エピローグ

  エピローグ


「で、どうなったの?」

 酒場で女たちに囲まれて武勇伝を語っているジュリアンは、鞘におさめたままの剣を自慢気に翳しながら云う。

「激しい戦いだった。だがもうみんなが知ってる通り、最後には俺の剣が魔王の心臓をぐさりと刺し貫いたってわけよ」

 きゃあっ! と黄色い声をあげる女たちに囲まれてやに下がっているジュリアンを、別の卓子から遠目に眺めていたニコラはため息をついた。

「やれやれ」

 ニコラはそう云うと、一杯の酒を呷った。

 魔王との戦いから既に二ヶ月が経過していた。

 ジュリアンが魔王にとどめを刺したあと、アツシがレナ以外の天使たちを天に還したことで戦いは終結した。

 魔王を壁内におびきこんでの戦いは辛くも勇者側が勝利を収めたわけだが被害も甚大、勇者や従者は大勢命を落としたし、また魔王の通り道にあった人里も多く焼かれた。

 それでも魔王を討ち果たしたのだが、しかし万々歳とはいかなかった。というのもあの作戦は勇者たちだけで遂行され、現地民には一切通達なく行われていたせいだ。ゆえに国王が勇者たちをここぞとばかりに非難し始めた。

 一方でモンスターとの戦いは自分たちの領分という勇者たちの論理もあり、助けてやったのになんだと勇者側からも怒り出すものが現れる始末である。魔王が斃れたと思ったら、今度は水面下でくすぶっていた現地民と勇者たちの軋轢が表面化し始めたわけだ。

 それでも、世界は平和になったとニコラは思う。

 魔王が倒れて以後、モンスターの軍勢が壁に攻めてくることがなくなったのだ。壁の周囲でも、モンスターの姿は目撃されていない。魔王の死を受けて、モンスターはどこかへ姿を隠してしまった。壁から遠く離れればまた別かもしれないが、もしかすると近い将来、人類はその活動圏を拡げることができるかもしれない。

 ――我々はやり遂げた。では、これから勇者はどうなっていくのだろう? 多くの人々はまだ我々を尊敬してくれているが、魔王が去り、モンスターの脅威がなくなった今、王家のように、我々を疎んじる人が増えていくかもしれない。我々は異世界から来たよそもので、しかも不老にマイティ・ブレイブを持つ超人……異端は排斥されるのが世の常だ。

 トロイを始め、十二将たちは既にそのことを予見し、将来の勇者の自由と安全を守るために動き出しているらしい。

 実際、彼らは魔王が最後の戦いで明かした世界の秘密、七人の魔王が世界を七つに分けて統治しているという事実を、勇者たちだけの秘密にして現地側には隠していた。今後の主導権を握るためなのだろう。だがニコラにはそれが馬鹿らしい。

 ――共通の敵がいなくなったらすぐ対立など馬鹿げている。我々はもっと歴史に学んで進歩するべきだが、私になにが出来るのか。私はどうするべきか。

 ニコラがそう考えていると、酒場に一人の男が入ってきた。それはスリーピング・コフィンのハムバだった。ハムバはニコラを見つけると小走りに近づいてきて云った。

「ニコラさん」

「やあ、どうしたね?」

「アツシ殿を知りませんか? ニコラさんとは懇意にしているという話だったので」

「アツシ? いや、そういえば最近は見かけないな。彼がどうしたのだね?」

 するとハムバは周囲を気にしたように見てから、ニコラに耳打ちしてきた。

「驚かないでほしいのですが、実は、ちょっと前から姿を隠されているのです」

 ニコラは小首を傾げた。アツシは魔王討伐の功労者で英雄だが、姿が見えないくらいで騒ぐ意味はない。レナが護衛についているのだから危険もあるまい。

「アツシが姿を消したとして、驚くようなことかね? 彼はレナの死に傷ついていた。我々から距離を置くくらい、ありうることだ」

「それが……アツシ殿と一緒にオヴェリア様も姿を消されました。護衛の三勇者も」

 それにはさしものニコラも仰天したが、かといってなにが出来るわけでもない。

 わかることは、アツシがオヴェリアを連れていったということだ。しかもエロイーズたちも共犯である。

 ――たしかにもう魔王の脅威はない。七人の魔王はお互いの領地に干渉しないという話だから、今のところ残りの魔王がこちらにちょっかいをかけることもないだろう。オヴェリア殿を守る意義は低下している。しかし彼女を連れ出して、彼はなにをするつもりだ?

