金髪
アサミはお弁当の中の卵焼きを箸で半分に切る。
「ミキちゃん」
「うん」
半分を半分に切る。
「こういうこと言うのは良くない気もしたんだけどさ」
「うん」
私は飲み終わった野菜ジュースのストローを意味もなく噛む。
「さっき、炭谷さんに睨まれてなかった?」
「あー。やっぱりそうなのかな?」
午前の授業が終わって、森さんは席を立ち、いつものように私に軽く手を振ってくれた。私もそれに応えた。入れ違いにアサミがやってきて、森さんから椅子を借りる。森さんは出口付近で炭谷さんと合流して、教室から出ていく。なんとなく歩く森さんを目で追っていたら気付いた。炭谷さんは私のことをじっと見ていた。
炭谷さんは森さんの友達でよく一緒に居るのを見る。炭谷さんの席は廊下側で、窓際の私とは離れている。だから、あまり接点はない。ただ、ここ数日、たまに炭谷さんに見られている気がする。良く言えば見つめられている。悪く言えば睨まれている。
さっきの炭谷さんの目つきは険しかった。だから、多分、悪いほうだと思う。
「なんか最近、たまに見られている気がしないでもない」
まあ、別にいいのだけど。そもそも見られるのは慣れている。入学してしばらくは金髪のおかげでよく見られていた。でもそれもすぐになくなった。みんな慣れるのが早い。
「なにかしたの?」
「なにもしてないと思うけど……」
ただ、今見られる理由はわからなかった。今頃になって私が金髪だと気付いたなんてこともないだろう。
「そういうときは大抵なにかしてるんだよー」
卵焼きはずいぶん小さくなっていた。切りすぎ。
「してないって」
多分。おそらく。自信はない。ただ、最近炭谷さんと話した記憶もない。知らないうちになにか気に障るようなことをしたのだろうか。
「炭谷さんってどんな人なの?」
そもそも、最近どころかまともに炭谷さんと話をした記憶がない。森さんと仲が良くて、なにか部活をやっているということしか知らない。アサミも名字にさん付けで呼んでいるのだから、仲が特別良いというわけではないだろう。それでも私よりは話したことがあると思う。
「ちっちゃい」
「そういうことじゃなくて……」
確かに炭谷さんは背が小さいけれど。私とアサミは平均くらいで、森さんは高いほうだ。そして、炭谷さんは私とアサミより小さい。森さんと並ぶと頭ひとつ以上差がある。ただ、私が聞きたいのはそういうことではない。そんなの見れば分かる。
「炭谷さんはいい子だよー」
ひょっとしてアサミの中に人物表現はそれしかないのだろうか。
「なら、いいけど」
でも、まあ、炭谷さんがいい子なら、別にたいした問題じゃないと思う。見られているのもひょっとしたら気のせいかも知れない。心当たりがないのだから、気にしてもしょうがないとも思う。
「ゆっきーに聞いてみたら?」
「えー。それはちょっと」
「ゆっきーと炭谷さん仲良いよ?」
「それは知ってるけど……」
森さんに聞くのはちょっと違うような気がする。そもそもなんと聞けばいいのだろう。『炭谷さんってどんな人?』といきなり聞くのもおかしいし、『炭谷さんが私のこと見てくるんだけど』と言うのもなんか自意識過剰な感じ。それにこれだと炭谷さんが悪いみたいだ。森さんと炭谷さんは友達で、友達が悪く言われるのはいい気はしないだろう。
それに森さんに話しかけるのはなんかまだ勇気がいる。ちょっと気恥ずかしい。話し出せば、話せるはずなのだけど、最初の一言が重い。この前、プリントを渡したときは森さんから話しかけてくれた。
アサミが話しかけてくれたらいいにと思う。だけど、それをお願いするのもなにか違う気がする。
「気が重い?」
「そこまでじゃないけど……」
「話しかけてみなよー。ゆっきー喜ぶよ」
なんで私が話しかけると森さんが喜ぶのだろうか。
「いいよ。別に気にしてないし」
「ほら、帰ってきたよ」
森さんと炭谷さんが教室に戻ってきた。入ってすぐに二人は別れる。炭谷さんは廊下側の席へ、森さんはこっちに来る。私の隣が森さんの席なんだから当たり前だった。
アサミはいつの間にかお弁当を食べ終えていた。手早くお弁当を片付けて、席を立つ。
「ゆっきー。椅子ありがとー」
「うん」
アサミは森さんに椅子を返す。去り際に私を見てにやりと笑う。なにか話しかけないといけないような空気だ。
森さんは席に着くと次の授業の準備を始める。話かけていいのだろうか。邪魔じゃないだろうか。アサミの席をちらりと見る。アサミも次の授業の準備をしている。こちらを見ていない。なんてやつだ。こっちを見てにやにやでもされていたほうが話しかけるにしても、話しかけないにしても理由になるのに。
私は森さんに気付かれないように静かに大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。
「あ、あのさ。森さん」
「ん? なに?」
森さんは準備の手を止め、私の方を向いてくれた。それだけで少しホっとする。森さんは優しく微笑んでいてくれる。これが喜んでいるということなのかは、よくわからない。
森さんの肩越しに視線を炭谷さんに向ける。炭谷さんも次の授業の準備をしている。
「炭谷さんって……」
気にしてないと言ったけど、やっぱり気になる。私だけじゃなく、アサミも炭谷さんが私を見ていたと言う。だから、やっぱりなにかしてしまったのかも知れない。
