御神本 往人 Ⅵ(1999.6.23)「邪馬台国と大和朝廷」※図版あり
それは20世紀の今まで連面と続く、天皇の系譜。日本という国家の系譜。
もちろん、今の日本は天皇によって統治されているわけではないが、形式的には古代から続く天皇制が今も採用されている。
ギネスブックでは、世界最古の王家として日本の皇室が認定されていると、テレビで見たことがある。確かに歴史を習うようになると、中国やヨーロッパという地域は、様々な国家や人種によって何度も国家が討たれ、征服され、入れ替わっている。今の覇権国家たるアメリカなんて、世界史で見たら新興国だ。
だが、中国の歴史書『魏志倭人伝』には、その大和朝廷よりも古い統一国家のことが描かれていた。それが邪馬台国だ。
倭国大乱という古代戦国時代を制し、30余国を治めたという。
そう、邪馬台国という国は、日本の歴史書には載っていないのだ。
その後、中国も戦国時代に突入し、外国のことを書き記す余裕を失った。
……こうして、弥生時代の邪馬台国と、古墳時代の大和朝廷の間との歴史は封印されてしまった。
この時代は空白の4世紀と呼ばれ、日本古代史の大きな謎とされている――学校の先生は、そう言っていた。
その邪馬台国と大和朝廷に連続性があったと、兄ちゃんは言うのだろうか。
「そもそも邪馬台国という国名は、中国の歴史書である『魏志倭人伝』にしか載っていない。当時の日本には文字がなかったからね。そして我々はこれを勝手に日本語で、ヤマタイコクと読んでいるが……これが誤りの始まりだ。邪馬台国という漢字は、中国語の発音で読まなければならない」
兄ちゃんは古そうな本を取り出して広げた。中国語についての本のようだ。
「〈邪馬台〉は当時……上古の中国語では、〈ヤマドゥ〉か〈ヤマダイ〉と読むとある」
ヤマドゥという発音は、ヤマトに非常に近い。
「また、邪馬台国の言語の研究も進んでいてね……二重母音回避の原則があったとされている」
「二重母音……?」
「そう。例えば、ヤマタイをローマ字に直すと〈yamatai〉となるが、最後のaとiで母音が連続しているだろう? こういう発音は存在しなかったんだ。この時点で、ヤマタイという国名は
江戸時代の日本人だって、アメリカ人の名乗った〈American〉という英語が正しく聞き取れず、〈メリケン〉と呼んでいただろう?」
中国の使節団に国名を尋ねられ、当時の日本人は「ヤマト」と答えるも、正しく聞き取られず「邪馬台」と書き記されてしまう……そんな情景が浮かんだ。
確かに、ありえそうな話である。
だが……
「けんど……んなら、邪馬台国は
邪馬台国の場所は未だ判然としなくとも、大和朝廷が大和――乃ち奈良で開かれたことは確定的な事実だ。それが邪馬台国と同じなら、邪馬台国だって自動的に奈良ということになってしまう。
邪馬台国が九州にあったのか、畿内にあったのかという、江戸時代から続く論争もようやく終わることになる。
「いや、それがそうとも限らない」
毛一つない頭をぽりぽりとかきながら否定した。
そして、今度は別の本――地図のようなものをめくり始めた。
兄ちゃんは丸坊主だけど、不思議とおかしな感じは受けない。それどころか、どこかイケてる気さえする。髪がないぶん、眉や目尻の形の良さが際立ち、パーツのバランスの良さが映えるからだろうか。
学校でも、結構モテていたらしいことを、先輩から聞いたことがある。僕と違って……。
「確かに大和は奈良の古名だが……実は九州にも
九州の地図の一端を指さす。
「それだけじゃあない。九州と畿内では、その両ヤマトを中心に、地名と位置関係の符合が見られる」
そう言いながら、兄ちゃんは九州の山門郡を出発点に、北へなぞるように次々と地名を読みあげていった。
「
北端まで読みあげると、今度はそのままぐるりと大きく時計回りに地名をなぞる。
「春日市……
「驚くのはここからだ」と言いながらページをめくり、今度は畿内の地図を開いた。同じように大和に指をあて、北へのぼるように地名を読みあげ始める。
「
思わず、目を見開いた。これはいったい……どういうことだ。
「春日……京都市……
一部は漢字こそ違うものの、驚くべき一致率だ。こんなの、初めて知った。地図を見比べれば一目瞭然! 地名だけではなく、位置関係まで両者はそっくりだ!