 答えは、もう間もなくニコラの前に現れるのだが、今の彼にはそれを知る由もない。


        ◇


 夜明け前のことである。

「たしかに私は云ったわ。一生あなたの傍にいて、あなたの気が済むまで、あなたの云うことをなんでも聞いてあげる、って。でも、まさかこんなこと……」

「いいから早くしろ」

 アツシはそう云ってオヴェリアをじろりと睨んだ。

 ここは壁に囲まれた世界、ラストガーデンの東の壁に近い丘陵地帯であった。丘は人里からもそれを結ぶ街道からも離れており、人気がない。王都を抜け出す際にいくつかの偽装工作を施してきたが、それもそろそろ見破られて、今ごろ王都では騒ぎになっているだろう。だがトロイたちがなにをどうしようともう手遅れだ。

 唯一この状況を止められそうなシーリーンたちは、アツシたちから少し離れたところに立って成り行きを見守っている。オヴェリアはアツシの云うことを聞くと云っているし、そのオヴェリアが頼めば護衛の三勇者にも否やはなかった。

 そしてアツシは今から、オヴェリアにあることをさせようとしている。オヴェリアは胸に手をあてて深呼吸を一つすると、まなじりを決してアツシを見上げてきた。

「ねえ、その前に教えて。これが終わったら、あなたどうするの? トロイたちのところへ戻る?」

「まさか。あいつらのことは嫌いだ。だからあいつらの姿が目に入らないところで、静かに暮らそうと思う」

「宛はあるの?」

「特にない。これから探す」

 するとオヴェリアはため息をついで、髪の一房をつまんで指でねじった。

「厄介なことになっちゃったわね。あの家はあの家でそれなりに住み心地がよかったんだけど……」

「別についてこなくてもいいんだぞ?」

「そうはいかないわ。私が戻れば騒ぎになって、あなたがこれからさせようとしていることが水泡に帰すって想像がつくでしょう。それにあなたはどうするの? レナだっていついなくなっちゃうかわからないんだし、独りぼっちは寂しいものよ?」

 その優しさに素直に感謝を示すのが、アツシにはまだ苦手であった、が、そのとき視界の隅に眼光鋭くシーリーンがこちらを睨んでいるのに気づく。シーリーンにはことあるごとに云われていた。

 ――姫があれだけ情をかけてくださっているのだから、おまえももっとはっきり感謝を示すべきだ、と。

 今のアツシを見るシーリーンの目には、そのあたりを咎める光りがある。アツシは小さくため息をつくと云った。

「……そうか。どうも」

「そうか? どうも? ふふふん、まあいいわ」

 オヴェリアは笑ってアツシの手を軽くつねると、壁の方へと向き直り、その細い両腕を大きくひろげた。

「じゃあやっちゃいましょうか。あなたのお望み通り」

「ああ、頼む」

 アツシはそう云うと、顔を真上に向けて蒼穹を睨みつけた。

「レナ、来い」

 すると天から一条の光りが差し、レナが姿を現した。魔王との戦いから二ヶ月が経った今でも、彼女は現世に留まり続けていた。

「アツシ様、これは……」

「レナ。あの魔王のとの戦いで召喚した天使たちは、君を除いてすべて天に還した。地上に残っているのは君だけだ」

「はい。でも、私は還りませんよ。私はあなたの従者です。これからもずっと……」

「うん、ありがとう。でも今の状態がいつまで続くのかは、誰にもわからないんだ。俺のマイティ・ブレイブは一人の天使をいつまで地上に引き留めておけるんだろう? 期限はあるのか、俺の知らないなんらかの代償が発生し続けているのか。そのあたりの検証は現在も進行中で、もしかすると次の瞬間にも俺のマイティ・ブレイブの力が尽きて、君はふっと消えてしまうかもしれない」

「アツシ様……」

「だからレナ、そのときが来る前に、君が見たかったものを見せてあげるよ」

「それは……」

 そう問うてきたレナに答えを示そうと、アツシはオヴェリアに視線をあてた。そこでは彼女が見晴るかす壁に向かってなにかをうったえるようにしている。

 そのとき、レナは体に電撃が走ったかのようだった。

「アツシ様、まさか」

「そのまさかだ。さあ、オヴェリア!」

 アツシがそう名前を呼んだ直後、オヴェリアがかっと瞳を見開き、壁に縦の亀裂が走った。その亀裂は徐々に、徐々に、左右へ広がっていく。ばきばきとここまで聞こえるほどの異様な音を立てて、壁に罅が入っていく。そのもどかしさに、アツシは舌打ちするとオヴェリアに詰め寄った。

