大人

 アサミの家は駅の北口から少し歩いたところにある。ロンドンから駅までは歩けない距離ではないけれど、今日は雪が降っている。

「バス乗る?」と森さんと炭谷さんに聞いてみたけれど、ふたりが歩くと言うので、歩くことにする。雪も降っているというのに元気なことだ。

 住宅街を私たちは駅に向かって歩く。雪はもうほとんど解けているけれど、人が歩かないところや屋根にはまだ雪が残っている。道路にもまだ雪が残っていたらさすがに歩く気にはならない。

 傘を差して、三人並んで歩くことは出来ない。誰かが轢かれる。この道に歩道はない。だから、私は並んで歩くふたりの後ろを歩く。駅までの道はふたりも知っているらしく、まだ私の出番はない。

「ねえ、漆原さん」

 森さんが歩きながら振り向く。

「なにか手土産買っていかない?」

 手土産。そうか。お見舞いには手土産がいるのか。思いつきもしなかった。言われてみればそんな気もする。

「あ、そうだね」

 さも、忘れていました。というフリをしてしまう。お見舞いに行ったことがないことはとっくにバレている。なんの意味もない見栄。こういう私を私はあまり好きではない。

 森さんが歩くペースを少し落として、私の隣に来てくれる。前には炭谷さんがひとり。スカイブルーの傘が揺れる。傘の下からブラウンのスカートとキャメルのショートブーツが見える。学校ではわからなかったけれど、炭谷さんは可愛いものが好きなのだろうか。失礼かもだけど少し意外だ。

「すぐそこに美味しいケーキ屋さんがあるんだよー」

 森さんが先のほうを指差すけれど、その方向を見てもケーキ屋さんは見当たらない。多分まだ先なんだろう。この辺にケーキ屋さんなんてあっただろうか。記憶にない。それは多分、ケーキはロンドンで食べることが多いからだろう。ロンドンのケーキに私は満足していて、新規開拓をしようなんて考えたことはなかった。

「へー。そうなんだ」

 ケーキ。病人にケーキってどうなんだろう。アサミなら喜んで食べるとは思うけど、生クリームとかあんまりよくなさそう気もする。

「そこのプリンをね。ナッちゃんが風邪引いたときによく持っていくんだー」

 プリンか。プリンなら良さそう。よくわからないけれど、イメージ的にはケーキよりかは良い。

「あのプリンってあそこのだったんだ」

 今度は炭谷さんが振り返る。炭谷さんもお店のことを知っているらしい。

「ナッちゃん、プリンに夢中で箱とか見てないもんねー」

「いつもはケーキ買うから気づかなかっただけだし。それに風邪引いてたから」

 そう炭谷さんは森さんに言って、今度は私を見て「風邪引いてたからだから」ともう一度言う。私はそれに苦笑いで応える。

「ついた」

 そう言って炭谷さんが立ち止まる。そこはまだ住宅街でケーキ屋さんなんて見当たらない。と思ったけれど、目の前にある一戸建ての家の壁には『Beatrix』という壁文字。これがお店の名前なのだろう。

 よく見ると広葉樹の植木の隙間からガラス張りの場所が見える。中にはショーケースがある。確かにケーキ屋さんだ。

 ガラス張りの扉。その扉の脇には私の膝下くらいの大きさのウサギの置物がおいてある。扉を開けると甘い匂いが漂ってくる。ケーキ屋さんの匂いだ。

 レジの脇には焼き菓子が並んでいて、ショーケースの中には色とりどりのケーキたち。ショートケーキ、チョコレートケーキ、モンブラン、チーズケーキ、フルーツタルト。どれも美味しそう。だけど、今日の目的は君たちじゃない。ごめんね。私はケーキに謝ってプリンを探す。

 プリンはショーケースの端っこのほうに遠慮がちに置いてある。小さな牛乳瓶みたいなガラスの容器が綺麗に整列している。

 何個買えばいいのだろう。四人だから四つだろうか。手土産って持っていった人たちと食べるものなのだろうか。それとも後で家族で食べるのだろうか。たしかアサミに兄弟はいなかったはずだ。だから、アサミとお父さんとお母さんで三つだろうか。

「プリンを四個お願いします」

 私が考えている間に森さんがさっさと注文していた。四個ということは持っていってみんなで食べるのだろう。少なくとも森さんはそのつもりということだろう。

「漆原さん。和久井さんの家まであとどのくらい?」

「三十分くらい」

「ありがとう」

 森さんは店員さんに『三十分くらいです』と告げる。冬でも保冷剤は入れてくれるのだろうか。気にしたこともない。

 店員さんは手際よく持ち帰り用の紙箱を作って、そこにプリンを詰めていく。

 その間に店内を見て回る。と言っても、一戸建ての一階を改装したであろう店内は狭い。すぐに見て回れる。

 お店の至るところにウサギの小物が置いてある。このお店のテーマはウサギなのだろう。ホールケーキの見本の上にはマジパンのウサギが座っているし、ウサギの形をしたクッキーだってある。かわいい。でも、途中で耳が折れないか少し心配。

 炭谷さんはショーケースをじっと見つめている。目線の先には苺のショートケーキ。

「ショートケーキ好きなの?」

 ガーリーな炭谷さんは学校より少しだけ話しかけやすい。

「え?」と炭谷さんは私に話しかけられたことに驚いたみたいだ。それは少し申し訳ないと思う。

「べ、別に……。いや、うん。好きだよ」

 一度否定してみたくなるのは少しわかる。苺のショートケーキにはそういうところある。

「私、苺は最後に食べる派なんだ。漆原さんは?」

「私も最後」

「だよね! やっぱり最後に食べるよね! ユキは最初に食べるんだよ。それで私のも食べようとするの。まあフリだけどね。食べないけどね。食べたら怒るし」

「そうなんだ」

「ユキいつもは食べるのは遅いのに、そういうときだけ早いんだよねー」

 それは多分、炭谷さんにちょっかいを出すのが好きだからだと思う。だけど、それは言うのはなにか違う気がしたので、「なんでだろうね」とだけ答える。

「ユキももう少し大人になってくれないと困るよ。普段は優等生っぽいのにさ」

 優等生っぽいというか、私の中の森さんはまさに優等生だ。

「森さんは大人っぽいと思うけど」

 炭谷さんといるときには少しだけ子どもっぽさが覗くけれど、そういう隙もなんか大人な感じ。

 私の言葉に炭谷さんはため息をつく。

「うーん。普段は全然そんなことないんだけどね」

 じゃあ、炭谷さんといるときの森さんが素なのだろうか。お見舞いに行くと決まったときの強引さといい、私の中の森さん像は少し混乱している。

「ふたりとも。そろそろ行こ」

 森さんはそう言って、お店を出る。もう箱詰めも会計も終わったらしい。私と炭谷さんも森さんに続いてお店を出る。

 レジから出てきてくれた店員さんにお辞儀をして、入口のウサギにも、また来るね。と心の中で挨拶をする。苺のショートケーキを買いに来なければいけないので、きっとまた来ると思う。

 そこで私は思い出す。お金払ってない。

「あの森さん。ごめん。お金払うね」

 私は鞄から財布を取り出す。細かいのあったかな。

「いいよー。そんなに高くなかったから」

 いやいや。そんなわけにはいかない。むしろ私が全部払うべきだろう。だって、ふたりは私に付き添ってくれているのだ。お店では森さんが注文してくれたから、流れでお会計もしてもらっただけだ。

「え。いや……」

「いいよいいよー」

 森さんはそう言うけれど、やっぱり払ったほうがいいと思う。というか、払わないとダメだ。いや、ひょっとして、ここで頑なに払うと主張しないほうがいいのだろうか。森さんの言葉に甘えるのが正解なのか。

 私がどうしようか迷っていると、横からすっと炭谷さんの手が伸びて、森さんのコートのポケットになにかを入れる。チャラリと音がする。きっとお金だ。

「ユキー。そういうの良くないぞー。ちゃんと割り勘な」

「あ、ナッちゃん。それやめてよー」

 森さんはポケットの中を探る。コートのポケットの中の小銭って意外に取りづらい。

「最初から受け取らないのが悪い。ね、漆原さん」

 炭谷さんは私を見て、にっと笑う。

 もし、森さんが本当に大人だったら、私は多分森さんの言葉に甘えていただろう。でも、私たちは同い年で、クラスメイトで――。

「うん。私もちゃんと払うから」

 私は森さんにきちんとそう告げる。

「そう?」

「うん」

「じゃあ」

「うん」

 私はポケットの中身を回収し終えた森さんにお金を渡す。運良く丁度の金額がお財布の中にはあった。

「はい。たしかに」

 森さんはきちんとお金を数えてから財布にしまう。それを見て私はホッとする。多分、あのまま払わなかったら、しばらくもやもやしたままだっただろう。炭谷さんが先に払ってくれたおかげで、そうならずに済んだ。

「あの、炭谷さん」

「ん?」

「あ、ありがとう」

 炭谷さんはなにに対してお礼を言われたのかわからないかもしれない。だけど、言わなかったら、きっとこれもしばらくもやもやしてしまうかもしれない。だから、言う。今日はなんか言える。そんな日だ。だけど、炭谷さんはなにに対してお礼を言われているかわからないかも知れない。

 だけど、炭谷さんはなにも聞かず、ただ「いいよ」と言って、またにっと笑った。

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