「他にも、
地図に目が釘付けになる。とても偶然とは思えない。
「この地名相似を最初に指摘したのは、邪馬台国とはなんの関係もない鏡味完二という地名学者だ。彼はこの現象に対して、九州と畿内の間で、大きな集団の移住があったのでは、と説明した。近代でも、北海道を開拓した屯田兵が、かつての故郷の名に因んだ地名を各地に名づけていった例がある。奈良県の十津川に因んだ新十津川とか、北広島なんかが有名だね」
まるで常識のように地名に関するうんちくを語る。
「これを邪馬台国
「でも……どうして九州から畿内に移ったって断言できっと? 逆のパターンもあり得るんじゃ……」
「それは、地名相似の位置関係が、畿内の方が地域的に拡大していたからだ。地図を見比べてみればわかると思うが……これは畿内の方に後から広まったため、と解釈できる」
確かに、これは東遷説の状況証拠の一つかもしれない。だが、僕が地名に対して学がないだけで、実は本当に偶然なんじゃないだろうか……頭のどこかで、そう思わずにはいられなかった。地名相似なんて、実は日本各地で見られる現象なんじゃ……?
「ただし、地名相似はここ以外でも不断に見られる現象だ。例えば東京の〈新宿〉という地名は、群馬や名古屋にも見られるし、〈渋谷〉は千葉にもある。もちろん東遷説論者もこの可能性に気づいて、ある統計分析を行った。日本各地の地名をデータのふるいにかけて、地域ごとの一致率を算出したんだね」
まるで心を読んだかのように、兄ちゃんは反論を繰り出した。
「結果は……九州と畿内がぶっちぎり
そういった確固たるデータで示されると、邪馬台国が――ヤマト国が、かつては九州にあったのは明白であったように思えてくる。
今までに考えたこともない事々が頭を占め、思案の渦に巻き込まれる。後頭部のほうがなんとなく熱い気がするのは、気のせいだろうか。あるいは、これが知恵熱というやつなのかもしれない。
「
もうこちらの頭はかつてない情報量でパンク寸前に近いというのに、兄ちゃんはまだ飽き足らないのか、さらに論を畳みかけてきた。
「よう知らんけど……日本神話の話たい?」
「ああ。アマテラスの子孫であり、初代天皇であるカムヤマトイワレビコは、九州の日向を出発点に、敵を征服しながら東へ進み……畿内の
まぁ考古学者たちのほとんどは、この話はただの天皇の権威付けのための神話で、実際にあった話ではないと言っているけどね……。確かに神武天皇は古事記を信じるなら127歳まで生きたというし、さすがに創作くさい。だが、かといって、すべてが虚構だとも思えない。
神武東征は、なにかしらの歴史的事実をモチーフに、神話化したものだと考えらえている。
……といのも、実は天皇一行は、一回ナガスネヒコと戦って敗れているんだ。そこで神武天皇は大阪を大きく迂回し、和歌山の熊野で力を蓄え、改めてナガスネヒコと戦って、それを破ったという。
これは作り話にしては妙にリアリティがあると思わないか? 権威付けのための記紀に、わざわざ敗北のエピソードを創作して書くのは不自然だ。また熊野が古来、大和朝廷にとって神聖な土地であったというのは厳然たる事実であり……こうしたことから、神武東征は、ある程度の歴史的事実に基づいて書かれていると俺は考えている。
ギリシア神話のトロイア戦争だって、ずっと神話のお話だと言われていたのに今じゃあ歴史的事実というのが定説だ。聖書のバベルの塔だってバビロンで見つかった。神話イコール創作だと決めつけるのは、むしろ学者の態度として、ふさわしくないと思うんだけどねぇ、俺は」
兄ちゃんはにやりと口元を緩ませた。
僕の答えを待っているように。
「そっか……! 九州の山門にあった
「
歯をきらりと輝かせながら、兄ちゃんは右手をふりかざし僕を指さした。
