香水博物館

山本ナッツ

第1話

 伯母から大学寮に届いた封書の中に、その奇妙なチケットはあった。先月亡くなった父の遺品を片付けてくれていた時に見つけたらしい。『涼くんへ』と書かれた封筒の字は父のものでなく、十五年以上前に死んだ母のものだった。

 チケットには『香水博物館 有効期限なし』とあり、裏側には地図が描かれていた。しかし今もあるのか不明だ。それに男の自分が香水なんてと思ったが、結局、その週末の土曜日の午後、独りで訪れることにした。

 実在する建物を見るまで、その存在に疑いを持っていたが、白亜の建物に『香水博物館』とあるのを見て、強張っていた全身の力が抜けた。

 受付の女性にチケットを差し出すと、いつもありがとうございます、と言われる。

「すみません、これは母から譲り受けたもので、僕は初めてなんです」

「これは、香りを寄贈してくださった方にお渡ししているものなんですよ」

 博物館には通常の香水の展示のほかに、寄贈された香りを展示しているコーナーがあり、チケットに記載されていたG21というのが母の預けたものの展示場所で、女性は館内マップを使って丁寧に教えてくれた。

 館内は予想に反し、無臭だった。一人の女性が細長い紙に香水を一滴垂らして鼻の前で振って香りを楽しんでおり、そこからふんわりと匂いが漂った。ラベンダー、沈静効果、とある。そこを素通りし、母の香りのあるコーナーへ急いだ。

 そこに陳列されていた香りは珍妙だった。お気に入りのぬいぐるみ、初めて咲かせた朝顔、グラウンドの土、恋人の精液。他人からしたら不快なはずの匂いが瓶詰されている。母は一体、何の匂いを納めたのだろうか。

 女性に教えられた場所にあったのは『息子の好物』と書かれた壜だった。好物? 恐る恐る蓋を開けると甘い、香ばしい匂いが鼻を突いた。

 卵焼きだ。それも、砂糖がたっぷり入った甘いやつ。

 僕にとって、卵焼きは苦い思い出だ。東京から大阪に引っ越し、登校して初めて友人に見られた弁当箱に卵焼きがあった。関西は出汁を混ぜた茶色い卵焼きが主流で、だから友人達は甘い卵焼きを馬鹿にした。

「これからは絶対に卵焼き、入れないで!」

 怒鳴った僕を、母は寂しそうに眺めて小さく頷き、そしてしばらくして母は事故で死んだ。

 実際は、僕は卵焼きが大好きで、母はそれを分かっていたのだ。

 壜から立ち上る匂いは、言いようのない後悔を募らせるのに十分だった。

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香水博物館 山本ナッツ @kuru1796

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