第10話 夏、閉じる。

 朝日が昇り始めます。

 細い身体を傾けながら、クロ助は眠りこけていました。

その足元に、黒アゲハが松葉杖に身体をあずけ、ぴょこたんぴょこたんとやってきました。

見ればその腕に、ツユクサのカゴが下がっています。中にはフリージアの蜜がふちまで入っていました。少し離れたところから、ミーちゃんが心配そうに見ています。


「さあさあさあ、さっさと起きな。若者がいつまで眠りこけてるんじゃないよ」

薄目を開けたクロ助が、不満そうに口を開きます。

「寝る子は育つって言うじゃないか」

「へりくつ言ってないで根を開きな、蜜が重くてあたしゃ腕がおれそうなんだ!」


  黒アゲハはカゴの蜜をクロ助の足元へあけました。朝露と混じり合った蜜が、ふかふかさん達に素早く吸い込まれていきます.。

 黄金色の蜜は、豊富な養分と混ざり合いながら、クロ助の細く開かれた根の先端へ集まって、少しずつ摂り込まれていきました。

「やれやれ、手間ァかけさせやがってこのガキが」

黒アゲハが嬉しそうに言いました。ミーちゃんが、ホッとした横顔を見せています。


「僕はガキじゃない」

「駄々こねてるうちは立派なガキだってぇの」

ぐっと言葉につまったクロ助は、ぷうとその頬をふくらませると口を閉じました。


 北側の門番棟の上で、難しい顔をしたマダラカマドウマと、いかつい顔をしたミヤマカマキリが、囲碁盤を睨み付け差し向かいに座っています。

「ん?」

頬に空気の揺れを感じ、ついと顔を上げたのはガマドウマでした。

「こちとらの気を引こうってたってそうはいかんぞ」

 盤から目を離さずにカミキリが応じます。


「待て。あれを見ろ。あれは……南側のチーム砂ねずみじゃろ」

「何?あの砂煙は確かにそうぞ。あの真ん中に見えるのはまさか」

「あの鮮やかなグリーンは、トノさんじゃろー!」


 庭の住民達が、声にならない叫び声をあげながら駆けつけてきました。

トトトトトっと軽快なリズムで走り込んできたチーム砂ねずみが、真ん中にしっかり支えた担架を、そっと地面に降ろします。

リーダーねずみの背からするするっと降りてきたのは、南側監督、ハサミムシでした。


「パトロール中、目を回し、倒れているモグラを発見しました。そのすぐそばに自身の身体ほどもある小石を抱えたトノサマバッタもまた、倒れておられたのです」

 口もとを押さえ、駆け寄る黒アゲハの細い肩が小刻みに震えていました。ハサミムシは、つやつやの触覚で黒アゲハの肩をぽんぽんすると、くるっと住民達の方へ向き直ります。

「では、私たちはこれで」

 一糸乱れず走り去るその全ての背中に、途切れることの無い感謝の言葉がいつまでも贈られたのでした。


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったクロ助も、ありがとうありがとうと言いながらその細い全身を震わせています。

手当をうけ、アマナの葉で巻かれた身体をトノサマバッタはゆっくり起こしました。しゃっくりをあげ続けるクロ助に温かい視線を送ると、黒アゲハに向き直ります。

「遅くなってすまなかった」


黒アゲハは、俯いたままです。

「お前が監督を引退したら、俺の背中にのせてあちこち連れて行きたかったんだが、もうその羽が無い。すまん」

黒アゲハが顔をあげました。

「この忙しい時にどこほっつき歩いてたんだい!羽がなくたってあたしが背負ってどこでも連れてってやるさ。さあさあ、この肩につかまりな。あたしゃ気が短いんだ、さっさとしないと置いてくよ!」

「気の強い嫁さんだ。だが、そのぐらいがちょうどいい」

「バ、バカなことを、誰が嫁だって、ふざけたこと言ってるんじゃないよ!」


「確かに俺はバカだ。けどな、ふざけちゃいない」


 トノサマバッタの真剣な眼差しは、黒アゲハの瞳を真っ直ぐ見詰めています。

どこからともなく、ぱちぱちと聞こえてきた拍手、そこへ重なる祝福の歓声がさざ波のように広がり、それはまるでひとつの歌の様にいつまでも響き続けたのでありました。


ふわっと舞い降りてきた風が、住民達の間を優しく吹き抜けて行きました。

チーム北側は、本日も始動しています。


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