中から冷や汗が吹き出す。神秘の森にて絶賛遭難中。俺が馬鹿だった。少し前の俺を殴ってやりたい。ゴブリンの住処を目指して森に入った俺たちは一瞬で方向感覚を失った。森を彷徨ってかれこれ四時間。ゴブリン達の住処に行くどころかコルシ村への帰り道すら分からない。

「ドロップ、今何時だ?」

俺の左ももにしがみ付いている少女は胸元のあたりから懐中時計を取り出す。

「もう五時だぜ」

まずいな。七時にはゴブリンの住処が冒険者達に襲撃される。それまでにゴブリン達に危険を知らさなければ。だがどうすれば……

「やべえよ、何かがすげえ勢いでこっちに向かってるぜぇ」

ドロップは叫ぶ。

「どうしてそんなこと分かるんだよ?」

「俺ら獣人は五感が鋭いんだよ。ってそんなこと言ってる場合じゃねえよ」

ドロップはベレー帽を取り犬耳をピクピクさせながら涙目になる。

腰に差している日本刀に手をかけ、周囲を警戒……


遅かった。視界に金色の拳が映る。直径二メートルぐらいの握りこぶしが。


とっさに腕をクロスして防御の体制。

激痛。

拳は腕の骨を粉々に砕く。体は後方へと飛ばされ太い木の幹におもいっきり叩きつけられる。失いかけた意識をなんとか保ち状況を整理。両腕の肘から下の感覚がない。これでは戦うことができない。早く逃げなくては。左足に違和感。おい、勘弁してくれ。さっきまでしがみ付いていたはずのドロップの姿が無い。


戦闘時における俺の手札は三枚。一枚目は魔法。と言っても金属の形状変化の魔法しか使えないのだが。二枚目は聖剣。腰に差している黒い日本刀だ。Ωオメガと言うらしいが使ったことはない。聖剣というものは起動といって莫大な魔力を消費することにより特殊能力が使えるらしいが起動のさせ方が分からない。ただの日本刀としてなら使えるが……。三枚目はNFネガティブフォース。これが切り札だ。負の感情を力に変える能力。傷の瞬間治癒、身体能力の向上。しかし一つデメリットがある。思考のコントロールが利かなくなる。いや、今はそんなこと言ってる場合じゃないな。


足に力を込め立ち上がる。ドロップを回収しだいすぐにここから離れる。未だ腕の感覚がないことから俺の心には負の感情が湧いていないことが分かる。クソ、使えねえ能力だぜ。木々に姿を隠しながら吹っ飛ばされた方向へ走り出す。

「グォォォォォォォォ……」

咆哮。大地が震える。足音が近づく。一定のリズムで木々が揺れそいつは姿を現した。

日の落ちた薄暗い森の中を突如光が照らす。手に握られたこん棒、黄金色の巨体、毛の一本もない頭、長く伸びた紫の舌、巨大な一つ目。

黄金のサイクロプスだ。十メートルはあるだろうか。

おや、こん棒に何か引っかかっている。というかドロップだ。気を失っているようだ。サイクロプスは気づいていないのか辺りを見回している。こいつは厄介だな。

息を吐き切り肺の空気を空にする。相手の動きは遅い。走ってこん棒に引っかかっているドロップを助ける。腕は動かないが幸い肩の関節と指は動く。その場に跪き腰を上げる。クラウチングスタート。

「よーい…………ドンッ」


足を交互に素早く動かす。サイクロプスは気づいていない。届いてくれ。こん棒に向かって三段跳び。痛む腕を振り上げドロップに手を伸ばす。指がドロップの服の裾を掴む。よしっ。腕を引き寄せドロップを抱きしめる。あとは逃げるだけだ。

