第2章

比良坂 哀 Ⅲ(1999.6.24)「ノストラダムスの大予言」

 チャイムの音が響くと同時に、男子たちが一斉に動きだします。

 次いで、女子たち。

 

 昼食時間。

 教室が、一番せわしない時間です。


「やーっと飯たい」

「アレ買ったって本当かいな?」


 昼ご飯を買いに教室を駆け出す人もいますが、私の教室ではお弁当かなにかを持ってきている人が大半です。女子は仲良しグループでぴったり机をくっつけて、弁当箱を広げます。

 男子も一緒に食べるグループで集まるものの、女子と比べるとどこか適当な感じがします。机を近づけただけの人や、椅子だけをずらして食べる人がいるからでしょうか。


「今日の不味まずかー」

「うわ煮物や! ババ臭ぁ」


 授業という縛りから解放された教室からは、色々な声が聞こえます。

 熱のこもった声、笑い声、趣味の話、噂話、怒り、愚痴……それはまるで、午前中にたまった言葉を一気に吐き出すようでした。

 ですが、そんなふうに言葉がいちいち耳に入ってくるのは、私くらいかもしれません。なぜなら私には、一緒にお弁当を食べる友達がいないから。

 自分が話している時には、周りの声は気にならないものです。


「いただきます」


 小学生の頃は、給食を食べる前には先生と一緒に「いただきます」をしてから食べるのがつねでしたが、今、「いただきます」を言っている人は、私だけのように思えます。みんなどうして、「いただきます」をしなくなってしまったのでしょうか。

 そしてきっと、私の「いただきます」も、彼らの耳には届いていないのでしょう。

 ですが今日に限っては、都合がいい――そう思いました。

 周りの目を気にせずに、お弁当を――ヒドラの分をすこし、残しておくことができるからです。


「えー! ナミ、PHSピッチ買ってもらったのー!?」


 教室の真ん中から、大きな声が聞こえました。

 ナミたちです。


「ふっふ~ん! ポケベルはもう古いのよ!」


 ナミはとした顔で、なにかの機械を片手に振り上げていました。

 どうやらそれが、の言う、〈ピッチ〉なるものなのでしょう。


 ナミは、神瀬こうのせ村の中では珍しいくらいに洒脱な……今時はハイカラと言うのでしょうか、とにかくそんなりをしています。

 明るい茶髪、細い眉、短いスカート……。

 もちろん、都会的な成りにあこがれて、髪を染める人はこの村でもときたま見られます。ですがナミの髪は、彼らのそれとは似ているようで、全く異なるように思えるのです。

 彼らの場合、どうしても細かいところに地味な感じが残っていたり、やぼったさが抜けきれなかったりして、それが都会的な髪とぎくしゃくして、かえって田舎者のように感じられることが多いのです。

 しかし、ナミの場合、洗練されているというのでしょうか……茶髪の毛先がくるりと巻きあがっていたり、土片つちくれのかけらも見えない綺麗な爪なんかの、ほんの少しの違いが、この村では目立つくらいに自然な都会らしさを振りまいているのです。

 それにはもちろん、このピッチとやらが如く、最新機器を村一番に手に入れられる環境……そして、短いスカートや右手首にくくられた朱色の組みひも、風が吹くとふわりとヘソが覗きそうな、ぎりぎりの丈の制服、そしてスカートとは対照的に変に長い――しかしうっとおしいのか、くしゃりと緩ませた靴下のように、流行りに敏感ですぐに取り入れられるお洒落なたち……なんかが発揮しているのは、言うまでもありません。


 ただそれだけではなく、なんといっても実際にナミは数年間を東京で過ごしていました。

 都会然とした成りとたちは、まねようとして必死に得たものではなく、都会の空気、会話、文化の中で過ごすにつれて、自然に身についたものなのです。

 私も詳しくは知りませんが、ナミはお父さんの都合で小学生の頃、東京に転校し……そして中学にあがるにあたって再び村に帰ってきたそうです。

 その数年で熊本弁もすっかり抜けきったようで、今ではナミとその周りからは、東京弁が聞こえます。


 実際に、ナミがこの村に持ち込んだのをきっかけに、学校や村で流行った文化や服装なんかはいくつもあります。今でも、学校でナミが好き好んで聞いている〈安室ちゃん〉とかいう歌手の歌を、みんなこぞって聞いています。私はよくわからないので、あまり聞いたことはないのですが……。

 ナミの今の髪型や細い眉……服装もその、〈安室ちゃん〉に影響を受けているみたいです。彼女みたいな恰好が、この村でも広がっていくのでしょうか。私にはとても縁のない恰好ですが、特に異物感はなく、新しくてかっこいいふうに感じます。

 それでも私は、ナミのその、都会らしさをひけらかすような感じが好きではありません。思わず周りに自慢したいのだろう……初めはそう思っていましたが、最近は、そうではないのではないか……そう思えるほどに、どこか、必死な感じさえ受けるのです。まるで何かに、おびえているような……。