私の言葉に森さんは軽く振り返る。森さんは炭谷さんを見て、すぐに私に戻ってくる。
「なっちゃん?」
なっちゃん。炭谷さんのことだろう。確か下の名前はナツだった気がする。
「う、うん。炭谷さん」
ここまで来て思い出した。なんて聞けばいいかを結局考えていない。声をかけるかかけないか。それだけが問題になっていた。
ナチュラルに、さりげなく、それでいてしっかりと聞かなければならない。
「なっちゃんは小さいときからずっと一緒なの」
森さんは炭谷さんについて話し出す。
「幼馴染っていうのかな」
幼馴染。私にはいない。小さいときからずっと一緒の友達ってどんな感じなんだろう。
「陸上部でね。とっても足が早いの」
きっと、炭谷さんはアサミの言うようにいい子だろう。それは炭谷さんのことを話す森さんを見ていればわかる。森さんはとても嬉しそうに、楽しそうに炭谷さんのことを話す。ただ、私が炭谷さんになにかしてしまったのではないかという不安は大きくなった。睨まれるほどのことを私はしてしまったのだろうか。
炭谷さんの席をもう一度見る。炭谷さんがこちらを見ていた。だけど、目は合わなかった。炭谷さんは森さんを心配そうに見つめていた。
ああ。そうか。そういうことか。
多分、私は炭谷さんになにもしていない。ただ、炭谷さんにとっては違うのだと思う。
「漆原さん?」
「え、あ、ごめん。森さんは炭谷さんと仲良いんだね」
「うん」
森さんは笑った。チャイムが鳴る。私たちは自分たちの席に着く。炭谷さんももう正面を見ていた。
放課後になって、アサミが来た。森さんは荷物をささっとまとめてすでに教室を出ていた。委員会があるのだろう。炭谷さんの姿ももう見えない。きっと部活だろう。
「どうだった?」
「なにが?」
わかっているけど、聞き返す。話をしたいような、したくないようなそんな気分だった。
「ゆっきーと話した?」
「うん」
「おー」
アサミは満足げに頷いている。そんなアサミを私はじっと見る。
「で、どうだった?」
もう一度、アサミは聞いてくれた。
「多分だけどさ」
「うん」
「……私って不良みたいでしょ?」
「まぁ……。そうかも」
アサミは否定しない。だけど、否定されるより助かる。私でもそう思っていることだから。
「……だからだと思う」
困った顔でアサミは私を見ている。アサミの視線から逃げるように、私は机に突っ伏し、目を閉じる。
自分でもこれでは伝わらないとは思う。でも、言葉にするのが難しかった。炭谷さんは森さんを心配しているのだと思う。急に私みたいなのと話すようになって、おかしなことに付き合わされているんじゃないかと、思っているのだと思う。
だけど、私はどうすればいいのだろう。授業中、それを考えていた。炭谷さんに『私は不良じゃない』と言えばいいのだろうか。髪を黒くすればいいのだろうか。部活に入って、なにかに打ち込めばいいのだろうか。もっとクラスに友達を作ればいいのだろうか。全部無駄な気がした。全部今更だ。髪を染める前の私に『染めるな』と言う以外ない気がした。だけど、これが一番今更で、過去になんて戻れるわけがなかった。
森さんと話をするのをやめればいいのだろうか。そうすれば、炭谷さんはきっと安心するだろう。だけど、それは私が嫌だった。なんで、私が森さんと話をするのをやめなければならないのか。それはなにか違う気がした。でも、私と森さんが話しているところを見て、炭谷さんが嫌な気持ちになるのも嫌だった。私がただ見られるのはいい。睨まれてもいい。でも、炭谷さんはそうじゃない。炭谷さんが見ているのは森さんで、私じゃない。
どうしたらいいのかわからなかった。アサミまで困らせて私はなにがしたいのだろう。煙草が吸いたい。煙と一緒にこの気持ちが消えてしまえばいいのにと思う。
「私はミキちゃんの髪好きだよ」
目を開けて、横目でアサミを見る。金髪が何本か私の目の前に垂れている。金髪越しに見るアサミはまだ困ったような顔をしていた。
「似合ってるし、可愛いよ」
それでもアサミは私にそう言ってくれた。それは入学式の日を思い出す言葉だった。だから、ご機嫌取りとかそういうのじゃないと思いたい。
「ありがと……」
「へへ」
アサミは恥ずかしそうに笑う。
「ねえ。アサミ」
「ん?」
「煙草吸いたい」
本当はもう別に吸いたくない。
「それはダメ」
アサミは眉間にシワを寄せる。その顔が見たかった。
「じゃあ、肉まん。肉まん食べたい」
眉間のシワが消える。また、困ったような顔。本当に今日は困らせてばっかりだ。
「んー。じゃあ、コンビニ寄って帰る?」
「うん」
私は身体を起こす。両手で髪をかき上げる。金髪が指の間をすり抜けていく。よし。鞄を持って、席を立つ。
「今日はアサミちゃんが奢ってあげよう」
「悪いからいいよ」
「いやいや。まかせなさい」
アサミは自信満々にそう言った。
「ごめん! 明日絶対返すから!」
コンビニの前でアサミは手を合わせて謝る。レジの前でアサミは気付いた。財布にお金がないことに。だから、私がアサミの分も払った。なんとなく、こうなるんじゃないかと思っていた。
「いいよ」
袋からアサミの肉まんを取り出して、渡す。
本当は私が最初から奢らないといけなかったのだから、これでいい。
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