ドロップを腰の脇に抱え、振り返る。


戦慄。時間が止まる。そこには巨大な一つ目が笑っていた。こん棒が振り上げられる。見つかった。痛みを無視してドロップを抱えたまま全力疾走。

「むにゃむにゃ、うぎゃぁぁぁぁぁ……」

最悪だ。ドロップが目を覚ました。バランスを崩して頭からすっ転ぶ。黄金色の頭が笑う。こりゃ死んだな。鉄製のこん棒が迫り来る。もうどうにでもなれ。


痛みが腕からひく。自暴自棄。単語が頭に浮かぶ。なるほど、こいつも負の感情だったな。思考が回復。体を起こして手を伸ばす。

「ちょっ、アキラ何やってんだよおまえ」

手にこん棒が触れる刹那。

「ヒートランス!」

目を閉じる。想像するは檻。鉄の檻。鉄の檻、鉄の檻、鉄の檻、鉄の檻、鉄の檻。

黄金の獣を閉じ込める金剛不壊の檻を。


目を開ける。鉄で出来た鳥籠の中で閉じ込められたサイクロプスが暴れている。

膝の力がぬける。息切れ。まるで一キロを五十メートル走で走ったかのようだ。脂汗が止まらない。やはり魔法は体力を使うようだ。

「すげぇぇぇぇ、今の魔法か?」

「そうだが、少し休ませろ」

呼吸を整える。汗を袖で拭い、落ち着きを取り戻す。

「分かったよ、俺様の負けだ。いいからここから出してくれよ」

「だから少し休ませろって……え?」

ドロップは歯をカチカチ震えながら俺の背後を指差している。

振り返る。金のサイクロプスは笑いながら言う。

「だから出してくれよ」

「おまえ、喋れるのかよ」





サイクロプスは黄金に輝くその体をゆっくりと動かしながら巨大な鳥籠を出る。

「いやあ、参ったぜ。まさかこの俺様が人間ごときに負けるなんてな」

頭を掻きながら言うその態度に先ほどまでの殺意は一切感じられない。つか、サイクロプスって言葉が通じるのか。

「俺様はファウスト。見ての通りサイクロプスだ。おめえはなんて言うんだ?」

「俺はアキラ、こっちの小さいのはドロップだ」

犬耳の少女は頭を下げる。

「アキラ、それにドロップこれからよろしくな」

ファウストと名乗ったサイクロプスはその巨大な手を差し出して近づいてくる。おそらく握手を求めているのだろう。

恐る恐る黄金の五メートルを超える手のひらを握り返す。握手を終えるとファウストはドロップにも手を差し出す。俺の陰に隠れていたドロップも足を震わせながら握手をする。

「さっきはごめんな、アキラ。いや、第八十四代魔獣王様か」

「は?」

思わず音がこぼれる。

「いや、そりゃそうだろ。第八十三代魔獣王ファウストに勝ったんだから」

「へ?」

疑問符しか頭に浮かばない。

「じゃあ何のために俺様に決闘を挑んできたんだよ?」

それはこいつが襲ってきたからに他ならない。

「いや、おまえが突然突進してきたんだろ」

こいつは何を言っているんだ。

「俺様の領域に入ったらその瞬間から決闘は始まるんだよ。まさかそんなことも知らなかったのか?」

「決闘? さっきから一体何の話をしているんだ?」

「それ本気で言ってんのか?」

ファウストは大きく溜息をつく。

「いいか? この森は弱肉強食なんだよ。力ある者はすべてを手にする。俺様はこの森で一番強い。だからこの森にいる魔獣は全員俺様の言うことを聞く。お前に負けちまうまではな。」

「待て、じゃあ第八十四代魔獣王ってことはこの俺が現在の魔獣達の長ってことか?」

「まあ、そういうことだ。今頃、さっきの決闘を見てた奴等が森中に知らせてるだろうよ」

「イヤイヤイヤ。そもそも俺人間だし。魔獣じゃないのに魔獣王なんてそんなふざけた話があるか!」

「そんなこと言われてもなあ」

ファウストは困ったように腕を組む。




「おい、おいってば」

ドロップが懐中時計を見ながら焦ったように服の裾を三回引っ張る。

「時間やべえぞ」

ちらりと目をやると懐中時計の短針は六を指している。

非常にまずいな。

今夜七時ちょうどに大規模なゴブリン狩が実施される。殺されるゴブリン達を一人でも多く救うためにゴブリン達の住処に行き危険を知らせることが今回の俺たちの目的だ。

今は午後六時。あと一時間ほどでゴブリン狩がはじまってしまう。このままでは救えるはずの命が救えない。

「おい、ファウスト。お前は俺の言うことをきくんだよな?」

今現在、森で遭難している俺達が七時のデッドラインまでにゴブリン達の住処にたどり着くことはまず不可能だろう。

俺の今までの手札ではどうすることもできない。なら簡単だ。たった今引いてきたカードを最大限に活用する。それ以外に方法はない。

「ファウスト。命令だ。俺達をゴブリンの住処まで連れて行け」

「承知しました、我が王よ。しかし、正式に魔獣王になられる気になったのですか?」

ファウストは禿頭を下げひれ伏す。

「ああ、なってやるさ。その魔獣王とやらに」

「えっ、ちょっと……」

ドロップの開きかけた口を手でふさぎ、耳元で囁く。

「安心しろ。そんな面倒くさいもんやるわけねえだろ」

「じゃあどうして……」

「用事が済んだらこいつらに見つからないように森を出る。だが、今はこいつらの力が必要だ」

「何コソコソしてんですか。そんじゃあ行くぜ、じゃなくて行きましょう、我が王よ」

使い慣れない敬語のボロが早くも出始めたサイクロプスは前を行く。

三人は歩き出した。





邪鬼の民。それがこの神秘の森に住処を構えるゴブリン一族の名称らしい。背丈は成人男性より頭一つ低いといったぐらいで肌は緑褐色。ゴブリンと言われて一番に頭に浮かぶファンタジーRPGに登場するメジャーなゴブリンと言ったら伝わるるだろうか。

かつてゴブリンとは一つの種族を指す言葉だったようだ。しかし今ではいくつもの一族に分かれて各々の進化を遂げているらしい。体が巨大な一族、知能が発達した一族、身体機能が向上した一族などだ。今ではその中でも千年前からほとんど変わっていない邪鬼の民のことだけをゴブリンと呼ぶそうだが。


何故ゴブリン達は一族ごとに分かれたのか?