「もっとぱっぱと出来ないのか?」

「そんなことしたら壁を守ってる人たちが死んじゃうじゃない。私があの壁で起きていることを全部知覚できることは知ってるでしょう? 今、壁のなかに残ってる人たちに、壁内の胸像やらなにやらを通じて、逃げて逃げてって云ってるわ。でもまだ残ってる人が結構いるの。階段とエレヴェーターは保護しつつ、みんなの避難状況を確認しつつ、壁に少しずつ罅を入れていって……ああ、もう、大変!」

 そうこうしているあいだも、最初の亀裂を起点にし、壁の罅は左と右に分かれて文字通り世界を駆け巡った。この世界全体から見れば小さな、しかし人間の感覚からすれば十分広大な大地をぐるりと取り囲み、世界の輪郭をなす壁のすべてに罅が、亀裂が入っていく。アツシたちが見ているのは東の一角のみだが、亀裂はそこから左右に向かい、北と南を経て西に到達した。今や人間世界を取り囲む壁のすべてに罅が入っていた。壁に駐屯する者たちは誰もが異変に気づき、また退去せよというオヴェリアの声を聞き、壁から一斉に避難を開始していた。

 そしてどれだけの時間が過ぎただろうか。

「壁から、すべての人が離れたわ」

 このかん、ずっと両腕を掲げていたオヴェリアが額に汗を流しながら云う。

 レナはアツシを戸惑ったように見てきた。

「アツシ様、本当にこのようなことをして」

「魔王が斃れて二ヶ月、モンスターたちは姿を消した。だからもういいんだ。魔王はあと六人いるらしいが、そいつらが人類に害意を持っているとは限らない。もしまた魔物たちが姿を現わしたとしても、そのときはそのときに立ち上がる人がいるだろう。それに、君は世界がこうなるところを見たかったんだろう?」

 アツシはレナの云った夢の話を忘れていない。

 ――いつか世界の在り方が全部変わって、壁なんかなくても安心して暮らせる、自由にどこへでも行ける、そんな世界になったらいいな、と。本当は子供のころから、遠くに霞む壁を見るたびそう思っていました。

「今こそ、見せてやる。君の夢をかなえてやる。さあ、オヴェリア!」

 オヴェリアが両手をぐっと握りしめる。次の瞬間、世界中に雷が落ちたような音を立てて、すべての壁がいっぺんに崩壊した。がらがらと音を立てて崩れ去り、しかし巻き起こる土煙はなく、あるはずの瓦礫の山も地面に落ちた傍から雨のように露のように消えていった。そして見よ、光りに満ちた無限の地平線が、今やアツシたちの前にその開豁な姿を現わしているではないか。

 今まで壁に遮られていた風に面を吹かれながら、アツシは云う。

「ここから新しい時代が始まる。壁に守られていた人々は世界を開拓していくだろう。いつかきっと、自分の力で世界のどこへでも行ける自由を掴むだろう。これがその入り口だ。どうだい、レナ?」

 地平線を見つめていたアツシはレナを振り返り、そのとき恐怖とすれすれの驚きを感じてあっと声をあげた。

「レ、レナ!」

「はい、アツシ様。ありがとうございます。こんな光景が見られるとは、夢にも思いませんでした」

 そう語るレナは東から昇る太陽に照らされてとても美しく、そして半ば透けていた。アツシは自分の見間違いかと思ったけれど、そうではない。

「レナ……自分で気づいていないのか! 君の、姿が……」

「えっ? あら……」

 自分の両手を見下ろしたレナは、ようやく自分の異変に気づいたらしい。天使として地上に留まっていたレナの姿が、消えかけている。

 それが意味するところを悟って、アツシは自分の胸を掻きむしった。

「馬鹿な! なぜだ! なぜこのタイミングで急に……偶然か?」

 偶然、たまたま、アツシのマイティ・ブレイブが限界を迎えたということなのか。天使を地上に留めておける時間は二ヶ月が限度なのか。

 と、そこへオヴェリアの声がする。

「未練がなくなったんじゃないかしら」

「なに?」

 オヴェリアの方を見ると、彼女はアツシとレナを順に見て云った。

「だってあなたのマイティ・ブレイブはこの世に未練のある人じゃないと引き留めておけないんでしょう? だとしたら、そういうことよ。レナさん、たぶんあなた、この景色を見て『もういい』って思ってしまったのよ」

