お見舞い
「そういえば、和久井さん良くなった?」
森さんはカフェオレをかき混ぜながら私にそう聞いてくる。
なんで、私に聞くのだろう。と思うけれど、まあ私とアサミはいつも一緒にいるのだから、聞くのも当たり前かとも思う。
だけど、今はあまり聞いてほしくはなかった。
「……知らない」
「知らない? なんで?」
森さんとおそろいのカフェオレを飲んでいた炭谷さんは驚いた顔で私を見る。
なんでと言われても、知らないのだからそれ以外に言いようがない。
「お見舞い行ってないの?」
「お見舞い?」
「うん。お見舞い」
お見舞い。そんなこと考えもしなかった。
「行ってない」
「そっか。連絡は取ってないの?」
「金曜に『お大事に』って送った」
「それだけ?」
「それだけ」
「返事は?」
「ない」
「そっか」
「うん」
そこで会話が終わる。炭谷さんは怪訝な顔でカフェオレを飲む。私はトーストの最後の一欠片を口に放り込む。
ふたりの反応を見るに、お見舞いに行くのが当たり前なのだろうか。みんな友達が風邪を引いたらお見舞いに行くのだろうか。
コーヒーを飲みながら、外を見る。窓から見えるお姉ちゃんの車の上にも薄っすらと雪が積もり始めていた。
「お見舞いといえばね」
少しの沈黙のあと森さんが口を開いた。
「ナッちゃんは私が風邪引いたら絶対お見舞い来てくれるんだよ」
「なっ」
突然の森さんから炭谷さんへの攻撃。炭谷さんも言葉を失っている。
「連絡もすごくくれるの」
「ちょっ……」
せっかく元に戻った顔がまた赤くなっていく。
「『大丈夫?』とか『辛くない?』とかいっぱい来るの。学校ある日なんて休み時間のたびに送ってくれるの。それ見ると早く元気にならなくちゃって思うんだ」
「あの、ユキさん?」
「だから、ナッちゃんが風邪引いたときは私もお見舞い行くし、連絡もいっぱいするの。連絡しないとナッちゃん寂しがっちゃうし。あ、お見舞いでプリン買っていかないとナッちゃん拗ねちゃうんだよ?」
森さん容赦ない。
「もう勘弁してください……」
ただでさえ小さい炭谷さんがうなだれてさらに小さくなる。その炭谷さんの頭を「ごめんごめん」と森さんがぽんぽんと叩く。自分で凹ましておいて、自分で慰めている。
凹まされた炭谷さんも「いいけどさ……」とあっさりと許してしまう。そして私が見ていることを思い出したのか、顔を上げて、「違うから」とまたなにかを否定した。
さっきからなにを否定しているのかはわからないけれど、それは多分違わないんだろうなということはなんとなくわかる。
でも、やっぱりそういう話を聞くとお見舞いに行ったほうがいいのかもしれない気がしてくる。仲が良い友達が風邪を引いたらみんなお見舞いに行くもので、行かない私は薄情なんだろうか。ふたりはお見舞いに行かない私をどう思っているのだろうか。
ただ、連絡ひとつ出来ない私にお見舞いは中々ハードルが高い。
「あのお見舞いって行ったほうがいいの、かな?」
思い切って聞いてみる。
「わかんない」
「わからないですね」
思い切った私の質問にふたりはあっさりとそう答えた。
「ごめんなさい」
森さんは頭を下げる。頭を下げられても私のほうが困る。
「いや、そんな謝られることじゃないから……」
「今までは行ったことない?」
「アサミが病気で休むの、はじめてだから」
「そういえば、和久井さんが風邪引いたのってはじめてかも」
森さんは「和久井さんいつも元気だから」と笑う。森さんの言う通りアサミは元気が取り柄で、多分この風邪を引くまでは無遅刻無欠席だと思う。私が遅刻したときにアサミが遅刻していたらわからないけれど、多分そうだろう。
「行かないの?」
「行って迷惑になったらアレだし……」
「和久井さんはそうは思わないと思うけど」
「でも、連絡する余裕のないくらい辛いのかも知れないし。そんなときにお見舞いとか……」
「まあそれはそうだけど……」
炭谷さんは小さく息を吐いて、カフェオレを飲む。優柔不断な私に呆れているのだろうか。
「電話しましょう」
今まで黙っていた森さんがいきなりなにかを言い出した。
「聞いてみたらいいんです。元気そうならお見舞いに行きましょう」
いや、なに。いきなり。そもそも元気なら見舞わないでいいのでは。森さんはなにを言っているのだろうか。
私は思わず炭谷さんのほうを見る。炭谷さんは苦笑いを浮かべているだけで、森さんを静止したりはしない。
「漆原さん。和久井さんの家知ってます?」
「知ってるけど……」
「じゃあ、大丈夫ですね」
なにが大丈夫なのか。そう私が聞く前に森さんはスマホを取り出して、電話をかけ始める。
「……あ。和久井さん? 森です。はい。森ユキエです」
本当にアサミに電話をかけたらしい。
「はい。風邪の具合どうですか? ……そうですか。だいぶ良いんですね。よかった。じゃあ今日、お見舞い行っていいですか? ……場所? 大丈夫です。わかりますから。……大丈夫。大丈夫ですから。はい。今から行きますね。では」
森さんは電話を切る。最後のほうは有無を言わせず一方的に森さんが話をしていたように見えた。アサミも誰かに喋り負けることがあるらしい。
「大丈夫みたいです」
本当に大丈夫と言ったのだろうか。
「よし。じゃあ行きましょう」
なにがじゃあなのか。私は一言もお見舞いに行くなんて言ってない。
「わ、私も行くんだよね?」
森さんが不思議そうな顔で私を見る。
「当たり前です。だって、行きたいんですよね? そういう顔してました」
そんな顔していないと思う。ここに鏡はないけれど、きっとしていなかったはずだ。私は助けを求めるように炭谷さんを見る。だけど、炭谷さんはもう出る準備をしていた。カフェオレを飲み干して、コートを手に持っていた。
私の視線に気付いた炭谷さんはまた苦笑い。その苦笑いの意味が「諦めて」ということには私でも気付いた。
だから、私は諦めた。森さんってこういう人だったんだ。初めて知った。私は多分森さんには勝てない。強すぎる。
椅子の端に寄せただけの宿題を鞄に入れて、残ったコーヒーを飲みきって、席を立つ。
ふたりはもう上着も着て、手には財布を持っている。行く気満々すぎないだろうか。
私たちはレジでお姉ちゃんにお金を払う。炭谷さんは「また来ます!」とお姉ちゃんに力強く宣言していた。森さんは「はいはい。いきますよー」と炭谷さんの背中を押して、先にロンドンを出る。ちりんちりんとベルが鳴る。
「ちょっと行ってくるね」
「うん」
いつもは無表情なお姉ちゃんが珍しく。嬉しそうな顔をしている。多分、私以外が見ても気付くと思う。それはとても珍しいことだ。
私も扉を開ける。ちりんちりんとベルが鳴る。冷たい風がお店の中に吹き込んでくる。外に出る。雪はまだ降っている。息を吸うと肺まで寒い。ゆっくりと閉まる扉。その隙間から、お姉ちゃんが私に小さく手を振っているのが見えた。
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