「そもそも、『魏志倭人伝』を読めば、そこに描かれている国々、倭人の習俗、邪馬台国の風土が九州のものであるのは明白! 東遷が事実かどうかはともかく、少なくとも魏志倭人伝に描かれている邪馬台国が九州にあったのは間違いない。考古学的には畿内説の方が優勢で、考古学者は魏志倭人伝の描写はあてにならないと九州説を否定しているが……そもそも邪馬台国は『魏志倭人伝』上にしか登場しないのだから、それを根拠にしないというのは
椅子から勢いよく立ち上がり、両手を大きく広げ、声高々に語り始めた。
こうなった兄ちゃんの口は、もう誰にも止められない。
「俺は、大分県の宇佐神宮の地下にあるとされる古墳こそ、卑弥呼の墓だと睨んでいる。
日本の神社のトップが伊勢神宮というのは日本人なら周知の事実だろうが、実は宇佐神宮が伊勢神宮と並ぶ社格だというのは、意外と知られていない。
国家を挙げての大仏鋳造や、皇位継承という天皇家にとっての重大事項に対して、大和に近い伊勢神宮ではなく、宇佐神宮が決定的役割を果たしたというのは、奇妙という他ない。これは、皇族にとって、宇佐神宮が真の宗廟だったという証拠の一つだろう。自分たちのルーツである皇祖神、アマテラスが九州に眠っていることを知っていたんだよ」
その語調はさらに勢いを増す。
「ときにこのアマテラス、邪馬台国の卑弥呼と同一視されることが多いことは知ってるか? 卑弥呼の名は、正しくは〈日巫女〉だとされている。つまり、太陽の
聖書のヤハウェも、ギリシア神話のゼウスも、北欧神話のオーディンも、エジプト神話のラーも、ゾロアスター教のアフラマズダーも、中国の天帝も、最高神というのはあまねく男神なんだ。
だが、皇族の祖神が卑弥呼であったのなら、
アマテラスで有名なエピソードである
アマテラスの弟神であるスサノオが、高天原で暴虐の限りを尽くしたことに怒ったアマテラスは、岩屋戸……つまり洞窟に隠れた。すると世界は暗黒に包まれ、混沌に陥ったという。
実は卑弥呼が死んだ247年には、中国では皆既日食が起こっていたことがわかっている。この日食は、九州でもほぼ完全な形で見られたとされる。ちなみに畿内では部分日食に過ぎない。
太陽の巫女であった卑弥呼が死んだのち、邪馬台国は騒乱の渦中に陥り、1000人以上の国民が死んだという。ここに皆既日食が加われば、天文学も知らない当時の民が畏れおののいたことは想像に難くない。この時の忌まわしい記憶が天岩戸伝説へと繋がったのだろう」
一切噛まずに喋り続ける兄ちゃんに、よく回るその舌に、感服せずにはいられない。もっとも、その内容はもうほとんど頭の中には入ってきていないのだが。
「ここで問題になるのが、ならば宇佐神宮のある大分こそが邪馬台国なのではないのか? という疑問だ。だが俺は、そうではないと思う。さっきも言った通り、福岡の
そもそも、伊勢神宮だって大和から……奈良からだいぶ離れた三重にある。最高社格の伊勢神宮が、なぜ奈良でも京都でもない三重にあるのかというのは、実は大きな謎の一つだ。だが、宇佐神宮と邪馬台国の繋がりを考えればこの疑問は解決する。
地図を見比べればわかるが、伊勢神宮と宇佐神宮の二所宗廟は、どちらも両ヤマトの真東に位置している。さらに言うなら、当時の征服範囲の東端だ。なぜ、東なのか? それは、ヤマトの民が太陽信仰の一族だったからだ。
皇族のルーツが太陽の巫女である卑弥呼にある。ゆえにその
主食の米は、太陽がなければ育たない。だから、日本なんだよ。ヒノモトの国。国旗も日の丸。国名からも太陽信仰が伺えるんだから、当時の信奉はよっぽどだったのだろう。まぁもっとも、今でも〈お天道様が見てる〉なんて言ったりもするけどね。
そして、太陽は東から昇る。これは万国共通、万古普遍の事象だ。だから、太陽を信仰する者にとっては東が聖地だった。これは
ここが決め所と言わんばかりに、大きく目を見開き言葉を続けた。手振りはさらに大袈裟さを増す。
「つまりだ! 古代九州の謎を解くということは、日本史や日本神話を解き明かすだけにあらず、そのまま天皇家の、いや日本という国の本質を明らかにすることと同一なんだ!