 彼女は、私のお母さんと同様、この村の文化や歴史……当たり前のように続いてきた伝統や雰囲気を、嫌っているのかもしれません。

 ……どうしてかは、わかりませんが。

 もしかして、彼女が私を妙に目の敵にしているのも、それと関係があるのでしょうか……。


「なぁなぁ! 〈恐怖の大王〉って、本当に来るんかなぁ!?」


 ナミたちのさわがしさを押しつぶすように、教室の奥から声が響きました。


「1999年に人類は滅亡する!」

「うふふふふふ……」

「ノストラダムスの大予言!」


 彼女たち三人は、教室ではあまり目立たず、いつも静かにしている印象が強いのですが、時折こうして自分たちの話に熱中すると、誰よりも大きな声を出しているのです。なんでも、タロットカードや占星術やらの話をしているらしいのですが……それもまた、私にはよくわかりません。


「うふふふふ……。でもね、実は人類は今までに、何度も災厄に遭っちょるんよ……」


 目が隠れるくらいに伸びた黒髪を揺らしながら、彼女は語り始めました。語調は暗いのに、どこか嬉しそうなふうに聞こえます。


「最初の人間、アダムとイブは知恵の実を食べて楽園エデンを追放され……怪物ケルビムに襲われたったい……。バベルの塔で神に挑んだ時にゃあ、言語を失い……ノアの洪水は全てを粛清した……」


 ナミのピッチに目を遣っていた生徒のみんなが、今や彼女の言葉を興味深そうに聞き入っていました。


「それは……知恵科学を追い、自然地球を歪める人類への神罰……。そして、今回も――」


 その時、教室で今日一番大きな音が響きました。

 どん、と。何かを思いっきり叩いたような……。

 みんなが、音のした方を振り向きました。


 ナミでした。

 ナミはそのまま机に手を押し付けて、勢いよく立ち上がりました。机ががたりと音を立てます。


「そんな迷信……いつまで信じてんのよ! 馬鹿じゃないの!? もう……21世紀なのよ!?」


 ナミの急な張り上げたような声に、教室中が、静まり返りました。

 みんな、どうしていいのかわからず、ただ目を丸くして、見るしかありませんでした。

 意外だったのはナミのとりまきたちも同様のようで、一番に口を開いた彼女も、破裂しそうな風船に触れるように、恐る恐る問いかけました。


「ナミ……?」


 ただ、彼女の声で我を取り戻したのか、ふっと目の色が変わりました。

 ナミは急に目を下に逸らし、椅子に居直いなおり始めたのです。まるで、なにごともなかったかのように……。


「や、あ……そ、そんなことより、昨日の……ドラマよ! ホラ、『魔女の条件』の――」


 そんな彼女の態度に、とりまきたちも話を合わせるように口を開きだしました。

 ……教室のみんなも、その後、そのことに触れようとした者はいませんでした。


 ただ、とりまきたちのどこか困惑した目の色や、ナミの妙な焦り様は、みんなの目に強烈に焼き付いたのでした。

 なかったことにしようとも、忘れようとも……脳裏にはすぐにあの、張り詰めた叫びが思い出せるほどに……。


 ちなみに、なにやら怪しげな話をしていた三人は、ナミの声に水を打たれたように静かになりました。だから彼女たちの話が、あの後どうなったのかは、私にはわかりません。

 ただ、流行りや噂に疎い私でも、『ノストラダムスの大予言』のことは知っていました。

 なんでも中近世に活躍した尋常ならざる予言者のようなのですが……その人が、1999年の7月――つまり来月に、世界が滅亡すると予言していたらしいのです。


 世界を滅ぼす〈恐怖の大王〉の正体は、大洪水、異常気象、核戦争、大彗星……などなど、未だにはっきりしないようですが……四年前の阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件は、その前触れのようで……心底不気味に感じたのを覚えています。

 村でも仕事を辞め、彗星の毒から身を守るためにゴムチューブを買い集めている人や、街では核シェルターを作っている団体もあるようで、このことを本気で信じている人もたくさんいます。ですが、そんなものは迷信であると……もう予言のときまで一ヶ月を切っているのに、異常事態が起こっていないのがその証拠だと、全く信じていない人もいます。

 彼ら両派の言い争いは、その期日が迫るごとに激しさを増していました。


 ですが、私含め大半は、「そんなこと、あるわけない」……頭ではそう思いながらも、疑念は頭の片隅にひそんでいて、夜一人でいる時などにそろりと頭をもたげ、心臓をきゅっとさせるように……どこかでやはり、あり得るのかもしれない……とふと考えてしまう……そんな、どっちつかずの人が多いように思えます。


 もっとも、おばあちゃんが死んでしまったときに、私の世界は半分終わったようなものなので、以降は気になることもありませんでした。

 それでも最近また、その不安が時に頭を占めるようになったのは、ヒドラと出会ったからでしょうか……。


 それでも、私にはどうしようもないことなので、彼女たちにはもう特に目も遣らず、お弁当の一部を――ヒドラの分を残して、机の中にこっそりとしまいました。


 ……やっと、ヒドラに会うことができます。

 ヒドラはまだ、洞窟の中でお利口にしているでしょうか……。

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