第30話:愛するが故に…

 こんな暑い季節には、『ドキュメンタリー番組』の放送が比較的多目に放送されますよね…。

 何かと比べるわけでは無いですが、俗に言う『お涙頂戴』みたいな方向性の内容が多い様に感じます。


 障害を持った方や、辛い体験をした方の体験談を元にした再現ドラマだったり、数日間の密着映像だったり様々です。

 ただ、この手の番組に多いのが《感動ポルノ》と呼ばれる構成が悪目立ちしてしまい、批判を受けている光景も見たことがあります。


 私が苦手なのは、『なんでこの子が、こんな目に合わなければならないの!』という台詞はつげんです。

 生後間もない年齢で重い病気を患ってしまった子供の両親へのインタビュー等で聞く事が多いと思います。

 こういう事を言いたい気持ちはわかります。

 世の中には、凶悪犯なんて沢山存在するわけで…。

 だからこそ、まだこんなにも未来が残っていて、何にも悪いことをしていない子供が、こんな辛い思いをしなければならないのだろうか。

『どうせなら、こういう人がなればいいのに』

 そんな想いがにじみ出ている様な気もしてきます。

 …たまに、『この子と、替れるのなら…』みたいな内容も聞くことがあります。


 この子達は、とても愛されているんだなぁ…。


 でも、それはとても無情で残酷な言葉ですよね。

 まるで、『この子の代わりに誰かが死ねばいいのに』みたいに聞こえてしまうのです。

 私が“ひねくれ者”だからでしょうか…。


“憎悪”ともまた違う感情なんだと思います。

 だって、“誰”を憎むんですか?

 宗教によっては、“神”を恨むのでしょう。

 日本では、基本的に無宗教な方が多いと思うので、親は自分自信を憎んでしまうのではないかと思います。

 もしも生まれながらに障害を抱えていたり、難病を患っていたのなら尚更。

 だって、自分の身体から産まれてくるんですもの。

 本当は違うと解っていても、『原因は私だ』と思い詰めてしまうのかもしれません。

 でももし、そんな感情が子供に伝わってしまったら、子供も両親に『ごめんなさい』と思ってしまうでしょう。


 障害者・健常者関係なく、大事なのは『お互いが無理をせず笑える事』なんじゃないでしょうか。

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