屋上
私は野菜ジュースを飲みながら、アサミがお弁当を食べるのを眺める。メインのゼリー飲料はとっくに食べ終わった。
屋上は暖かった。雪も今日の暖かさでほとんど解けた。冬は寒いからと教室で食べることが多いけれど、今日は久しぶりに屋上で食べることになった。
「ミキちゃん。卵焼きあげる」
「えー。いいよ」
アサミはすっかり元気になっていて、もういつものアサミだ。風邪はすっかり良くなったらしい。
「あげるよー。今日のは上手く出来たんだよ」
そう言って、アサミは卵焼きを箸で摘み、私の口へと運ぼうとする。
「いいって」
卵焼きはたしかに美味しそうだった。屋上には私とアサミ以外誰もいないとはいえ、あーんされるのはさすがに恥ずかしい。
「ミキちゃんさ。私が休んでるときもお昼それで済ましてたでしょ」
アサミは私の側に置かれたコンビニ袋を見る。アサミが言う『それ』はその袋の中に入っているもう食べ終わったゼリー飲料の容器のことだろう。
「この前、ちゃんと食べてるって言ってたのに」
アサミの眉間にぐっと皺が寄る。
「あー。それはその……」
たしかにお見舞いのときはお昼ちゃんと食べてると言ったし、それはちょっと嘘だったかもしれないけれど。お見舞いのときはさらっとその話題は流れていったのに、なんで今さらその話題が戻ってきてしまうのか。
「はい。あげる」
アサミは私の口に卵焼きを近づける。
「いただきます……」
私はあーんを受け入れる。実際にやってみるとやっぱり恥ずかしかった。
「どう?」
「おいしい」
実際においしかった。それは甘い卵焼きだった。我が家の卵焼きも砂糖入りだけれど、アサミが作ったのはそれよりももっと甘かった。
「でしょー! 今日はちょっと砂糖の分量変えてみたんだー」
アサミは嬉しそうに笑う。正直、いつもよりもおいしいかどうかはよくわからなかった。アサミからはたまにお弁当のおかずをもらうけれど、大体いつもおいしい。なんかアサミって感じの味がする。
アサミもお弁当を食べ終わり、なにをするわけでもなく、ただ屋上にいる。お昼休み終わるまではまだもう少し時間があって、すぐに教室に戻るのも億劫だった。
風がなくて、冬の日差しが暖かい。
空は青というより水色で、白と灰色のまだら模様の雲が少しだけ浮いていた。
「今日は暖かいねー」
「うん」
隣に座るアサミを横目で見る。アサミもなにをするわけでもなく空を見上げている。
私はまた空を見る。禁煙を始めた日もこんな空だったことを思い出す。
あの日、屋上にいたのは夕方だったけれど、暖かいのは今日と同じだった。次に暖かくのはいつになるのだろう。明日だろうか。それともまた寒くなるのだろうか。多分そうなると思う。春はもう少し先で、まだしばらくは季節は冬のままだ。
だけど、今日の暖かさは春を感じさせた。
「ミキちゃーん」
アサミの声に考えは途切れる。
「なに?」
「呼んでみただけー」
「なにそれ」
アサミはへへっと笑う。それはいつもと違ってどこか寂しそうに見えた。いつもと違うけれど、私はその笑顔を見た記憶がある。
アサミは立ち上がって ぐーっと伸びをする。そして、大きく息を吐く。うっすらと茶色がかった髪が、陽の光に当たってきらりと光る。
どこで見たのだろう。私はアサミの笑顔をじっと見つめる。
「どしたの?」
アサミはまだあの笑顔のままだ。どこで見たのか思い出せない。
「あ、煙草吸いたくなったとか? ダメだよ?」
いや、違うし。そもそも持ってきてない。この前だってちゃんと我慢した。
「そういえばさ。ミキちゃんが禁煙宣言したとき私が煙草取り上げたの覚えてる?」
二つね。とアサミは手をチョキにする。
「そんなこともあったような気がする」
「私あれまだ持ってるんだ。ビニールに入れて鞄の奥でおやすみ中」
「なんで? 捨てればいいじゃん」
「だって、なんか捨てるのも怖いし」
まあ、普段吸わない人からしたらそうなのかも知れない。家で捨てて親に見られても困るし、外で捨てるのも同じことだ。どこかにポイッと捨てるのもアサミの性格からして出来ないだろう。
「どうしてもどうしてもどーしても吸いたくなったらあげる」
「いや、いらないし」
「あ、でもライターがないから無理か……」
それは大丈夫。と言おうとしてやめた。ライターはなぜかいつも鞄に入っている。なにかの役に立つかも知れないし。今のところ特に出番はないけれど。
あ、そうか。思い出した。アサミの少し寂しそうな顔。禁煙を始めた日、ここで見たんだ。たしか海の話をしてたとき。アサミはさっきみたいな顔で笑っていた。
海か。今日はお姉ちゃんが言ったとおり暖かい。まるで春みたい。春ならまあ悪くないかも知れない。
「アサミー」
「んー?」
「今日って暇?」
「とくになにもないよー。久しぶりにロンドン行く?」
たしかに久しくアサミとはロンドンに行っていない。今日もお姉ちゃんはバイトだと言っていたし、それも悪くない。悪くないけれど。
「いや、それもいいんだけど」と言って私はアサミを見る。アサミも私を見ている。
「海行かない?」
アサミが驚いた顔をして、すぐに嬉しそうに笑う。
「行く」
それはアサミと初めて会った日。体育館裏で私の金髪を褒めてくれたときと同じ笑顔だ。これはちゃんと覚えている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます