第4話空っぽの王子様 3
※※※
目を開けると、明るい森の中にいた。
木々の葉はみずみずしい緑で、湿った枯葉の甘い匂いまでもする。
なのに空は紫がかった白灰色という不思議な色をしていた。
「変な色……そして明るい」
「死を経験した魂には、闇も暗さも関係ないだろう?」
自分ではない声にリエットは振り向き、同じように地面に寝転んでいる人を見つける。
「ジーク…リード王子、ですか?」
「空っぽ王子でもかまわないよ?」
そう言って彼は微笑む。
「あの、やっぱりこれは……夢なのでは?」
眠り直すどころか、リエットは本を読もうとしただけだ。
連続した夢を見ているみたいな状況に、リエットは顔をしかめた。そんな彼女に、先に身を起こしたジークリードが手をさしのべてくる。
「夢とは違うかな。で、説明させてくれるかい?」
リエットはジークリードの手をじっと見つめた末、恐る恐る握った。
やわらかく掴み、リエットが起き上がるのを助けてくれたジークリードは、ふわふわとした穏やかな調子で話してくれる。
「まず最初に解ってほしいのは、これは夢じゃなくて本の中の世界なんだ」
「……本?」
「そう、君が読んでた黒い表紙の本」
本を読んだだけで、こんなことになるのだろうか。
不審そうなリエットの表情にもめげず、ジークリードは説明を続ける。案外根気のある人なのかもしれない。
「魔術書って知ってるかい?」
「魔術がかかれてる本? あれがそうだっていうんですか? でも……」
昔話が書かれているだけの本にしか思えなかった。あれを読んで勉強しても、とうてい魔術は習得できないだろう。
「実際のところ、魔術は語学の勉強みたいに、教科書を読んで実践して覚えていくというものではないんだよ。自らの身をもって、操る術について深く識らなければならない」
「深く識るというと?」
「たとえば水を操りたいなら、術を操れるようになるまで水に浸かってみたり、河で流されてみたり……時々やりすぎて、海まで流される人がいるみたいだけど」
「……魔術師って、ずいぶん体力勝負なんですね」
もっとじっくり文字を読んだり、何か薬品を混ぜ合わせているのかと想像してた。よもや身一つで川下りをするような、野性的な習得方法とは。
ジークリードは説明を続けた。
「で、魔術書なんだけど。普通の物は、習得するために何をするべきかっていう方法論とか、精神論が延々書いてある」
「なるほど」
「だけど中には特別な本があるんだ。読むと、先人が術を習得した時と同じ現象に、現実でも見舞われるんだけど」
「現実でも……」
「例えば本で炎に灼かれる場面があった場合、自分の家が不意に炎上したり。実際そんな現象がおきて、命からがら燃える建物から逃げ出した人もいるらしいよ」
リエットは一瞬言葉を失う。
「なんでそんなことに……って、まさか?」
「そう、この本は特別な本。最後まで読む……もとい、起る現象を乗り越えたなら、特定の術が習得できるんだ」
そこで一度、ジークリードは言葉を切る。
「――闇の術をね」
彼は花畑にいるかのように微笑む。
一瞬後。
リエットは素早く起き、ジークリードの襟を掴み上げた。
「私は! 一緒に読んだ私は一体どうなるんですか!?」
「うぅぅ、順を追って説明するからっ」
がくがくと頭をゆさぶられたジークリードが、さすがに必死な表情で叫ぶ。
「大丈夫だよ! だってさっきも別に、君の方は夢でみた状況そのままになったわけじゃなかっただろう?」
「でも、読み始めてまだほんのちょっとしか経ってないんです! こうしている間にも、何か爆発でも起きて、家の柱かなにかが体突き刺してたらどうするんですか!?」
死は覚悟したけど、こんな形のものではなかった。
せめて敵兵を一人なりと道連れにしようと思っていたのに、それもできないなんてと、リエットは悔しくなったのだ。
「大丈夫、ちょっと落ち着いて」
襟を掴んでいたリエットの手が握りしめられる。そして引きはがされた。
リエットは一瞬驚いて、叫ぶことも忘れてしまう。平均より力が強いと思っていたリエットの手を、易々と動かされたのだから。
「少し深呼吸して。大丈夫。今の僕たちの状況は『異常』なんだ。なにせ僕は、本の中に閉じ込められてる」
ジークリードはゆったりとした声で語る。
今までと変わらない話し方に、リエットの心も少し、ゆるりとほどけていった。
「本の中に閉じ込められてるんですか? どうして? っていうか、さっきまで本の外にいたのに……」
「ある魔女の所からこの本を盗み出したせいで、魔術で閉じ込められたんだ。まぁ、誰かが読むと外に出られるみたいなんだけどね」
問題は、とジークリードは言う。
「おかげで自分では読めない。けど、どうも読んでくれる人がいれば、本の中そのままの事象を体験できるようなんだ」
だからか、とリエットは思った。本の中の人物が、ジークリードそのままだったのは。
「でも、読んでるのは私の方なんですよね? やっぱり私にも影響が……」
「思い出して。さっき君が読んだ時のこと。登場人物は僕一人だった。君が枝に刺されたわけじゃない。君はなんというか、傍観者みたいなものなんだと思うよ」
言われてみれば確かに。
リエットが登場人物として、変な木に襲われたわけではなかった。
「でも、今のこれは? 私も王子様もこうして姿が見えるのに」
「おそらく本に閉じ込められた僕の術に、引っ張られてるんじゃないかな。たぶんこの闇の書も、本来は普通に物語として読んだ後、その本人に似たような出来事が現実でもおこる形式だと思うんだ。けれど僕は本に同化してるものだから、本の登場人物として物語の出来事そのままを経験することになったんだろう。そこに読んでるだけのリエットの意識まで、本の中にひっぱりこまれた、と」
ふんふんと話を聞いていたリエットは、む、と眉をひそめる。
「でもやっぱり、それって私も魔術書の事象を経験することになるのでは?」
「かもしれない」
「曖昧すぎですよ?」
「僕もこんな事象は初めてだからね。ただ、仮にこのまま君が読んでも、逆に本の中の出来事だからこそ、君の命が危険にさらされることもないし。万が一術を会得しちゃっても、黙っていれば誰もわからない。使わなければいいことだからね」
「そういうもの……?」
「そういうものだよ」
魔術のことなど、リエットにはわからない。だから納得するしかないのだが。
「というか、あなたが本物の王子様なら、なぜ本の中に閉じ込められたんですか?」
「ああそれはね……」
ジークリードが答えようとした時だった。
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