「で、では……」

 こんなことはしない方がよかったのだろうか。いや、しかし自分はレナの夢を叶えてやりたかった。彼女の望んだ景色を見せてやりたかった。

 そのことを後悔したくなくて、アツシはレナに微笑みかけた。

「レナ……これは入り口だぞ。まだ先がある。歴史的にも、地理的にも、ここからなんだ。だからまだ、満足なんかしてないだろう?」

 アツシは藁にもすがる思いでそう尋ねたが、レナはふたたび地平線を見ると、花が咲くように笑った。

「いいえ、私は、この地平線を見られただけで満足です!」

「そ、そうか……」

 アツシは思わず天を仰いだ。レナを行かせたくはない。しかし、今のレナの笑顔はとてもよかった。思い出という名の、人生の宝物になるような笑顔だった。

 アツシは顔を前に戻すと、衝動的にレナを抱きしめていた。レナもまた、アツシを抱きしめ返してくる。

「行くのかい?」

「そうですね。私のなかで、止まっていた時間の砂が落ち始めたのを感じます。アツシ様のマイティ・ブレイブに、きっと限界なんてありませんよ。ただ私が、もういいと思ってしまっただけで」

「俺のことは? 俺のことも、もういいのか?」

「はい。だって、あなたは一人ではない。そうでしょう、オヴェリア様?」

 するとたちまちオヴェリアが胸を張り、自信たっぷりに自分の胸に拳をあてた。

「そうね。この私がついているのだから大丈夫よ」

 ――おまえなんぞが、レナの代わりになってたまるか。

 アツシはオヴェリアを生意気に感じてそう思ったが、ありがたいと云えばありがたくもある。

 ――思い通りにはいかないな。

 この先オヴェリアの尻に敷かれるだろうことも、レナの手を離さねばならないことも、魔王との戦いもこの世界に来たことすらも、もともとアツシの望んだことではなかった。

 だが、すべて受け容れて生きていく。

「わかったよ。わかった……じゃあな、レナ。行かせたくないけど、さよならだ」

 アツシがそう云ってレナを抱きしめていた腕をほどくと、レナは翼をひろげてふわりと浮かんだ。まだ手の届く高さにいる。だが一呼吸のあいだにもう跳んでも指尖ゆびさきすら掠めない高さへ至り、さらには舞い上がって、大空へ吸い込まれていく。それが光りに包まれて、最後に見渡す限りの大地を眺めただろうか。突然、その姿はふっと消えてしまった。

 レナが消えても、アツシは空をじっと眺めていた。だがそのうち、傍にオヴェリアの気配を感じて、彼女が話しかけたくてうずうずしているのもわかってしまった。

「なんだよ」

 アツシが顔を戻してオヴェリアに云うと、彼女はぱっと顔を輝かせた。

「泣かないの?」

「泣かない。そうそう何度もめそめそしてたまるか」

「そう。じゃあ、私たちも行きましょうか。壁が消えたことはもう誰もが知るところとなっているはず。今ごろみんな大騒ぎよ。もし捕まったらどうなると思う? 元に戻せって云われるわ。その方が安心だから、また壁を作れって」

「そんなこと、させはしない」

 壁のない世界がレナの望みだった。誰がなんと喚いても時計の針を元には戻さないことが、今のアツシにとって唯一の信念である。

 そして、今のアツシの返事にオヴェリアがわらった。

「それなら私を守ってね」

 アツシはちょっと鼻白んだ。シーリーンあたりなら、オヴェリアを守るのは自分たちの役目だと云うだろう。だが彼女たちはまだアツシたちを遠巻きにしていて、この会話も聞こえてはいまい。邪魔する者は誰もいなかった。

「返事は?」

 オヴェリアがそう云いながら、自分の左手をアツシに向かって差し出してくる。手の甲を上にしていて、鶴の首のようだった。

 アツシはその手を見てから、オヴェリアの金の瞳を覗き込むと云った。

「ああ、はい。了解だ」

 そしてアツシはオヴェリアの手を取り、丘を下り始めた。それを見たシーリーンたち三勇者が大慌てて追いかけてくる。

 彼らの旅の始まりは風だけが知っていた。

                                     (了)

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マイティ・ブレイブ ――異世界勇者867―― 太陽ひかる @SunLightNovel

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