第4話 サクラ咲く

 家庭の用事があると言うので文嘉とはその場で別れ、胡桃は英梨華と2人きりで食堂に向かった。英梨華と2人きりで話すのは、勝負を挑まれたときと屋上で話したときの2度だけである。あのときは自分のことで一杯で相手のことを考える余裕がなかったので、こうやって何を話そうかと意識するのは初めてだった。


「——それにしても、梅雨が明けてというもの、暑い日が続きますわね。夏であることを実感しますわ」


 英梨華が話題を振ってくれた。天気の話題を振ればいい、と文嘉に言われたのかもしれない。


「そうだね。昼には蝉が鳴いてたよ。夏って感じがするよねえ」


 胡桃も答えるが、二人きりだと、どうしてもになってしまう。会話の潤滑油として、このは必要不可欠なのだが、どうしても英梨華相手に構えた会話をするのが胡桃にはすこし寂しかった。


 いっそのこと、自分の思っていることを話してみよう、と胡桃は思って、


「英梨華ちゃんって、努力の人なんだね」

「——なんですか、藪から棒に」


 英梨華が驚いたように言った。


「あのね、英梨華ちゃん、怒らないで聞いて欲しいんだけど、いい?」

「かまいません。なんでしょう」

「私ね、英梨華ちゃんってすごく特別な人だって思ってたの。もう生まれ落ちた星が違うっていうか、他の人とは人としての出来が違うっていうか。私にはまったく手の届かない、高嶺の花みたいな、そんな感じがしてたんだ」

「——そうですか」

「でもね、最近そうじゃないのかもって思ってきたんだ。今でも、ふとしたときに英梨華ちゃんを見ると容姿端麗、頭脳明晰なお嬢様、って感じがするけど、それって英梨華ちゃんがそう見えるように努力したんだって。生まれたときからの才能にあぐらをかいているんじゃなくて、1位に見えるように努力した結果が今の英梨華ちゃんなんだって。本当は、私と同じ、普通の女の子なんだって」


 言っていて、少し不安になった。全く見当違いなことを言っていたらどうしようかと思って、


「——違う、かな?」


 不安げな胡桃の視線を受けて、英梨華は凜とした表情でこう言った。


「失望しましたか?」

「ち、違う!」胡桃は両手を振って否定した。「だから、そんな努力家な英梨華ちゃんと、仲良くなりたいって思ったの。私も、英梨華ちゃんみたいに理想の自分に向かって切実に頑張れるような人間になりたいって。だから、さっき切磋琢磨しようって言ってもらえて、本当に嬉しくて——っていう話で」


 英梨華は黙っていた。長い沈黙だったが、それは気まずいものではなかった。理系棟の裏をとおり、陸上部が走る400メートルトラックの横を歩いて、学食の扉がみえるところまでくると、英梨華がこう呟いた。


「わたくしは、——自分の金髪が嫌いでした」


 その一言は、胡桃が初めて聞く、英梨華の弱音だった。


「本当は周りの人と何にも違わないのに、いつも好奇の目で見られたのが悲しかったんです」


 しかし、英梨華はおそらく自分のコンプレックスを人に話したことがないのだろう。自分の発言を耳で聞いて、英梨華は少し恥じるような素振りを見せた。


「まあ今では大好きですけれど。さあ着きました」


 英梨華は誤魔化すようにそう言い、食堂のガラス張りの扉を開いた。


「うん」


 胡桃は頷き、それ以上の追求をしなかった。ここで根掘り葉掘り聞こうとするのは、野暮だと思った。


 しかし、英梨華に対する興味は、胡桃の中でいっそう強くなっていった。この意思の強そうな瞳の奥には、どんな想いがあるのだろう。もっともっと仲良くなって、そしてもっともっと英梨華について知りたくなった。


 学食の食事スペースには、デザートをつつきながら雑談に花を咲かすペアが3組ほどいるだけで、ほとんどガラガラだった。胡桃たちは一番すみのテーブル席に座った。


「いつもここで勉強をするのですか?」


 隣の椅子に座った英梨華が、辺りを見渡しながら聞いた。


「うん。自習室じゃ会話ができないから、人と一緒のときはいつもここを使うの。——ちょっとうるさいけど、大丈夫?」

「構いません。わたくし、あまり静かな場所だと集中できませんから」

「ああ、そっか。英梨華ちゃん、家では声を出しながら勉強するんだよね」


 英梨華は目を丸くした。そしてすぐに納得したように息をはいて、


「文嘉さんですわね。——もう、口が軽いんですから」

「今度は私も英梨華ちゃんの家に遊びに行かせてね」

「かまいませんわ」


 アイスコーヒーと紅茶を買い、いくつか雑談を交わして、英梨華がこう切り出した。


「さあ、この間の学力試験の復習をやりましょう。わたくし、どうしても解けなかった問題があったのです」

「うん」


 胡桃はカバンから試験問題を取り出した。

 さらにルーズリーフと文房具、参考書などを用意しながら、胡桃は今この瞬間をとても尊く感じていた。


 ずっと、こうなりたいと思っていたのだ。

 ずっと。


 中間試験の勉強をしているときも、勝負に負けて泣いたベッドの中でも、リベンジを挑むために旧校舎を飛び出した瞬間も。


 憧れているばかりではなく、教わるばかりでもなく、衝突する関係でもない。

 一緒に勉強がしたかった。

 互いに励まし合い、競い合って向上していく仲に、なりたかったのだ。


 ぺらぺらと問題用紙をめくり、英梨華がある文章問題を指さした。


「わたくし、この問題が分からないのです」


 胡桃は、それとなく英梨華に椅子を近づけた。なるべく自然な様子で、何でもないように身を乗り出して、英梨華の前に広げられた学力試験の問題用紙をのぞき込む。


「——えっと、その問題の解き方はね」


(終)

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サクラ咲く 鶴丸ひろ @hiro2600

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