原因は千年前の亜人戦争にある。それまで亜人達、人外は国境線を引き住む場所を分け、人間達とそれなりに友好的な関係を保っていた。たが差別意識が完全に存在しないわけではない。故に文化による摩擦が少なくて済むよう交流は出来る限り避けられていたそうだ。だがそれでも貿易などは行われていたらしい。

しかしある年に農作物のほとんどが病気に侵された。その結果、人間も亜人も大飢饉に襲われた。病気は稲や小麦だけでなく野菜、果物にも感染し、食料が家畜しかなくなり一ヶ月ほどで食料は底をついた。

初めに手を出したのは人間だったという。とある貴族がオークの子供をさらって殺しそれを豚の肉として民衆に破格な値段で売りつけたのだ。もちろん事件はすぐに発覚した。それに激怒したオーク達は人間達に宣戦布告。食料に困っていたのは亜人達も同じことでこれを機に各地で種族を襲い喰らう『喰らい合い』が始まった。喰らい合いは二週間ほどで人間対亜人の構造が出来上がり大規模な戦争へと発展していった。それが亜人戦争。

戦争は亜人の優勢。戦うまでもない。人間達は弱い。一部の人間は魔法を使えるがほとんどの人間は亜人と比較すると圧倒的に力が足りない。しかし魔力を利用した兵器、聖剣の登場により戦況は逆転。亜人達の三分の二が聖剣によって殺されたという。聖剣の登場から三ヶ月で亜人達は降伏。三年間の戦争は人間達の勝利で幕を閉じた。亜人達は人間の優位性を認め、ある種族は空へ、ある種族は海へ、ある種族は森へと姿を隠した。亜人達は食料が足りなくなることを恐れ、いくつもの小集団に分かれたらしい。

病気はいつの間にか消え農作物は以前と同じように育ち始めた。戦争によって人間も亜人も数を減らしたことが幸いしてかそれからは食料に困る種族はいなかったようだ。




と以上がゴブリン達の住処に向かう途中にファウストから聞いた情報だ。ファウストとは十メートル以上の巨体の金色のサイクロプスだ。元魔獣王のファウストとのよく分からん決闘とやらに勝利した俺は魔獣王になってしまった。魔獣王が何をする役職なのかは分からんがどうやらこの森の魔獣達は俺の言うことを聞くらしい。

「ここを抜ければゴブリン達の住処です」

サイクロプスは草でできたトンネルの前で突然立ち止まり振り返る。

「ありがとう。お前はここまででいい」

ドロップに懐中時計を確認させる。

「六時三十分だぜ。ギリギリセーフだな」

なんとか七時のゴブリン狩りまでに間に合った。早く避難を呼びかけなければ手遅れになる。

「ですが、近頃ゴブリン達と人間が争っていると聞きます。ゴブリン達は魔獣王様に良い態度をとらないでしょう。本当にお伴しなくていいのか、っじゃなくていいのですか?」

「ああ、大丈夫だ」

本音を言ってしまえばもしもの時のためについて来て欲しいのだが、ついて来られるとゴブリン達に危険を知らせた後、魔獣王とかいう肩書を捨てて逃げることができなくなってしまう。さすがにサイクロプスと鬼ごっこをして勝つ自信は無い。

「了解しました」

サイクロプスは心配そうな顔をしながら森の奥へ消えていった。

さてここからが本番だ。できるだけゴブリン達を刺激せずに避難を促さなければならない。果たしてそんなことが可能なのだろうか。いや、時間がない。今は考えるよりも身体を動かさなければ。


木でできたアーチ状のトンネルへ足を踏み入れる。


チクッ。

首筋に鋭い痛み。

吹き矢か。直後、身体に痺れ。毒矢だ。クソ、身体に力が入らない。その場に崩れ落ちる。手足に痙攣。意識ももってかれるようだ。

「アキラ、むにゃむにゃむにゃ……」

どうやらドロップも毒にやられたらしい。

迂闊だった。まずい、時間がないのに。現実が遠ざかる。

「意識が……もう…………もたねえ。」

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職業欄に魔王って書くのは恥ずかしい ロンフロル @dojohman

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