この卒論が完成した時、大学の教授たちはおののき、学会には一大センセーショナルが巻き起こり、そして、日本中の国民が驚天動地の渦に巻き込まれるだろう! まさに、世紀末のイベントにふさわしいとは思わないか!?」
そう言い終わると、部屋にはやっと静寂が訪れた。
一通り話し終わって満足したのか、兄ちゃんは満悦な表情で深々と椅子にもたれかかった。
だが、兄ちゃんが重大な点を見落としていることに、僕は気づいていた。
「でも、卒論って……後、半年しかなか……。そぎゃんふわふわでできっと?」
さっきまで淀みなく動いていた兄ちゃんの身体が、ぴたりと止まる。その表情は満悦のまま固まっていた。
「しかも兄ちゃん……来月にゃ東京帰るんだろ?」
笑顔が、ひきつっているのがわかる。
「
さっきまでの威勢の良さを取り戻したように見えたが、その声はところどころ上ずっていた。
「でも兄ちゃん……内定もまだよね?」
「……ノオオオオオオオオオオオ!!!!!!!」
……空元気も限界に達したようだった。
* * *
机の上に伸ばしていた左手に、いつの間にか光が当たっていたことに気づく。夕暮れだ。
兄ちゃんの部屋は西日がよく差し込む。窓の奥のほうの雲は、赤く濃く染まっていた。
比良坂は……あれから無事、家に帰れたのだろうか。
比良坂は……本当に、あの化け物を……ヒドラを育てるつもりなのだろうか。
その時、思い出したのだ。
あの化け物が――ヒドラが出てきた、あの、土偶のことを。
あの土偶の胸部にじゃ、確かに謎の紋様が描かれていた。……そう、たしか、九つの
あの時は
そうだ、ヒドラがかわいがっていた……あの水棲微生物のヒドラも、触手が九つに
ヒドラ……。
そういえば、兄ちゃんは、ギリシア神話のヒュドラの話もしていたっけ。ヒュドラも九頭竜の一種だって……。
瞬間、背筋がぞくりとした。前身の肌が
あのヒドラは……いったい、何なのか。
比良坂はなんの恐れも見せずに懐いていた……。だが、本当は、恐ろしいナニカなのではないのか?
わからない。本当に、ただの新種の生物かもしれない。専門家が調べれば、すぐにわかることだろう。だが、そんなことをしたらヒドラは比良坂の元から取り去られ……場合によっては比良坂の言っていたように、解剖されてしまうかもしれない。
だめだ。周りに話すことはできない。
あの異常な生物を知っているのは、僕だけなんだ。
比良坂はあの生物の、異常性に気づいていない。
……いざという時、彼女を守ることができるのは、僕だけなんだ。彼女を救うことができるのは……僕だけなのだ。
もしかしたら、なんの害もない存在かもしれない。それならそれでいい。
その時は……そう、二人でヒドラを飼えばいいんだ。それはそれで、楽しいのかもしれない。二人の共通の秘密みたいで……。
僕だって、その内、情が移ってかわいく見えてくるかもしれない。
とにかく、知ることが重要だ。
もし、ヒドラが恐ろしい存在ならば……そしてその恐怖から、比良坂を守ることができたならば……!
きっと彼女は、僕のことを見直してくれるはずだ。もしかしたらそのまま、付き合うことになるかもしれない。
――なんて、行き過ぎた馬鹿な妄想……。
頭ではそうわかっていても、片隅で、そう考えずにはいられなかった。
今まで凡庸な人生を生きてきた自分にとって、唯一にして舞い降りた、奇妙な事件。
これが僕の人生を、大きく変えるのかもしれない。
僕だって、凡人から、ヒーローに……物語の主人公になれるのかもしれない。
そう考えた時、不安に思いながらも僕は、望んでしまったのだ。
あのヒドラがただの新種の生物ではなく、本当に、恐ろしい存在であることを……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます