第6話 夏。
昼の間に、強い陽射しが残した熱気を、月の涼やかな淡い光で、ゆっくりと冷ましていきます。
全ての動植物が、その光に包まれながら心地良い眠りについていました。
庭の北側では、整然と並んだ十二のプランターの中で、薄く緑がかった小さな白い花々を持つ、風船葛が目覚めの時を待っています。
そのすぐ隣では、まだ細く小さなクロマメの木が、その身体を右斜めに傾けながら眠りこけていて、薄い瞼から伸びた睫毛に夜露がぽつり。
重なり合う静かな寝息に、庭全体がひとつの生き物のようでもありました。
朝一番、遠くの林でセミが1日の始まりを告げると、思い思いの寝床で身体を丸めていた庭の住民達が、もぞもぞと目覚め始めます。
そこへ、大きな鈴のような声が聞こえてきました。
「さあさあ、ほら起きた起きた!出番はとっくに始まってるんだ、その寝ぼけたまなこをしっかり開けて持ち場に付きな、そこのダンゴムシ、いつまで丸まってるんだい、さあ行くよ。あたしらには大切なお役目があるんだからね」
威勢の良い声を周りにかけながら、松葉杖に身体をあずけ、ぴょこたんぴょこたんと、片側を引きずるように歩いてゆくのは黒アゲハ蝶。
かつて美しかったであろうその羽の大半が千切れ落ち、残った根本だけが閉じたり開いたりしています。
「ほらカナブンの旦那、今日もよろしく頼んますよ、なんせ今年は風船葛が去年の倍なんだ、寝言なんぞ言ってる暇はないのさ、さあみんな頼むよー!」
北側のあちこちから、それぞれの「了解しました」が聞こえてきました。
十二のプランターでは、風船葛のお手入れチームが忙しそうに動いています。
三のプランターで、夜のうちに落ちた花を拾い集めているのはダンゴムシ、湿度計と温度計をにらみながら、その日の水分量を決めているのはカナブンで、一時間置きに、陽射しの方向を確認し、日除けの確度を調整するのはショウリョウバッタ、という具合です。
黄色スズメバチの背に乗り、プランターを見渡すツツジへ降りた黒アゲハが、椿の葉でできたメガホンを持ち、あれこれ指示を飛ばします。黒アゲハが、北側の監督となってから三年目の夏の昼下がり。
その様子を、すっかり目を覚ましたクロマメの木、知りたがりのクロちゃんが、じーっと見ていました。
その細い身体にいっぱい詰まった好奇心は、尽きることがありません。
「ねーねー、どうして、黒アゲハ蝶の姉御ちゃんは、どうして羽が無いの?どうして片側の足が無くなっちゃったの?蝶々さんなのに飛べなかったら、花の蜜が飲めないよ、困らないのかなあ痛くないのかなあ」
その足元で、土をふかふかにしていたミミズのミーちゃんが顔をあげ、ちょっと小首をかしげて答えます。
「そうねえ、私も詳しい事は知らないの。去年の春先には、美しくて大きな羽を広げて飛んでいたのを見たわ」
「そうなんだあ、ミーちゃんも知らないのかあ。ボクそれが何故なのか知りたくて、この間、姉御ちゃんに聞いてみたんだ。そしたらこう言ってた。゛さあね、もう忘れちまったよ、あたしゃ忙しいんだ、そんなつまんない事考えるのはおよし゛って」
「まあ、そうだったの。そんな事があったのね」
一本と一匹は、地面へ視線を落とします。
その背中へ、低くて太い声が後ろからポンと割入ってきました。
「よう、元気だったかボク」
パッと振り返ったクロちゃんの目に飛び込んできたのは、トノサマバッタです。
「あ、トノサマのオジサマ!南側からいつ帰ってきたの?お帰りなさい、ボク待ってたんだ嬉しいなあ!ボクと同じ木は何本いた?誰が住んでるの?広さはどのぐらい?池があるって聞いたよ、池ってどんなものなの?北側のここより暑いってホント?」
やれやれ、の顔をしながら、トノサマバッタが答えます。
「まあ待て。この前教えただろう。物事は順番が大切だと。それは質問も同じことだ。今、黒アゲハの事を話していただろう、後で教えてやる。少し仕事を片付けてくる、また夜にな」
トノサマバッタは力強く地面を蹴り上げると、羽音をたてて飛びたちました。見送りながら、クロちゃんは小さくて可愛いため息をつきます。
「いけね、大切なことはって、この前教えてもらったばかりなのにボクすっかり忘れてた!」
ピンク色の可愛らしい舌をペロっと出したクロちゃんを見て、ミーちゃんが、くすくすと笑いました。
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