第11話黒き門をくぐる 1

 本の文字を追って数秒で、リエットは再び薄暗い山の中へやってきていた。


 風も吹かない静かな場所だ。

 草木も寝静まったかのように、葉ずれの音一つしない。その静けさが闇を濃くしているようで、足元がうっすらと見えるというのに、暗い沼の底に引き込まれるような恐ろしさを感じる。


 そんな山の中を進むと、倒木の上に座っている藍の服の人物を見つけてほっとする。

 ジークリードが、こちらに気づいて立ち上がった。


「また読んでくれたんだね、ありがとう」


 柔らかな微笑みに、リエットは緊張する。

 本を開く前には、あれもこれも言おうと思っていた。


 だけど彼は、リエットが本を開くまでずっと、この寂しい場所に座ったままでいたのだと思うと、それらの疑問は口にするのがためらわれた。


 どちらにせよ、この本が特殊な魔術書であることには変わらない。

 そしてジークリードが、魔術を得て国を救おうとしていることも。


「あれ、なんか体調悪い?」


 大丈夫かと顔を覗き込まれたリエットは、気づかれないように、ジークリードを問い詰める。


「別に。それより、突然見知らぬ場所で放置されるとは思わなかったんですけど? しかも町中には誰もいないし!」


「みんな避難してたんだ」


 よかったよかったとジークリードはうなずく。


「あと、あなたの弟に追いかけられて、びっくりしたんですけど!」


「エリオスが?」


「リンデスティールの人は、軍が避難するよう呼び掛けていたと聞きましたよ。で、その避難状況の確認にきたんだって言ってました。後方に追いやられたからって、エリオス王子が……」


 そこまで説明すると、ジークリードは納得したようだ。


「あ~エリオスも出陣してたっけ。後方にってことは……」


 そのまま考え込んでしまう。

 できれば説明してほしいものだとリエットは思った。どうもこの王子は、自己完結して人を置き去りにするクセがあるようだ。

 兄弟なんだから、一言「迷惑かけたね」とか「元気だったか」とか聞いてもいいような気がするのだ。だからリエットは「聞かないの?」と声をかけようとした。


 その前に、木々のざわめきが耳について言葉を飲み込む。

 かさかさという音とは違う。

 固い物がこすり、打ち鳴らされるような音。それが幾重にもかさなってざわめきに聞こえるような……。


「リエット」


 視線をジークリードに戻せば、彼が笑みを消していた。


「君が読んでくれているおかげで、本の続きに入れたみたいだ。でもこの本の流れからして、ちょっと気味の悪いものを見ると思うけど、我慢してほしい。僕から離れて、目を閉じていて」


 そう言われたが、リエットの足は動かなかった。

 目が、それを見つけてしまったのだ。

 林の中から一歩ずつこちらへ向かってくる白い影。服の色が白いからではない。全身が白く、透き通っているのだ。

 それが動く度に、固い軽石をころがしたようにカタカタと音がする。


(お……おお、おばけっ!?)


 声もなく見つめ続けるリエットを背に、ジークリードは増え続ける白い影達に向き合う。


「本の概要はわかっているんだ。これは俺の心に落とされた闇。それをすべて、受け入れられるのかが試される」


 普段の明るい声からは想像がつかない、淡々とした口調でジークリードは語る。

 その言葉の最後に掛かるように、近づいてきた白い影がしゃべった。


《口惜しい、なぜ死ななかった》


 リエットは耳を疑った。


 ――なぜ死ななかった。


 この幽霊の方がジークリードを殺そうとしなければ、尋ねない言葉だ。

 ジークリードは特別驚くこともなかった。


「いつの分だい?」


《まだ子供だというのに、こざかしい。母親共々死出の旅に出ればよかったものを》


 目の前にいるジークリードに話しているように見えるのに、内容がおかしい。


「ああ、あなたはサーク伯か。母上に毒を盛った」


 ジークリードには心当たりがあったようだが、その内容が物騒すぎた。


「毒って……」


「今の王妃は二人目なんだよ。僕の実母は毒殺されたんだ。五歳の時だったかな。僕がほとんど覚えて無くても、心の闇の一つだから出てくるのか。へぇ~」


 何か斜め上の感心をしているジークリードに対し、リエットは思わず身震いした。

 自分の国の王妃が毒殺されていた事にも驚いたが、その子供であるジークリードが、あまりにも他人事のように語るのが怖かったのだ。


 白い影の方は、小さな声で恨み言をつぶやきつつ、ゆったりとジークリードの周りを歩き出す。

 いや、歩いてはいない。足が見えない上、すす、と地面の上を滑るように移動していた。


「でもこれって、死んだ人間だけ出てくるのかなぁ。サーク伯は父上が断罪したはずだから」


 リエットはその言葉に思わず息を飲み、ジークリードの背中につかまる。


「ちょっ、これほんとにお化け!?」


 あまりのことに、言葉遣いから敬語が抜けてしまうが、ジークリードも気にしない。


「お化けだなんて、可愛い言い方するなぁ、リエットは」


 笑うジークリードに、リエットは彼の服を掴んだ手を離しそうになった。

 が、背後に回ってきた白い影と目が合ったような気がして、再度手に服を握り込む。


「ああ、でも僕に関係する人だけみたいだ。これでちゃんと証明されて良かった。僕だけが、この本の試練を受けてるって証だからね。読み切ってもきっと、リエットには何の影響もないよ」


 のんきなジークリードの前に、別の影が近寄ってきた。


《はやくこの王子を始末しなければ》


《血統のより高貴なエリオス王子を》


 口もない白い影から声が聞こえるのは、異様な光景だった。

 カタカタという渇いた音が、それを助長して不気味さを加えていく。


「あなたたち兄弟、仲が悪かったの?」


 エリオスの様子を見る限り、そんなそぶりは一切なかったのだが。


「いや? 僕たちはそんなんじゃないけどね。僕の母親は国内貴族の娘だったけど、エリオスの母親の現王妃は他国の王族だったから。そんなので、妙な権力争いがあったんだよ」


 ジークリードはため息をつきつつ、白い影を眺める。


「元々ね、王家は権力争いを臣下にさせないためと、他国との繋がりを密にするために、国内貴族から王妃を迎えることを避けてきたんだよ。それを破って僕の母を妃に迎えた父が悪いわけではないんだけどね。間が悪く飢饉が起きて、さらに外交上で失敗があったせいで、父上の権力が弱まったのもマズかったんだよなぁ」


 呆然とジークリードの話に耳を傾けていたリエットは、次に聞こえてきた白い影の声にぎょっとする。


《あのような王子など、空くらげに食わせてしまえ》


「は?」

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