第3話空っぽの王子様 2

 煉瓦造りの集合住宅にたどりついたリエットは、三階の自宅へと階段を駆け上る。


 扉を開けて中に入ると、腕も広げられない狭い玄関で、まだ布に吸われていない肩の雨粒を払い落とす。

 そして中に入って着替えた。

 買い足した野菜が入った袋を台へ置き、その横にある寝台へぼてっと転がる。


 そして天井を睨んでぼーっとしていたリエットだったが、不意に袋が斜めに傾ぎ、こぼれ落ちてきたものに目を止める。


「本か」


 リエットは元々本好きだった。これは公安に届けなくてはならない本だったが、一体どんな本なのか興味がわいた。

 そして黒い本を手に取り、今日の暇つぶしにと中身に目を通し始めた。

 本の内容は、少し奇妙なものだった。


   ※※※


 それは魔術が忌まれていた時代の話。

 ある魔術師が、国を滅ぼそうとしていた。生きとし生ける者全てを光に変えてしまう術で。


 騎士アーベルは、そんな故国を救うために聖山フォルクレスへ登った。

 彼は山頂に棲むという、賢者の知慧を得ようとしていたのだ。


 やがてアーベルの青い瞳に、闇に包まれた森の中に灯る、小さな明りが見えてきた。

 近づけば、そこには大樹の下に座る人がいた。薄汚れたフードから、白い髭だけがのぞいている老人だ。


「お伺いしたいのですが、この山の頂には……賢者がいるというのは本当ですか」


 尋ねたアーベルに、老人はうなずくことはなかった。


「お前は何を求めて来た?」


 逆に問われ、アーベルはしばらく考えた。


「僕は、光の魔術を止める術を求めて来ました」


「それは魔術でしかなしえないことだ。お前は魔術を求めるのか」


「……必要とあれば」


「お前の求めるものは、この山の頂きにあるだろう。そこへ至る道へ行くには、まず覚悟を見せよ」


「覚悟を?」


「魔術を得ることは、人の生から外れる事と同じ。その決意を見せよ。お前の求めるものを得るために、己を捨てる覚悟があることを証明するのだ」


 ゆらり。

 老人の背後にあった木が、蛇のように枝をくねらせはじめる。

 枝の先端は鋭く、やがて鎌首をもたげた蛇が襲いかかるように、アーベルの胸に向かって飛び込んできた。


 避ける間もなく、胸に衝撃を受ける。

 息が詰まるような感覚とともに、アーベルの視界が真の暗闇にとざされた。


「僕は……殺されたのか?」


 戸惑う彼の耳に、老人の声が届いた。


「闇を感じよ。絶望の果てにあるものを見いだせ、さもなくば闇に飲まれるだろう、二人とも」


   ※※※


「え? 二人……?」


 本の中にでてきたのは、騎士アーベル一人だけだったはず。

 リエットは目を開いた。

 そこでようやく自分が眠っていたことを自覚する。


 例の本は開いたまま、枕元に投げ出されていた。どうやら、読みかけたところで眠ってしまったらしい。

 ということは、直前まで読んでいたように錯覚していたのは夢だったようだ。


「ていうか、山に登る前に殺されるってどんな話なの?」


 上半身を起こし、大きく伸びをしたリエットに、同意の声がかかる。


「確かに僕も刺されるとは思わなかった……けど、登るためには逆らっちゃいけないんだよね。ちょっと面倒」


 ふうっとため息をつく人を見て、リエットは寝台の端まで一気に退いた。

 だってありえない。

 扉はきちんと鍵をかけた。雨が降っているから窓も開けていない。


 だというのに、藍色の上等そうな服を着た亜麻色の髪の青年が、部屋の中にいるのだ。

 煉瓦をむき出しにしてると寒いから、端切れで作った手製のタペストリーを壁に掛けた部屋の中、金糸の装飾までついた高級な服を着ているその人は……激しく周りの光景から浮いていた。


「だっ、だだだだ、誰っ!?」


 リエットが叫ぶと、青年は驚いたように目を見開く。

 それからゆっくりと辺りを見回して、ようやく得心した表情になる。


「ああ、そうか。そういう術だったんだ。でもまぁいっか、うん」


「ちょっ、自己完結する前にこっちにも説明して! っていうかあなた誰!?」


 どうやら青年は状況を把握しているようだが、リエットの方はさっぱりだ。

 説明しろと訴えると、青年はうんとうなずいた。


「助けてくれてありがとう。僕はジークリードっていうんだ」


 よろしくね? とほほんとした表情で言う彼に、リエットは毒気を抜かれてしまう。

 瞳にもあまり強い意志は感じられないし、どこか空っぽな感じがする。


「そういえば空っぽってあだ名の人がいなかったっけ?」


 連想したリエットは呟く。


「あーあだ名ね。僕のこと空っぽの王子だなんて、ちょっと失礼だよね」


 やだなぁ。ちゃんと考えて生きてるのに。

 そう言う青年の顔をまじまじと見たリエットは、空っぽ王子とジークリードの名前がようやく合致する。


「はぁっ!? まさかまさか、ホントに王子!?」


 確かに王子の髪は亜麻色だった。

 毎年の祝祭日に馬車で王都をまわる王族を見に行った時、遠くて顔こそわからなかったが、髪の色は見ていた。

 ジークリードは、まいったなぁと苦笑しつつ、立ち上がって優雅に一礼してみせる。


「改めて始めまして、お嬢さん。ジークリード・ウィル・レーヴェンスです。お名前を聞かせていただいても?」


「あ、う、その、リエットです」


 礼儀正しく聞かれたことに驚き、素直に答えてしまう。


「それにしても名前でわからなかったかー。僕の知名度いまいち?」


「普段空っぽ王子としか呼ばないから、本名の方を思い出せなかったっていうか……本物?」


「本物だよ?」


 さらりと答えるジークリード。

 リエットはしばらく、呆然と彼を見つめてしまう。

 確か王妃はぼんやりした人だが、その美貌は評判だった。リエットも成婚時に出回った姿絵を見たことがあるが、妖精のように美しい女性だと思ったものだ。


 ジークリードも顔が綺麗だ。二十歳にはなっているはずだが、かつらをかぶせたら女装もできそうなほど。美貌の王妃の息子であるなら、納得できるというものだ。

 だがしかし。


「夢、夢だわこれは……」


 自分の家の中に、突然王子が現れるなど、夢に違いない。


「そうだ眠り直そう」


 よしと決めて、リエットはもそもそと布団の中に潜り込もうとしたが。


「ちょっと待って!」


 横になろうとしたところで、肩をつかまれる。

 リエットはすかさず小指を掴み、手の甲へむかって曲げてやる。


「いいっ、痛い痛い!」


「私の夢のくせに、私の眠りを邪魔するな」


 脅した上で、騒ぐジークリードの指を離してやる。

 がジークリードも懲りなかった。


「待ってくれないか、とりあえず僕がなぜここにいるのか説明を!」


「いや、夢でしょ? わかってるから、邪魔しないでくれない?」


「違うんだ、夢じゃないんだってば!」


 必死に言いつのりながら、ジークリードは枕元にあった本をリエットに押しつける。


「せめて一歩ゆずって夢だとしてもいい。これをとりあえず読んでくれないかい?」


 頼むと言われたリエットは、変な夢だとため息をつく。

 突然王子が現れて、本を読めというのだ。

 でも夢というのは元々理不尽なもの。


「まぁ、夢だしそれくらいなら……。ええと、騎士アーベルは」

 読み始めたとたん、リエットの意識は波が引くように暗転した。

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