第3話 春、進む。

 庭全体に、円を描く様に風が吹きました。夕暮れまで間もないことを知らせる風です。

 せっかちさんは、小さな体を小さく震わせ、大きな目をぎゅっと閉じました。

「うう、寒い、寒いよう」

 そこへ、アリ達が大急ぎで作り終えた梯子から、艶のあるアゴ一杯にわた毛を抱えたオオクワガタがゆっくり降りてきます。


 そして優しくそっと丁寧に、せっかちさんの周りにわた毛を敷き詰めました。ふわふわしたわた毛は、柔らかく暖かく、冷たい風を遮ってくれます。せっかちさんは、幸せそうに首をすくめると、黒くて大きな者に気が付き慌てて口を開きました。


「あの、僕をここに置いてくれた人の」

「名前が知りたいんだってな坊や。いつからその人の事を知ってるんだ?」

「僕を、僕を2本の手でここに置いてくれた人がいるんです。゛あなたに会えるのを楽しみに待ってるわ゛って。だから僕は」

「大急ぎで飛び出して来たって訳か。休眠中の記憶があるものは殆どいないんだが、それがあるお前には、何らかの役割があるのかもしれんな」


「役割?」

「そうだ役割だ。一代目の役割は確か゛自分達の種を繋ぐ手があることを同種に知らせるため゛だったそうだ。お前の役割が何かはわからんが、お前が花を咲かせあの人に会えるまで、お前の命を守るのが俺達の役割だ」

「僕は……まだよくわからない。わからないけど、あの人に会わなくちゃって事だけはわかるんです」


「そうか、わからんか。そうだな、確かにそれはまだ早い。お前のせっかちが俺にもうつったようだ。あの人の名は゛ユキ゛だ。その日までちゃんと覚えておけ」

「そうなんだ、ユキちゃんユキちゃんユキちゃーん、僕会いに来たよー!」

「たく、なんてせっかちだ。会いに来たよーって、まだ1ミリしかない新芽のお前じゃ、見付ける方が一苦労だぞ。少し黙れ。そしてちゃんと休め。今は体力を温存しろ」  


 オオクワガタはそう言うと、またそっとわた毛を被せ、梯子から地面へと降りていきました。

 刻々と夕暮れが近付く中、えっさほいさとリズミカルに向かって来る者達がいました。それはチーム砂ねずみです。

 全員でバランスを取りながら、ハサミ虫が仕上げた風雨よけを、一糸乱れぬ姿で担ぎ走り戻る姿は壮観でもありました。


 「お帰りなさい」

 温度と湿度を管理するカタツムリが、チーム砂ねずみに細い声をあげました。

 ねずみ達の背に乗る、ハサミ虫とカイコ達は少しホッとした様子です。

 体に付いた砂煙を払いながら、ハサミ虫が前に出てきました。


「風速十メートル、雨量三十以内であれば耐えられる設計となっています。が、今回の風雨よけには新材料としてオリーブを使いましたが、そのデータ取得はこれからになります。数字が悪ければすぐに戻します」


 ポツ。ポツポツポツ。

 午前3時過ぎに降り出した雨は、徐々にその強さを増してきました。

 椿の葉で作った合羽を身にまとったハサミ虫が、風雨よけの周りを点検しつつぐるぐると歩きまわっています。

 時折、雨の合間から「よし大丈夫そうだ」「オリーブの葉は、もっと細かく合わせた方がいいな」などの独り言は、プランター内の少し離れたところで待機していたオオクワガタの耳にも届いていました。


 その黒い頬がふっとゆるみます。

「あいつの熱心さはいつか、誰かの助けになり力となり、実を結ぶことだろうな。いやもうすでに、実になりつつあるか……」

 頬をゆるめたまま、オオクワガタはいつしか眠りに落ちてゆきます。

 雨足がますます強くなる中、ハサミ虫の黒い影だけがいつまでも動き回っていました。

 わた毛にくるまれたせっかちさんは、その柔らかさに身を預けスヤスヤと眠り続けています。

 時折、眉間をきゅっとさせたり、青白い新芽をぷるっとさせるのは、少し先の未来を夢見ているのでしょうか。

 もう朝が近い。

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